↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/25

5話 反則

 助かった。その事実だけは疑いようがない。

 けれど、胸の奥に残ったものは安堵でも感謝でもなかった。

 言葉にできない熱が、喉の奥で引っかかって、どうしても飲み込めない。


「なんで、あんたがここにいるの。関係ないって言ったくせに!」

「オレの国を汚すゴミを片付けた。それだけだ」


 ようやくこちらを向いた魔王の瞳には、救ったことへの喜びも、悪を断じたことへの高揚もない。淡々と仕事を終えた事務的な冷徹さだけが、青い光の中に感じられた。


「お前こそ、そのなまくら一本で何ができると思っていた。それは勇気ではなく無謀だ」


 また正論だ。ぐうの音も出ないほど、あいつの言うことは正しい。

 私はサーシャを助けるために飛び出した。けれど、もしあいつが来なければ、今頃サーシャは連れ去られていたかもしれない。

 悔しい。こいつに助けられたことが……そして、自分の無力さをこれ以上ない形で突きつけられたことが、涙が出るほどに。


「……っ。分かってるよ、そんなこと……それでも私は、放っておけなかった」


 私の中にあったのは、それだけだった。

 正義とか、理屈とか、勝算とか、そんなものはどうでもよかった。ただ、泣いている人を見過ごせなくて……気付けば飛び出していた。

 至らないところは多い。でも、私にはそれ以外を選べなかっただけ。言葉にはできなくても、この男には感謝せざるを得ない部分が大きすぎる。


「お姉、ちゃん……?」


 腕の中から、小さな震えが伝わってくる。私はハッとして、抱きしめていたサーシャの顔を覗き込んだ。

 彼女は怯えきった目で私を見上げ、それから魔王の大きな背中を呆然と見つめていた。


「大丈夫だよ、サーシャ。もう恐い奴はいないから」


 汚れを拭ってやろうとしたけど、自分の手を見て慌てて引っ込める。

 こんな、返り血で赤黒く染まった手で、この子に触れない……サーシャはポロポロと涙を溢れさせながら、私の衣をぎゅっと掴んだ。


「ありがとう……ありがとう、お姉ちゃん。助けてくれて!」

「ううん、私は……何もできなかった。助けてくれたのは、あっちの——」


 言いかけて、言葉に詰まる。

 あいつは魔王だ。人間を虐げ、世界を歪めている張本人の……はず。

 けれど、目の前で声を上げて泣く少女にとっては、間違いなく、地獄から救い出してくれた存在だった。


「とにかく、よかった。本当によかった」


 もう一度、サーシャを強く抱きしめる。

 あの時、誰にも助けてもらえなかった私がその温もりを守れた。過程に問題があっても、それだけは事実だ。

 震える肩から伝わる体温が、少しだけ過去の記憶を解かしてくれたような気がした。


(あとは……)


 視線を感じて顔を上げる。魔王は少し離れた場所で足を止めて、こちらを静かに見下ろしていた。

 その瞳には、さっきまでとは違う深い光が宿っている。

 身構える私を無視して、魔王は小さく鼻を鳴らした。


「不愉快なほどに真っ直ぐだな。お前は」

「……なによ、藪から棒に」

「オレがここにいる理由がわからないと言ったな。……強いて言うなら、お前と同じだ」

「同じ、って……あんたが、私と?」


 それが何を指すのか、きっと全ては理解できないと思った。それ以上は語らず、話す気も無いのだろうから。

 魔王はゆっくりとこちらへ歩を進めてくる。一歩、また一歩。その威圧感に気圧され、私は思わずサーシャを庇いながら後ずさった。

 やがて目の前で足を止めると、魔王は私の目を見てはっきりと口にした。


「俄然、お前に興味が湧いた。勇者……いや、リン」


 その言葉に、思わず面食らった。

 興味。こいつの口から出た、初めての肯定に近い響き。

 もしかして、少しは私のことを見直してくれたんだろうか。期待なんてしたくないのに、わずかな高揚感が喉を焼く。


「……っ。興味って何よ。お礼なら言わないけど」

「不要だ。後始末はじきに来る衛兵がするだろう」

「衛兵が……って、やばいじゃん! 逃げないと!」


 これだけ派手にやった戦闘だ。痕跡が悪い意味で目立ち過ぎるし、残った魔力の残滓も凄まじい。

 北の片隅とはいえ、王都の中で魔王が直々に手を下したのだから、すぐに衛兵が駆けつけるだろう。顔を覚えられるわけにはいかない!


