16話 同胞の手
戦闘が収まった演習場は、再び静寂に包まれていた。月明かりだけが、荒れた地盤と草木を淡く照らしている。
私は襷を解いて、目の前に立っているアルトと向き合っていた。
『人間なの?』
確信を持った問いだった。
これまでの違和感に、今回の戦闘で得た疑問。そこから得た答えはあまりに単純で、それでいて予想外なものだった。
だって、アルトは魔族国家の法務卿だ。古の大魔族さながらに五属性を操ってみせたし、何より魔王の側近を十年以上もやってる。普通ならそんな答えに辿りつくはずもない。
ただ、再生しない傷だけは、何よりも雄弁に真実を物語っている。アルトもすぐには答えなかったけど、やがて肩を竦めて小さく溜め息をついた。
「……正解だ。よくたどり着いたね」
初めて聞く声色だった。これがアルトの、本物の声……やっぱり、そうだったんだ。
頭では分かっていた。証拠も揃っていた。でも、こうして肯定されると、じわじわと実感が追いついてくる。
「いつ気付いた?」
「たった今。ずっと変だとは思ってたけど」
「迂闊だったね、私も。同族には認識阻害も効果が薄いか」
「君のより強力なんだけどね」と言いながら、鈍く光るピアスに触れる。私の指輪と同じように、アルトもそれで正体を隠していたらしい。
風が吹き抜けて、草木が静かに揺れる。アルトはそのまま空を見上げて続けた。
「丁度いい頃合いだ。君も色々と見えてきた頃だろうし……さて、何から聞きたい?」
相変わらず食えない言い方をしながら、アルトは傷を一瞥して小さく笑う。いつもの調子に見えて、その奥にわずかな緩みがあった。
「……あんたの目的は? なんで人間が魔王の側近なんてやってるの」
まずはそれからだ。私はまだ、アルトの意図がわからない。ここから先の言葉を信用するにしたって、そこがはっきりしないと全体が揺らぐ。
アルトは軽く息を吐いて、少しだけ視線を遠くに向けた。北の空、一際強く輝いている星の方へ。
「最初の目的は君と同じだった。大事なものを奪われてね……魔族による支配を、世界の常識を壊そうとしていた」
「同じって、あんたも家族を?」
「この世界に生きる人間なら、大抵は同じだろう。憎しみは燃料としては一級品だったよ。行き先までは教えてくれなかったけどね」
憎しみ。その言葉が、思いの外重く落ちた。飄々としていて、底が見えない男の根底にあったもの。
まさか自分の先駆者だったなんて、言われるとは思ってなかったけど……なんとなくそれを聞いて、アルトから感じていた違和感が理解できた気がした。言動と性根が一致してなかったんだ。
「同じだったって、じゃあ今は違うの?」
「この社会の内に入って理解できた。そんな分かりやすい世界でもないと……リンちゃんも感じているだろう?」
否定はできなかった。この城に来てから、私もそれは十分すぎるほどに感じていたから。良い魔族も、悪い魔族もいる。人間と変わらない個人差だ。
「これは構造の問題だと思う。死が日常の魔族にとって、命が軽く見えるのは当然なんだろう。彼らにとって再生は生まれ持った力であり、価値観そのものだ」
「でも、それで他の種族を踏みつけていい理由にはならないでしょ」
「もちろん、それが許されていいはずがない。だから……私はこの狂った世界を、内側から変えたいと思ってる」
かつての復讐者は、はっきりとそう言った。それがアルト・ゲーデルの底にあるものだと。
彼はくるりと向きを変えて、南の方を見る。視線の先、周囲を囲む木々の向こう側には、王都の灯りが小さく滲んでいる。
「カリスは聡明で、善いもの全てを許容する王だ。彼とこの国から変えていく……彼には、この歪んだ世界を変えられる力と器がある」
「じゃあ、あんたは魔王を殺すことに反対なの?」
「リンちゃんには悪いけど、反対だね」
「本気で言ってるの?」
「もちろん本気だ」
即答。迷いも、揺らぎもまるで感じない。アルトは魔王を許容した。
同じ道を歩んだはずなのに、まさかの言葉だった。無機質にも聞こえる言葉に、腹の奥がじわりと熱くなる。
