15話 踏み込んだ先に
差し伸べられたアルトの手を取ると、視界が滲んで、足元の感触が消える。
浮いているのか落ちているのかも分からないまま、一瞬だけ世界から切り離されたような——次の瞬間、気付いた時には風の中にいた。冷たい夜風が頬を打つ。
「うわっ!」
「舌を噛むよ。口を閉じて」
口を閉じて振り返ると、さっきまで内から見ていた窓が遠ざかっていく。眼下を滑る街並み、そして草原。そこでようやく空を駆けているんだと理解できた。
アルトが風に巻かれて消えるのは、何度か見たことある。でも、自分が巻き込まれる側になると話は別だ。内臓を掴まれて引きずられるような、不快な浮遊感に思わず歯を食いしばる。
「慣れないと辛いだろうけど我慢して。すぐに着くから」
それから十秒ほど飛んで、下の景色が郊外の森に入った頃。急に地面が近づいたと思ったら、石畳の感触が足の裏に戻ってくる。
揺れた頭を慣らしながら見渡すと、そこは廃れた演習場だった。雑草が石の隙間から伸びて、使われなくなって久しいことが分かる。
背後に立つアルトが、私の疑問を晴らすように口を開いた。
「かつて使われていた、魔術の演習場さ。うってつけだと思ってね」
「……確かに、そうかもね」
人の気配はない。魔力の残滓が残っているせいか、野生動物すら寄り付かないらしく、不自然なくらい静かだ。
よくこんな場所を知ってると思う。一体何に使うつもりで調べたのか、それはこれから聞き出すとして。
「さて、始めようか」
その声に振り返ると、アルトが数メートル先に立っていた。外套の裾が夜風に揺れて、月の光を反射している。
静かな戦闘開始の宣言だった。エプロンを外して、襷で袂を縛り上げる。私は小さく息を吐いて構えた。
(なんなの、これ)
そこに立っている人物は、私の知っているアルトと同じ姿をしているはずなのに、まるで別人だった。
軽薄な笑みはそのまま。整った顔立ちも、白を基調とした装いも変わらない。なのに、普段の穏やかな気配はどこにもなくて、そこに立っているだけで息が詰まりそうになる。
(空気が違う。魔王とも、エルロン卿とも……!)
魔王の世界を軋ませるような圧は暴。エルロン卿の研ぎ澄まされた殺気は武。それぞれの極致だろう。
でもこれはもっと静かで、底が見えない。じわりじわりと真綿で首を絞められるような感覚だ。
アルトはそんな私の様子を見て、小さく肩を竦めた。
「そんな顔をするってことは、ようやく実感が湧いてきたかな」
「……何が」
「君が誰に喧嘩を売ったのか。ってこと」
軽い口調。だけど、その言葉は妙に重く落ちた。間違いなく、本気でやり合えば私は死ぬだろう。
一度だけ深く息を吸って、剣の柄に手をかけた。逃げる気はない。最初から、そのつもりで来ている。
「まだ引き返せるなら、そうした方がいいかもよ?」
「やだね。死んでも御免」
「いいね。やっぱりそう来なくちゃ」
アルトは一瞬だけ目を細めて、それからくくっと楽しそうに笑う。
私から数歩離れた位置で立ち止まると、静かに魔力が溢れ出してくる。軽く漏れ出すそれが、私の総量の数倍はありそうだ。
(……来るっ!)
次の瞬間、アルトの指先が軽く動いた。それだけで背後の空間に幾何学的な光の線が走り、複雑な魔法陣が大量に展開される。
その中から三つ、輝く陣より槍が生成される。青白い雷光を纏った槍が、次の瞬間に凄まじい速さで射出された。
「そんなものっ!」
転がるように避ける。地面に槍が突き刺さり、炸裂した魔力が衝撃波となって私を吹き飛ばした。
受け身を取りながら着弾点を見ると、黒鉄の槍は地面に刺さったままだった。それぞれを点として結ぶように、電流の結界を発生させている。
(実体がある、重いわけだ。……もう、あれには近寄れない)
体勢を立て直そうとした瞬間、今度は頭上から氷の刃が迫っていた。横並びに五本、咄嗟に剣で弾くけど、衝撃で腕が痺れる。
立て続けに、周囲を囲い込む炎の壁。弾き飛ばした刃が蒸発して、一気に水蒸気で視界を奪われる。アルトは軽やかに歩いて指を動かすだけなのに、まるで戦場全体を支配しているようだった。
(何なの、この密度! それに、自然五属性を全部なんて!)
