14話 剣を振る理由
夜の訓練場は静かだった。
誰もいない空間で、松明一本分の明かりだけを頼りに、壁から取った剣を構えて振る。
(どうすれば、私は強くなれる?)
私にできるのは、見て盗んで、形にすること。エヴァン卿の刺客を相手にした時は、確かに手応えがあった。
なのに、今日は剣を振ると違和感があった。魔王の剣技自体は馴染んでいるのに、そこに重さが乗り切らない。
(伸び代が無い? なら、他の技術を乗せるべき?)
例えば、魔王が使う無音歩法。あれほどの技術なら不意打ちに使えそうだけど、間違っても暗殺者に見せるわけがない。
他にこの城で見たものは、参考にならない。真似するには私の地力が足りなさすぎる。
剣を一度止めて、もう一度振る。今度は深く踏み込んで、切先をより奥へと滑らせる意識を持つ。
重心のブレない足運び。一切の無駄を省いた剣筋。体に馴染んできた感覚を確かめながら剣を振り抜いた。その時だった。
「雑だ。余計な思考を削ぎ落とせ」
ゾワッ、と鳥肌が立つ。聞き慣れない、そして一番聞きたくなかった声が、背後から落ちてきた。
他でもない、私を死の直前にまで追い詰めた男—— ヴィンセント・エルロンが、振り向くとそこに立っていた。朝か夜にしろ、なんて言ったのはどこの誰だ。
「続けろ。散歩のついで、確認に来ただけだ」
「確認って……」
「気ままに振るといい。確認はこっちで勝手にする」
昨日のような、剥き出しの殺気はない。ただ、腕を組んで静かにこちらを見ている。
あれを見せても、まだ足りない? 見ているのは剣だけじゃないような気もするけど……とにかく、納得させるしかない。
言われた通りに剣を振る。一振り、二振りと繰り返すうちに、彼は再び口を開いた。
「中途半端だ。攻めるのか、守るのか、それはどちらの剣だ」
「どういうことですか?」
「付け焼き刃というのは、昨日の時点で分かったが……確信できた。お前はカリスにとって脅威ではない」
呆然としているうちに、エルロン卿は下がった剣先に目線を落としていた。
剣を振る理由なんて、考えてなかった。前はずっと、あいつを殺すことだけを考えていられたけど。
魔王を殺すためなんて、この人には口が裂けても言えない。でもそれ以前に、今はその手段自体がブレていた。
「答えが無いのなら、問いを変えよう。お前はその剣で何を成す」
「何を、したい……ですか?」
「その剣は……カリスの剣は守るためのものだ。あれ自身の圧は伴うが、根は民を守るために無駄を削ぎ落とした剣。お前はそれを半端な意思で振っている」
「あ……」
そうか。私とあいつの目的は違う。剣がそれを写すなら、動きにも、思考にも、余計なものが混じっていたことになる。
私が守りたいのは、理不尽に奪われる人達だ。
故郷の、外の世界の人達。サーシャの笑顔。マーサさんの声。保護区の景色……あれ。私、いつからこの城の中のものを数えてるんだろう。
「その剣を振るなら、相応に意思を込めろ。守りに振り切るなら、こうだ」
エルロン卿は剣を抜き放ち、型のように振る。浅めの踏み込み、からの空を斬る十文字。動き自体は素早いのに、重心はまるで地面に固定されたように揺れない。
構えから振り抜いた後まで、近づけば斬られると分かる壁のような剣だった。剣の結界を張るような、あいつの剣と似ている。
噛み合わないはずだ。私は守るための剣を借りて、殺すために振っていたんだから。
(でも、わかったかも)
同時に、求めていた剣も対極として頭に浮かんできた。浅い踏み込みの対極は、一気に詰める。隙を無くす動きの裏は、隙ごと叩き潰す動き……要は割り切りだ。
初対面の時、首筋に迫ったこの人の刃の感触を思い出す。魔王の剣技とは違うそれは、欠けていた暗殺のイメージにカチリと嵌ったような気がした。
顔に出しちゃダメだ。絶対に……喉の奥まで出かかった言葉を飲み込む。この人の前で攻めを見せた瞬間、私は終わる。
「……やってみます!」
奇妙な緊張感の中で剣を構え直す。あくまで守りの形を意識して、重心を低く、踏み込みを浅く抑える。守りたいものを意識すると、迷いが減った分だけ剣先が素直に動いた。
それから、どれくらい続けただろう。松明が燃え尽きる頃、エルロン卿は新たに火を灯しながら口を開いた。
「娘よ。その目は、いつからだ」
「目、ですか?」
言葉の意味が分からなくて、手が止まる……目って、どういうこと? エルロン卿は何かを確認するように、静かに私の目を見ている。
「あれが十かそこらの頃、お前と同じ目をしていた。見て盗む力も、ただ前を見て輝く様も……今一度見ることになるとはな」
「同じって……私と、誰が?」
「カリスだ」
「——っ、……陛下が?」
予想だにしない名前が出て、全身が強張った。
私と、あいつが……!?
