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7話 攻略開始

 枢軸院。その単語を聞いて、頭までお湯に浸かっていた私の脳内は一気に冷え切った。

 この国において絶対者である魔王と対を成す、最高位の意思決定機関。時に王を牽制することすら許され、そのメンバーは暗殺や成り変わりを警戒して、国外には名前すら明かされないように秘匿されている。


 そんな大物がどうして私に接触してきたのか読めない。こんな便利な指輪を与え、おだてるようにまじないをかけ、魔王の元へと送り込んだ。

 目的は何? 魔王を揺さぶるための駒にでもするつもりなのか。……いや、そんな生易しい相手なの?


「のぼせてしまうよ? 早く洗って上がったほうがいい」


 思考を遮る呑気な声。アルトと名乗った彼は扉の外で、魔王の私物であろう高級そうなタオルを指先でくるくると回している。


「なら、そこ閉めてよ。……っていうか、本当に枢軸院のメンバーなの?」

「ごめんごめん。でも、ここで嘘を言うメリットも無いよ。議会には私を嫌う者も少なくはないけれどね」

「お前の存在自体、老人達には不愉快だろう」


 魔王が低く、地を這うような声で毒づく。あいつは私の奇襲を許したことよりも、彼が自分の領域に無断で踏み込んできたことが気に入らないようだった。


「ひどい言い草だな。君たちがもっと仲良くなれるように橋渡しをしただけじゃないか」

「オレに誤魔化しが効くと思うな。もっと別な目的があるはずだ」

「はは、手厳しい」


 普段の魔王らしくない、遠慮のないやり取り。浴室の外側が賑やかに感じられる。

 彼——アルトは笑いながら、ずぶ濡れで浴槽の縁に手をかける私に、ポンとタオルを放り投げてきた。


「しっかり洗っておくといい。次に汚れた姿でカリスの前に現れたら、今度は私ともども掃除されるかもしれないからね」

(……冗談に聞こえないのが、一番嫌だ)

「服は扉の脇に用意してるから、間違ってもその服をもう一度着ようだなんて思わないように。では、ごゆっくり」


 至れり尽くせりと言わんばかりにそう告げて、アルトは浴室の扉を閉める。

 どちらかというと逃げ道を塞がれたような気分だ。屈辱的ではあるけど、今は従う他に選択肢が無い。

 それに、アルトについては一つ気がかりな点もある。魔力なのか、見た目なのか、言葉にするには不確か過ぎるけど。


(なんか、他の魔族とは違う気がする)


 怪しさに満ちた男、アルト・ゲーデル。

 魔王と旧知の仲であり、世界の枢軸に座る者。

 確かな違和感を感じながらも、その正体は掴み切れそうにない。

 広くて慣れない浴室に、水の音だけが響いていた。


 ◇ ◇ ◇


「うわ……これ、肌触りすごっ……!」


 ひとしきり水を拭き取り、用意されていた服に袖を通す。柔らかさと滑らかさを両立する、雲に包まれるような感触。シンプルな黒のワンピースだけど、こんな布地は初めて触った気がする。

 鏡に映る自分は、見違えるほど綺麗になっていた。髪も肌も、すっかり汚れが落ちている。これなら堂々としてていいのかな?


(……って、違う! 浮かれるな私!)


 これは今を乗り切るのに必要なことで、それ以外の何物でもない。そう言い聞かせながら執務室に続く扉を開けると、まだ話し込んでいた二人がこちらを向いた。


「お、綺麗になったね。やっぱり指輪のまじないより良くなってるよ」

「いや、そのまじないで酷い目にあったんだけど」

「その件はごめん。余計な気遣いだったようだ。……でも、本当に見違えるようだね」


 アルトは相変わらず飄々としているけど、最近の扱いを考えるとお世辞でも嬉しいと感じてしまう。一方で魔王は、私を一瞥すると軽く鼻を鳴らした。


「あまりおだてるな。不潔が人並みになっただけだ」

「……はぁ?」


 どんな言葉が出てくるのかと思いきや、相変わらずの憎まれ口だった。開口一番でそれかと、思わず声が大きくなる。


「あれだけ騒いでおいて、綺麗にしたらしたでその言い草?」

「あの劣悪な環境で虫と同居していた方が異常だ。まさか褒めてほしいのか?」

「その見下した態度をやめろって言ってんの! この、潔癖魔王!」


 湯上がりの爽快感が一瞬で沸騰した。

 別にこいつの評価を求めてたわけじゃないけど、その言い分は頭に来る。壁にかけてあった観賞用の剣を取り、鞘ごと脳天めがけて振り下ろす。

 しかし、魔王が動じることもなく手をかざすと、私の体は宙に引っ張り上げられた。


「っ、拘束魔術……!」


 魔王が使うだけあって、物理的に抗える強度じゃない。視界を埋め尽くす幾何学的な紋様が、私の手足を固定するように展開されていく。

 でも、今回は光属性じゃない。それなら……なんとかなる。目を凝らして魔術を解析すると、前に受けたものと基本は一緒だった。

 それなら術の構造も、魔力の流れも、全部理解した。全身に魔力を纏い、魔法陣に込められた魔力と接続する。


(よし……いける!)