「じゃあ、あんたは見過ごせるの? 外で何が起きてるか知ってるくせに」
「少なくともカリスは、抑止力として機能している。彼がいるからこそ、この国はこの程度で済んでいる」
「この程度、って……人が死んでるのよ!? 魔族の気まぐれで、人は尊厳も家族も奪われるの! それをこの程度で済ませられる!?」
私には、それを許容なんてできなかった。言ってることはわかるけど……怒鳴るつもりは無いのに、声が抑えられない。
アルトは、ようやく視線を戻してこちらを見た。彼は至って冷静に、しかし熱を持った言葉を返す。
「……分かってる。でも、この国に来てリンちゃんはどう思った? 外の世界と比べて」
「っ、それは……」
そう言われると、言葉に詰まる。マーサ達の笑顔。サーシャの笑い声。保護区の灯り。それを作ったのが誰なのかも、とっくに分かってる。
認めたくなかっただけだ。認めてしまうと、全てが単純じゃなくなるから。
「彼の側に付いてから十年余り、ようやく国内の難民を保護する仕組みができた。世論を変えるには時間がかかるけど、カリスがいなければ不可能だ」
「それなら、あんたやシュナさんだけの方がよっぽど目的に近づけるでしょ。あんたは私を使って、何がしたかったの」
「……カリスを変えてほしかった」
ぽつりと告げられた言葉に、確かな重さを感じた。
あいつを変えるって……私が? あの魔王を?
「彼が本気になれば、もっと早く世界は変わるはず。けど、彼はまだ殻の中だ」
「殻の中って、どういうこと?」
「彼は魔族の王だからね。変えようとする意思はあっても、民の権利を奪うことには積極的にはなれないんだよ」
個人ではなく、王として。人攫いを捕らえた時も、議会でも、あいつの基準はそこからブレてない。
それはわかる。けど……疑問を口に出す前に、アルトが小さく笑みを浮かべた。
「でも、そこに君が来た」
「……は?」
「全くの予定外だけど、君だけは例外なんだよ。カリスは君を意識してる」
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
「あいつが? 何それ、気のせいでしょ」
「一人を好む男が君を遠ざけない。君の言葉を受けて、王自ら事件の解決に動く。それに、直属にしてまで君を守った。これは明確な特例だ」
「……つまり、あいつを動かすための駒として、私を使ってたってこと?」
言葉が口をついて出る。怒りというより、確認に近かった。
私もアルトには助けられたし、言い分が分からないわけじゃない。同じ立場であいつを動かしたいのなら、多分私だって同じことをすると思う。
「まあ、目的を見ればね。同じ道の先輩として、君を助けたかったのも本当だけど」
「……正直なんだね」
「嘘をついても、君には意味がないと思って」
正直に言う。それがアルトなりの誠意の出し方なんだろう。
私は少しの間、黙って夜空を見上げた。月が雲に隠れて、演習場が一段暗くなる。
「あとは、君自身の行動に期待してた。君が本当に勇者ならってね」
「勇者って……そんなの、私が勝手に言っただけじゃん」
「カリス相手に名乗れるのは君くらいだよ。そして、他ならぬ彼が君を認めた。カリスが君を手元に置く理由まではわからないけど、それだけで君に賭ける価値はあると思ったんだ」
心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
初めて魔王の前に立ったあの日。私は確かに勇者と名乗り、あいつはそれを認めた。
でも、それであいつの心がブレたっていうの? あいつは私の中に何を見たんだろう。
「まあ、今話せるのはここまでかな。私としては、彼を殺してほしくない……なんだかんだで、情も移ってしまったからね」
さらりと言ったその言葉に、嘘はないと感じた。
十年余り。それだけの月日を、あの魔王の側近として過ごしてきた。計算高いアルトでも、それだけじゃ割り切れないものを抱えていても不思議じゃない。
なんとなく、それは分かる気がする。