最初の槍は地と雷の合わせ技で、氷の刃は水と風。そして炎の壁。光と闇以外の五属性の全てを併用するなんて、かつての伝承に残る強力な魔族くらいしか聞いたことがない。
私が踏み込もうとすると、先んじて魔法陣が展開される。避けようとすれば、逃げ道を塞ぐように次の攻撃が飛んでくる。槍が刺さった場所は帯電していて立ち入れない。
(このままじゃ、行き場が無くなる)
一番厄介なのは、立て続けに射出される槍だ。あれをどうにかしないと、いずれは詰められて終わる。
なら、突破口を見つけるしかない。全身を掠めながらも避け続けて、目を凝らして術式を見極めようとする。
「こんなものじゃないだろう。さて、どう打開する?」
「っ……、見えた!」
透けるように、魔術を構成する流れが見える。術式の構造自体は、わかってみれば単純なものだった。
鉱物で生成した槍に、それぞれの石突を極として結ぶように雷属性を付与しただけのもの。どっちの属性も適性は無いけど、これなら……!
スカートの内から投げナイフを取り出し、投げつけて槍の石突を破壊する。同時に魔力を流すことで、付与された術式を解体した。
「ほう、やるね」
「好き勝手やらせるか!」
足場は確保できた。火と風は私にも適性があるし、同様の術式を組めば中和して斬り込める! 目の前に広がる炎の壁を中和して、氷の刃だけに集中して間合いを詰める。
「簡単にやってるけど、それもかなりの離れ業……って、自覚はなさそうだね」
当然、アルトもすぐに対応してきた。指をひとつ鳴らすと、突如として地面が割れて、飛んでくる刃の物量が更に増す。
足場を崩された! その上、攻撃の密度まで一層厳しくなって、こっちの動きはかなり制限される。魔王とは別方向で滅茶苦茶だ!
「どうする? このままだと、ただ踊るだけだよ?」
「っ……るっさい……!」
幸い、同属性を同時展開はできないのか、槍が飛んでくることは無くなった。地割れと氷の刃に対応しながら、一歩ずつアルトに近づく。
でもそれまでだ。なんとか接近して振るう刃も、余裕を感じる紙一重で届かない。ナイフを投げても空中で撃ち落とされる。飽和状態の攻撃が流れを転じさせてくれない。
(なら、次は……この攻撃をなんとかする!)
全部を解決できるほど器用じゃない。まずは目先の問題を一つずつ……必死に食らいつく中で更に目を凝らすと、視界が異常にクリアになっていくのを感じた。
アルトの指の動き。魔力の流れ。魔法陣の構造。紡がれる術式の骨組み。作られる武器の骨子。全部、見れば分かる。理解できる!
「動きが鈍くなってきたけど、そろそろ降参かい?」
「っ……ぁあああっ!!」
アルトが再び魔法陣を展開するのと同時に、私は同じ構造の魔術を組み上げた。
魔力を練り上げる。骨子を組んで形を作る。実体として顕現させる。
同じ術式で干渉することで、武器の生成を相殺し、術式を破壊することができた。
「!……で、できた!」
「へぇ、そんなこともできるのか」
アルトが初めて、驚いたような声を出した。
術式自体は複雑だけど、なぜか体によく馴染む。魔力の消費も思ったよりはずっと抑えられていた。
それに、どうやら属性を使い分けているだけで、武器を生成する術式自体は使い回しだったらしい。黒鉄の槍も、氷の刃も、同時に生成が止まっていた。
(こういうとこも無駄が無いの、アルトらしいけど……今は助かった!)
そして、これなら応用もできる。なまくらを使うよりも確実に強い武器が作り出せる。
魔力を練り上げ、再び実体として顕現させる。指先に凝縮した黒い刃が、夜の空気を裂いて伸びた。
「これで真っ向勝負よ!」
「期待以上だ、望むところ」
アルトが同じ術式で槍を生成するのと、私が踏み込むのはほぼ同時だった。
金属音にも似た衝突が連続する。魔力同士がぶつかり合うたびに空気が震えて、夜の闇に火花が散る。
先に間合いに入ったのは私だ。なまくらと魔力刃の二刀流で、物量でも上回っている。
なのに、アルトは槍の柄を使って器用に捌き続ける。攻めてるはずなのにペースを掴めない。
(こいつ、体捌きまで!)