 魔術にも方向性を決める芯、核のようなものが存在する。なら同質の魔力を接続して、そこを起点にする魔力の流れを断てばいい。

 魔力を流し込むと同時。パシン、という音と共に空気が弾ける。魔法陣が消えて自由になった私は、着地と同時に魔王との距離を取った。


「……驚いた」


 唖然とした様子のアルト。どこか信じられないものを見るような目で、私たちのやり取りを見ている。


「今、カリスの魔術を分解したのか?」

「うん。だって一度見たし」

「無茶苦茶なことをしてるけど……構造を理解する眼を持っている? それとも、もっと別な何か……」

「いや、これはそ(・)う(・)い(・)う(・)も(・)の(・)だ」


 考え込むアルトに被せるように、魔王は確信を持ってそう口にした。

 なんでこいつがそんなこと……私も知らないこの力の本質を、こいつは知っている?


「見れば何であろうと本質を理解する。そして、地力が足りれば再現すらできる」

「そんなことが可能なのか?」

「以前もオレが投げた剣を掴み取った。不完全だが、動きはオレと寸分違わぬそれでな」


 確かにそんなこともあったと思う。生きるか死ぬかで咄嗟にやったことだけど、そんなとこまで見てたんだ。


「……っていうか、あの時から知ってたの?」

「その体格でオレの剣を掴み取ることなど不可能だが、お前は受け止めて勇者と名乗った。事実を裏付けるようにな」

「つまり、そういう法則(ルール)のようなものが働いている、ということかな?」

「かつて、この世界を変えた者が持っていた力と同じものだ。勇者とはそういうものらしい」


 どこまで理解しているのか、魔王の語る"勇者"という言葉が、やけに重く響いたような気がする。

 確かに私は自分で勇者だと名乗ったけど……他ならぬ魔王が、本心から認めているなんて思ってなかった。


「なるほど、それで気に入ったわけだ。本物の勇者が現れた、と」


 アルトが軽く笑ってそう言う中、魔王は言葉を返さず窓の外を眺めている。否定も肯定もしないその態度は、何?


「……本物って、気に入ったって何? あんた、私が勇者だって本当に信じてるの?」


 だっておかしい。私は勇者で、こいつは魔王だ。何度も襲撃して殺そうとしてる。

 通用しないとはいえ、私を脅威として捉えているなら、こいつは私に何をさせようとしてるの?


「あんたは私を殺さないで泳がせてる。なんで、勇者って認めたうえでそうするの?」

「……オレが答えると思うか?」

「そんなんで納得できるわけ——」

「納得する必要はない。お前がオレを殺せれば明らかになる。できなければそれまでだ」

「……っ」


 何それ。詮索するなってこと?

 ふざけんな、そんな自分勝手な理屈で。私は命をかけてるのに……!