「でも、リンちゃんの答えが出た時、それがどちらであっても私は止めないよ」
「止めないって……あんたは、あいつを殺すことには反対なんでしょ?」
「君は君のために動けばいい。ただ、その姿が彼に届けばいいと思ってる。それに——」
アルトはわざとらしく、少し間を置いた。風が吹いて、遠くの木々が揺れる。
「今は君自身が、彼のことを知りたいと思っているだろう。それは私の思惑とは関係ない、君自身の話だ」
否定しようとしたけど、言葉が出てこなかった。
あいつが何を考えているのか。何を抱えて、何を守ろうとしているのか。
それを知らないまま答えを出すことが、どうしてもできなくなっていた。
「……アルトってずるいね」
「よく言われる」
「自覚があるのがタチ悪いって、シュナさんも言ってたじゃん」
「いやぁ、耳が痛い」
苦笑いするその顔に、いつもの軽薄さが戻っている。でも今は、その奥にあるものも見えている気がした。
この人も正体を隠したまま、ずっと一人でやってきたんだ。それがどれほど孤独だったかを想像すると、飄々とした笑みの意味が変わって見えた。
「私は私で動くけど、君は自分で決めた道を行けばいい。私の目的も、カリスの事情も、全部知った上で……それでも君が選ぶものを尊重するよ」
「……信じていいんだよね」
「もちろん、約束だ」
アルトが手を差し伸べる。今度は転移じゃなく、ただの握手として。
私はその手を取った。
温かい手だった。魔族じゃない、人間の手だ。
当たり前のことなのに、なぜかそれだけで、胸の奥が少し楽になった。
◇ ◇ ◇
王都に戻ったのは、夜も深まった頃だった。
アルトとは城門の手前で別れて、私は一人で自室へと向かう。廊下を歩く足音だけが静かに響いている。
アルトは、人間だった。
私と同じ場所から始まって、違う道を選んだ人。
敵地の中心でただ一人、同じ立場の同胞。
目的があってのことだけど、先輩としても助けてくれた男。
今夜のことは、きっと全部本当なんだろう。それを聞いた上で、私は選ばないといけない。
(あとは……あいつだ)
アルトも魔王の全ては知らない。書斎のことはまた聞きそびれたけど、あいつの目的がわからないとなると彼も知らないのかもしれない。
雇われる直前に一度だけ、あいつが言葉を濁した瞬間を思い出す。殺せば明らかになるって、どういう意味?
それに魔王は、勇者をずっと待ってたみたいだけど、そもそも本物の勇者って……それが私だっていうの?
『カリスは君を意識してる』
「……そんなわけ、ないし」
誰もいない廊下で、思わず言葉が漏れる。
でも、打ち消すほど意識するということは、つまりそういうことで。自分の単純さに呆れながら首を振った。
自室に入るとベッドに腰を下ろして、今日あったことを一つずつ整理しようとして……気付いたら瞼が重くなっていた。
(あいつは、何を待ってるんだろう)
勇者を待つ魔王。そんな存在が本当にいるのだとしたら、何を望んでるの?
あいつは勇者に……私に、どうして欲しいの?
考えても答えは出ない。でも——。
(確かめる。あとは、あいつ自身に)
薄れていく意識の中で、そう決めた。
◇ ◇ ◇
小さな灯りが一つだけ揺れる、薄暗い一室。
周囲を囲う本棚には、積み上げられた書物の背表紙が、灯りに照らされて鈍く光っている。古紙の匂いが染み付き、外の世界とは切り離されたように静謐な空間だ。
その中央、机に向かう男——魔王カリスが、一冊の本を閉じる。表紙には、色褪せた文字で題名が刻まれていた。
——人類史・聖剣と世界樹の加護——
「……滑稽だな」
カリスはその表紙を見つめ、誰に向けるでもなく呟いて立ち上がる。灯りに手をかざして炎を消し、扉を閉めてその場を後にした。
無人になった地下の空間で、扉には幾重にも重なる障壁の紋様が浮かび上がり、物言わず闇を照らしていた。
ここまでで、前半終了となります。後半もどうぞお楽しみください!
面白かった。続きが気になる。と思っていただけたのなら、よろしければブクマ、評価、感想などで応援していただけると励みになります!