「あっ……サーシャ!」

「わ、わたし。お父さんが……」


 一人なら逃げられる。でも、同じように隠れ住むサーシャとその父はどうなってしまうのだろう。重傷を負って気絶している父親とサーシャが、逃げられるわけがない。

 この王都に隠れ住む人間たちは、厳密には不法居住者だ。見つかればどうなるか——。


「難民、だな?」

「……え?」


 唐突な魔王の問いに、サーシャがびくりと肩を震わせた。


「お前達は、この男の取引で連れてこられた難民の親子……そうだな?」

(ま、魔王? ……こいつ、なんのつもり?)


 私達が不法な存在だということは知っているはず。

 難民。そう言ったの? こいつは。


「国の不始末、つまりオレの不始末だ。奴隷売買などという前時代の遺物を放置したツケを、ただ生きる民に払わせるつもりはない」

「…………」

「この者達は取引の被害者として保護させ、然るべき住居と職を与える。巻き込んだ詫びだ。それで文句はないだろう」


 思わず、息を呑んだ。

 保護。私がどれだけ願っても、潜入者の身では与えてやれなかった、この親子にとっての本当の救済だ。

 なんで……どうして?


「あんた、魔王でしょ。人間なんてどうでもいいんじゃないの?」

「国の全てを背負うのが王の役目だ。ゴミを片付け、淀みを正す……それがオレの正義だと言ったら、お前は笑うか?」


 その顔には迷いが無くて、堂々としていて、なによりまっすぐな目でこっちを見ていた。

 なにそれ、全然魔王らしくない。理想の王様みたいなこと言って……。

 でも、目を見ればわかる。こいつの語る正義は演技でも偽物でもない。わかるからこそ……悔しいけど、その正義はかっこいいと思う。


「……笑わないよ。……ありがとう」


 消え入りそうな声で、初めてお礼を口にした。

 そして、返事も無いままに衛兵の鎧が擦れる音が聞こえてくる。

 私にとっての終わりで、この子達にとっての救済の足音が。


「っ……サーシャ、お父さんと一緒に衛兵さんのところに行くんだよ。もう隠れなくていいからね」

「お姉ちゃん……! ありがとう、大好き!」

 

 サーシャを父親の元に向かわせて、私は闇に紛れてその場を離れた。

 屋根を伝って逃げる中、背後の方では衛兵達が救護の準備をしている会話が聞こえてくる。本当に……魔王が約束を守ったんだ。


(……あんなの、反則でしょ)