 振り回される私をよそに、魔王は背を向けて歩き出す。


「今日はここまでだ。まだ公務が残っている」

「ちょっと待って、まだ話は——」

「アルト。後は任せる」


 魔王はそう言い残して、さっさと部屋を出ていった。

 扉が閉まる音が、やけに大きく響く。


「……行っちゃった」


 閉じた扉を呆然と見つめる。

 怒りが少しずつ冷めていく。代わりに、モヤモヤとした何かが胸に残り続けていた。

 詮索するな。殺してみせろ。口にすれば安っぽい挑発のようなのに、あいつが吐くだけで抗えない鉄の掟のように感じてしまう。

 それに乗ってるのは私だけど……動かされるだけの立場というのは、腹が立って仕方ない。


「カリスが心の内を晒すことはないよ」


 一部始終を見ていたアルトは、やっぱりという表情で告げた。

 彼も魔王と同じで私を動かす側だけど、何も分からないあいつよりは、耳を傾ける価値のある言葉をくれる。今のところは味方だと信じられる行動をしているし。


「十二年前……王位を継いだ戴冠式を最後に、カリスは個人を捨てた。彼はただ、理想の王として国を背負っているだけだよ」

「個人を……?」

「文字通り、彼の行動は国が全てだ。だから個人としての思いや願いがあったとしても、彼は誰にも本音を語らない」


 それって、死んでるのと同じじゃないの? 国に縛られて、王の椅子に囚われて、何をすることもできないなんて。

 私を見過ごすことも国のため? それとも、あいつ自身の思惑があるのか……正直、どんどん分からなくなる。


「まあ、だからこそ興味があるよ。最強、完璧な王である彼を、君がどう攻略するのか」


 アルトは目を細めて笑みを浮かべた。勇者と魔王という殺し合うべき関係を、彼はまるで遊戯の盤面でも眺めるように楽しんでいる。

 攻略って、そんな簡単なものじゃないと思うんだけど……もっと殺伐としたやり取りをしてる勇者と魔王だよ、私たち。


「真っ向勝負で彼には勝てない。なら、もっと根本的な弱点を突くべきだと思わないかい?」

「弱点……汚れとか、虫じゃないよね」

「ああ、私は十年かけても掴めていない。だからこそ、異分子である君には期待しているんだけど……まずは状況をどうにかしないといけないね」


 その言葉にハッとさせられる。明日からはどうする? 路地裏に戻れば、また数分で埃にまみれる。そうなれば、私は二度と城に入れないだろう。

 まじないが通用しなければ、目的を果たす機会は永遠に失われることになる。


「でも、宿に泊まるお金なんてないし、潜入者の身でどうやって……」

「じゃあ、ここで働けばいい」


 ——は?

 思わずアルトを二度見した。当の本人は、相変わらずの笑顔で指にかけた鍵を回している。チャリチャリと音を立てて宙を舞うそれが、ひどく蠱惑的なものに感じた。


「ここなら毎日お風呂に入れるし、清潔な服も、装備を買う報酬も保障される。何より、公務の隙間を狙い放題だ」

「……正気じゃない。私はあいつの命を狙ってるんだよ?」

「灯台下暗しってね。不意打ちするのに、これ以上の手段があるかい?」


 悪魔のような、それでいて拒絶できないほど魅力的な提案だ。魔王の城で勇者が働く。冷静に考えれば狂っているとしか思えないし、死ぬほど屈辱的ではある。

 ただ、それ以前に——。


「……本当に信用していいの? 私を使って何がしたいの?」


 この協定は、信頼関係が前提にないと成り立たない。

 確かに感情を抜きにして考えれば、理にはかなっている。あいつが清潔を条件にしている以上、今の私にとって城内に留まる唯一の手段だ。

 でも、アルトは私を勇者として見ているのか、駒として見ているのかすらわからない。


「まあ、リンちゃんからすれば信じられないよね。枢軸院に身を置く私が、敢えて魔王の懐に暗殺者を潜り込ませるんだから」

「あんたの目的は? 何を考えてるの?」

「さっきも言ったよ。君が彼をどう攻略するのか気になるって。それと、彼がどう動くのかもね」


 魔王が出て行った扉を見やると、アルトはわざとらしくこちらに視線を戻して答えを待っている。

 どうやら、これ以上の答えは返ってこないみたいだ。明言は避けつつも、ただ私を魔王にぶつけたいらしい。

 

「とにかく、敵じゃないって認識でいいのね?」

「少なくとも、今は」


 アルトの思惑が最初と変わってないことはわかった。むしろ絶対とか、信じてとか、そういった言葉を使わない方が信用できる。

 どちらにしろ、今のまま路地裏に戻れば、二度とあいつの喉元に触れることすらできない。


「……いいよ、乗ってあげる。正直すごく悔しいけど、一人じゃ無理そうだから」

「ありがとう。仲良くなれそうで嬉しいよ」

「でも、本当に大丈夫なの? 不審者として捕まったりしない?」

「綺麗になるまじないはともかく、認識阻害は生きてる。指輪があれば人間だとバレはしないよ。不潔な勇者が勝手に現れるよりは、管理されて掃除をしている方が警戒もされないはずだよ」

「掃除なの? 私の仕事」


 不似合いな業務はともかく、状況は大きく変わった。

 あいつと毎日顔を合わせることになる。

 ずっと近くで隙を見張ることになる。

 そして何より、弱点を知ることができるかもしれない。


(悪くない。……いや、やるしかない)


 これは魔王を倒すための、究極の潜入任務だ。

 そう自分に言い聞かせて、私は小さく頷いた。


「じゃあ、明日からよろしくね、リンちゃん。君の新しい職場はこの城だ」

「よろしく。せいぜい、あいつの寝首を掻く準備をさせてもらうから」


 こうして、私の「魔王城勤務」という、前代未聞の復讐劇が幕を開けることになった。

 魔王を倒すため——そう、あくまで、それだけのために。

ついにここから、リンの魔王城生活が始まります。

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