「才に満ちたものでな、あっという間に追い抜かれた。あれほど手応えのある者はいなかったが……十六にして偶像に成り果てた。個人としては惜しいと思っている」
苦い、というより懐かしむような言い方だった。前例を見たことがあるってあいつのことだったの?
戴冠式のことはアルトから聞いていたけど、それ以前を知るこの人は、小さい頃は私と同じだったと言った。
そんなの、想像できない。エルロン卿はこちらから視線を外さないまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「その目を見ると、喋り過ぎるな。……守る剣を極めるのは構わんが、まだ信用はしていない。攻めを完成させようものなら、俺はお前を殺さねばならん」
「……肝に銘じます」
「結構」
武人としての警告を残して、エルロン卿は去っていく。一人残された私は、手に持った剣をしばらく見つめていた。
(勇者と魔王。人間と魔族。……全然違うじゃん)
同じ。その言葉が、どうしても頭から離れない。
晴れない迷いを抱えながら、私はもう一度だけ素振りを始めた。
◇ ◇ ◇
「やり直しだ」
翌日。執務室に、無情な声が響き渡った。
攻めの剣が完成しない以上、ここで無理をしても意味がない。今日ばかりは大人しく、真面目に掃除をしてやろうと決めていた……はずなのに。
「どこが? 床も棚もピカピカに磨いたはずなんだけど」
「書棚の三段目、右から四冊目に埃だ。それに絨毯の毛並みが一部逆立っている」
書類から一瞥もくれずに、魔王は淡々と指摘してくる。というか、要求するレベルがおかしい。これ、嫌がらせで言ってない?
「前から思ってるんだけど、細か過ぎでしょ。なんでそこまで清潔に拘るの?」
「必要だからだ。これまでも、そうしてきた」
「いや、それにしても異常だと思うんだけど。何か事情でもあるの?」
「…………」
無視か。不潔が嫌いなのはわかるけど、あからさまにそういう態度をされるのは腹が立つ。少なくとも、今は汚いわけじゃないし。
「そういえば、あんたの言いつけを守ったらエルロン卿と鉢合わせしたんだけど」
「それくらいしろという意味だ。会わない保証をするものではない」
「わかりにくいわ。わざとじゃないの?」
こちらも返事は無い。沈黙が肯定に思えて腹立たしい。……が、不意に紙をめくる音が止まった。
「……怪我は無いか?」
…………なんて???
一瞬、意味が理解できなかった。視線は書類に落ちたままなのに、なぜかこちらを見られている気がする。
「な、無いけど」
「そうか」
聞き返す間もなく会話は切られて、何事もなかったかのように再びペン先が走り出す。なんなの、急に……らしくないじゃん。
気を取り直して、言われた箇所を直しにかかる。本棚の埃を拭き取り、逆立った絨毯の毛並みを直そうと床に這いつくばった時だった。
(ん……?)
絨毯の端、床板の一部に不自然な切れ込みがある。
昨日よりも掃除に集中してたからかもしれない。ここまで細かく見直して初めて、それが床下へ続く階段だと気付いた。
(これ、もしかして隠し通路!?)
少しだけ床を持ち上げて中を覗き込むと、奥に見える扉の周囲がほんのり光っている。よく見ると、幾重にも重ねてかけられた障壁が、幾何学的な紋様として連なっていた。
触れてはいけない。分かるけど、気にもなる。思わず手を差し入れて、床ごと絨毯をめくろうとした直前、声が上から降ってきた。
「そこはいい。書斎には入るな」
それまでの呆れたような声とは違う、明確に線を引く冷たい声だった。びっくりして、慌てて床を元に戻す。
書斎だって? あれじゃ要塞より頑強だ。ただの書斎をあそこまで守る理由がある?