何度斬り結んでも、すり抜けるように間合いを離される。あの厄介な武器飛ばしを封じたはずなのに、接近戦でも私の攻撃はアルトに届かない。
攻めてるこっちは、とっくに息が上がっている。なのに守っているアルトは呼吸ひとつ乱していない。
踏み込んでも捌かれる。引いても追ってくる。均衡が崩れないまま、こっちの消耗だけが積み上がっていく。
(じり貧だ。なら……やるしかない!)
一歩引いた瞬間、体の重心を切り替える。
浅い踏み込みで重心を安定させ隙を無くす、守りの剣の対極。後のことを考えない。ただ一点だけを見る、後を顧みない深い踏み込み。
重心を深く崩して、思い切り逆袈裟に剣を振り抜く。最速で一撃必殺の刃を叩き込む!
間合いが、変わった。
「——っ」
アルトの表情が、初めて変わる。私の踏み込みに反応して、咄嗟に半歩だけ退いた。
でも、半歩じゃこれを避けるには足りない。極限の緩急をつけた攻めの剣は確かに届いた。魔力刃がアルトの武器ごと掌を浅く裂き、細く赤い線が、白い手に走るのが見えた。
(と、届いた! まだ未完成だけど、浅いけど……!)
「……エルロン卿の剣を実戦で模倣するか。相変わらず筋がいい」
アルトは掌の傷を一瞥すると、確認するように呟く。
「この剣は、カリスを殺すために?」
「そのつもり。だけど、まだわからない」
「……そうか。なら、まだ負けられないね」
その言葉を最後に攻守が逆転した。
アルトが半歩踏み出す。たったそれだけで、さっきまでの均衡が消えた。守りの剣を構え直すけど、一合、二合。弾かれるたびに腕が痺れる。足が重くなる。
そして——。
「ここまで、かな?」
一瞬の隙を突かれて、二つの剣が弾き飛ばされた。
魔力刃は空中で霧散し、なまくらが遠くの地面に突き刺さる。アルトが作り出した黒い槍の穂先が、熱を伴って喉元にぴたりと当てられていた。
「……っ、どんだけ強いのよ。あんたら」
膝から力が抜けて、そのまま地面に座り込んだ。
悔しい……必死に追いかけても、その背中が遠すぎる。魔王もそうだけど、アルトもだ。
アルトは小さく笑って槍を消すと、袖口を軽く払って手を差し伸べてくる。
「まあ、相応に鍛えたからね」
「……仕事しろ」
「してるよ。そう見えないかもしれないけど」
たはは、と笑いながら言う。どこまで演技か分からないけど、少しだけ緊張が解れた。
その手を取って立ち上がろうとした、その拍子——。
(……え?)
視線が止まった。
アルトの掌に走った、赤い線。さっき私の剣を受けた時に切れたものだ。それ自体は大したことじゃない。
でも、それがまだ塞がっていない。
確かに私の剣を認識してたはずだ。魔族なら、あの程度の傷なら気付けば消えている。なのに赤い線が、そのままそこにある。
(待って、それって……)
これまで感じていた、小さな違和感。それらが一本の線で繋がっていく。
初めて会った時も気配を感じ取れなかった。よく思い出せば、魔族なのかと聞いても自然にはぐらかされたと思う。
浴室でなんとなく感じた、他の魔族と違う感覚。魔力かと思ったけど、もっと本能的な違和感だった。
平民出身の議員というのも、魔王の基準を鑑みても変だ。シュナさんはアルトが引き入れたけど、ならアルト自身は?
なんで、私より先に"あの通路を調べた"ことがあるの?
(全部、気のせいじゃない)
そして、今の戦闘でほぼ確信できた。
複雑だけどよく馴染む術式の構造。さっき自分で組み上げた時は、不思議なほどに感覚の近さを感じた。
極め付けは今、目の前で塞がらないままの傷——違和感が一気に繋がった。
「ねえ、アルト」
「なんだい?」
たった一つの可能性。口にすれば、全部が覆る。
それでも、言わずにはいられなかった。
「もしかして……あんた、人間なの?」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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