 魔王のくせに。傲慢で冷酷な支配者のくせに。

 あの日、誰も助けてくれなかった私にとって、それは一番欲しかった「正解」だった。

 部分的にであれ、あいつをかっこいいと思ってしまった自分が情けない。けれど、同時に胸の奥が熱くなるような、奇妙な高揚感が消えなかった。


 心臓がざわつく。頭の奥から、あいつの目が離れない。

 あの魔王が、私を認めた。興味があると言った。

 そして、私もあいつを認めてしまった。部分的にではあるけど。

 私は……そんなあいつを、殺さないといけない。


 ◇ ◇ ◇


 転がり込むように、私はねぐらへと帰り着いた。

 王都の外れにある路地裏に作り上げた、簡素な一室。拾ったボロ布や戸板で補強しただけのガラクタ部屋だけど、この都市で唯一の安心できる場所。

 いつもなら落ち着くはずなのに、今日はなぜか、ここがひどく惨めな場所に思えた。


「疲れたな。色々と」


 安物のなまくらを放り出し、寝床に敷いたボロ布に倒れ込む。

 明日から、どんな顔をしてあいつを殺しに行けばいいのか。殺意とも言い難い、名前のつかない感情が胸を満たしていく。


「……うん、もう寝よう」


 考えるだけ無駄だ。目的は変わらないし、別にあいつに心を許したとかじゃない。

 それに今は死ぬほど疲れてるから、すぐ眠れるはずだ。重い瞼を閉じると、意識は深い眠気の中に落ちていった。




「——信じられん。よくもこんな不潔な場所で安眠しようと思えるな」

「……えっ!?」


 刹那、全ての眠気が吹き飛んだ。

 跳ね起きると、唯一の家具である椅子の側、部屋の隅にあり得ない人影が立っていた。

 すっかり見慣れた、そして今、一番会いたくなかった張本人。魔王カリスだ。


「なっ……! な、なんであんたがここにいんの!」

「今回の件で、調査のついでに不法居住区の実態でも見ようと思っていたが……こんな路地裏でお前の住居に出くわすとはな」


 乙女の寝床という究極のプライベート空間、安心のパーソナルスペースは、この無粋な男に一瞬でぶち壊された。完膚なきまでに。

 一方で魔王は、黒い外套をこれ以上ないほど不服そうに翻して口元を覆い、眉間に深すぎる皺を刻んでいる。


「それより何だ、この空間は。お前はドブネズミの親類か? 浮遊する微細な塵、壁にこびりついたカビ、オレの肺が拒絶反応を起こしている」


 魔王が、汚物を見るような目で私を睨みつけている。

 いや、空気がおかしい。さっきまでの雰囲気と違いすぎる。興味が湧いたって言ったよね?

 圧倒的なまでの威圧感が、急に掃除にうるさい姑みたいな存在感に塗り替えられていく。


「失礼でしょ! 潜入者の隠れ家なんて基本こんなもんだよ!」

「百歩譲って、立地や設備が悪いのは仕方ないと認めよう。わかってもいた。……が、よもやここまでとはな。雑菌の温床か」

「は、はあぁ!? 潜入のために臭い消しのハーブだって使ってるし、塵も落とさないようにこれでも気を使ってる方なんだから!」

「なら床の隅に蠢いているあれも、お前の言う"基本"に含まれるのか?」


 魔王の視線の先には、部屋の隅をカサカサと横切った小さな影……ああ、アレか。

 正直、私だって好きというわけではない。汚いし、病気を持ち込む可能性もある。でも、潜入においてあんなのは可愛い同居人みたいなものだ。

 それより、どこか魔王の様子がおかしい?


「……あんた、もしかして虫が嫌いなの?」

「……嫌い、ではない。学術的に、生物的にはむしろ興味深い。……だが、不潔を好む者がどこにいる」


 こいつ、ほんの少しだけ声が震えなかった?

 ここ数日で飽きるくらいに、こいつの罵倒と説教は聞いてきた。今の一言には、感じたことのない揺らぎがあった。

 世界の頂点。指先一つで魔族を塵にする男が? 魔王の格が、私の中でガラガラと音を立てて崩れていく。……面白いじゃん、こいつ。


「へ、へぇー。無敵の魔王が、たかが虫一匹にビビってるんだ? 意外と可愛いとこあるんだね」

「黙れ。汚いと言っているだけだ」

「いやいや、そうだよねー。まさか魔王があんな小さな虫に……あっ、もう一匹!」

「っ……!?」


 指差した方向から咄嗟に離れる魔王。

 その光景を見て、思わず笑いが漏れそうになる。今まで散々な言われようだったし、これくらい調子に乗ったっていいはずだ。


「決めたぞ」


 でも、そう思っていたのは私だけで……魔王の瞳に冷たい光が戻る。

 ただし、今度は冷徹さではなく純粋な嫌悪だった。


「今後、不潔な姿でオレの前に現れるな。そのままなら城の敷居も跨がせん」

「……え?」


 あまりに無慈悲で、そして当然の要求が告げられる。

 そこで私はようやく思い出した。今の状況において、生殺与奪の権を握っているのは魔王の方だったと。


 ◇ ◇ ◇


 北区4ー1倉庫にて。

 衛兵達がサーシャ親子を保護し、拘束された魔族が連れられていく。

 その様子を、屋根の上から見下ろす男が一人。月明かりに揺れる白い外套に、一束に纏められた金色の長髪。風に揺れるその背は細身で戦士のそれではない。

 だが、その立ち姿には不思議な重みがあった。


「……なるほどね」


 誰に聞かせるでもなく、男は小さく息を漏らす。

 視線の先には、戦闘の痕跡に生々しい爪痕——魔王が自ら動いたことを証明する光景が広がっている。


「まだ未熟で無謀。しかし……彼が自ら動いた。彼女が動かした」


 白手袋に包まれた指先が、顎に触れる。

 その横顔は穏やかだった。救われた者達の笑みと涙を見て、わずかにその口元が緩む。


「想像以上だ。期待してるよ、勇者ちゃん」


 次の瞬間、男の姿は風に溶けるように消える。まるで最初から、そこに存在しなかったかのように。

 やがて王都の夜は、何事もなかったかのように静まり返っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。