「どう見ても隠し部屋だけど、書斎には何があるの」
「知る必要は無い」
答えになっていない。でも、それ以上は踏み込むなと言外に告げている。
この反応は、深追いしても無駄だ。掃除も終わったし、大人しく退散しよう。
「……わかった。また明日来るから」
執務室を出て、廊下を歩きながら魔王について考える。
行動も、言動も、全てが謎だらけの男。私はあいつを殺そうとしているのに、あいつのことを何も知らない。
幼い頃は前を向いていたらしい。でも今は個人を捨て、理想の王として立っている。その間に、一体何があったのだろう。
(今のあんたは、なんで前を向いてないの?)
私は何も知らない。魔王のことも、この世界のことも。自分をこの城に引き込んだアルトの真意すらも。
最初は、それでもいいと思っていた。
魔王を殺す。
世界を変える。
それだけを見ていれば迷わずにいられると思っていた。でも……。
(今は、知らないまま進むのが怖い)
ここに来て、色んなものを見て、聞いて。自分が何も知らなかったことを知った。
間違った道を歩いていても、誰かの答えを自分の答えだと思い込んでいても、今のままじゃわからない。
(確かめないと。一つずつでも……ちゃんと、私の目で)
魔王が無理なら、まずは一番近くにある答えから。私をこの城に連れてきた張本人に聞けばいい。
アルト。あんたは何のために、私をここへ導いたの?
◇ ◇ ◇
「やあ、リンちゃん。どうかした?」
「……話がある」
書類仕事の合間だったのか、アルトは部屋に入ってきた私を見て、椅子にかけたまま笑みを浮かべる。
最近はその顔に安心感を覚えつつあった。でも、今の私に必要なのは違う。
扉を閉めて、机越しに真っ向から向き合う。
「今まで、すごくお世話になった。仕事も生活も、全部あんたが用意してくれた。……感謝、してる」
アルトがいなければ、私は路地裏で燻っていた。
無理やり侵入しても、多分失敗してた。
そもそも、ここまで考えて動くこともできなかった。
「……でも、ごめん。もうあんたの言いなりで動くのはやめようと思う」
口にした途端、心が軽くなった。
アルトは手に持っていた羽根ペンを置くと、いつもの笑みとは違う、静かな表情で喋り出す。
「なぜ、そう思った?」
「色々あった。ここの中を見て、マーサさん達と、シュナさんやエルロン卿とも話して……でも、魔王とあんたのことはまだわからない」
「君を引き入れたのは私だけど?」
「目的があって引き込んだのに、あんたはその目的を言わない。なら、自分で道を見つけたい。わからないまま動くのはもう嫌だ」
どれだけ無謀な決断かは、分かっているつもりだ。
アルトは私が知らないことをたくさん知っている。
真実に近づくのも、きっと彼に従った方が早いかもしれない。
でも、たとえ世界を変えられるとしても……真実から目を背けたままではいられない。
「だから、あんたの目的を教えて。教えてくれないのなら、叩きのめしてでも聞き出す」
単刀直入な要求に、場が静寂に包まれる。少し間を置いて、アルトは喉の奥でくくっと笑った。
いつもの胡散臭い笑みじゃない。もっと本物に近い笑みに感じる。
「いいね。相変わらずいい目をする」
静かな声だった。からかいも計算も混じっていない。アルトは立ち上がり、傍に掛けてある法務卿の外套を羽織る。
その瞬間、空気が一変した。飄々とした雰囲気が剥がれ落ちて、底知れない強者の気配が部屋を満たしていく。
でも、魔王のそれとは全然違う。もっと身近で、ずっと感じてきたことのある何か……この国では、久しく感じなかったものに感じた。
「でも、丁度いい頃合いか。君に稽古をつけるのも、私の役割だと思っていたからね」
「……あんたの役割って、何なの」
聞くと、アルトは少しだけ笑った。
いつも笑っているのに、初めて見る笑顔にも見える。
「素直に教えてもいいけど、私も君の力には興味がある。それに今の君は、自分で得た答えしか信じないだろう?」
「法務卿の言葉とは思えないけど、物騒なんじゃない?」
「よく言われる。これでも文武両道を目指しているからね」
「……上等」
茶化すような言葉の裏に、獲物を捉えたような瞳の光が見えた。アルトは若干迷うような素振りを見せて、思いついたように窓の外を一瞥する。
「ここじゃ狭いし、訓練場はエルロン卿の管轄だ。騒ぎになっても困る」
「どこに行くつもり」
「城の外に、ちょうどいい場所を知っている。人目もない」
アルトは扉ではなく窓の方を指差しながら、こちらに手を差し伸べた。
「相手をしてあげるよ、リンちゃん。……知りたいのなら、聞き出してみるといい」




