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4話 救いの形

 石畳を駆ける足音が、無機質に響いては消える。城を飛び出した私の視界は、胸から溢れる熱で滲んでいた。


(なんなの、あいつ!)


 結局、逃げ帰ることしかできなかった。しかも潜入に使う抜け道を戻って、誰にも気付かれないように脱出した事実が、追い討ちのように惨めな気分にさせる。

 一番悔しいのは、あいつの言うことが正論だと分かってしまうことだ。私が叩きつけた言葉は、結局のところ何もできない自分への呪詛でしかない。


(こんなんじゃ、あいつに勝つなんて無理だ……)


 いつしか夕陽が溶け落ちて、街灯の魔石が青白く灯り始める。昼間の賑わいが嘘のように、夜の路地は冷たい空気に包まれていた。

 表通りでは魔力炉の淡い光が運河の縁を照らし、魔族たちが喧騒の中でそれぞれの理想や幸せを謳歌している。

 平和だ。反吐が出るほど、この街は美しく、そして歪んでいる。


 重い足取りで、表通りを避けるように裏路地を進み続ける。冷たい夜風が汗を吸った衣を冷やし、体温とともに覇気まで奪っていくようだった。

 このままねぐらに帰って、ボロボロになった心をなだめて眠る。明日になれば、また日銭のために魔物を狩る日常が待っているだけ。……そんな、諦めにも似た思考を、聞き慣れない音が切り裂いた。


「——さん……っ!」


 喧騒の隙間、湿った路地の奥から聞こえてきた微かな響き。聞き間違えようのない、幼い子供の悲鳴だ。

 ハッとして現在地を確認する。闇雲に走ったつもりが、いつの間にか北区に入り込んでいたらしい。


(嘘。ここで、今……?)


 嫌な予感、というよりは確信に近いものがあった。魔王が認めたばかりの噂が、今まさに暗闇の中で形を成そうとしている。

 胸の奥がざわついて止まらない。

 あの時、誰も来てくれなかった。

 あの時、誰にも届かなかった。

 ここで私が耳を塞いだら……あの時、私を見捨てた世界と何が違うっていうのさ。


「……っ、間に合って!」


 足の震えを、無理やり蹴り出す力に変える。

 勇者としての義務感なんて高尚なものじゃない。ただ、あの時の私のように、誰かの掌を求めて泣いている子供を見過ごすわけにはいかなかった。


 ◇ ◇ ◇


(見つけた!)


 声がした場所の近くまで来ると、静まり返った夜に不似合いなやり取りが続いていた。

 人気の無い倉庫街。幾つかの人影が、叫び声を上げて揉めている。咄嗟に建物の陰へ姿を潜めて、様子を窺うことにした。


「騒ぐんじゃねえ! まだ痛い目に遭いてえのか!」

「やめてくれ! 頼む、子供だけは……!」

「お父さん、お父さん!」

(っ……サーシャ!)


 脇に彼女を抱えて怒鳴っている大柄の男は、脅すように魔力を右手に込めている。魔族であり、恐らくは人攫いの実行犯だろう。

 その足元にはサーシャのお父さんが縋り付いている。血まみれの左腕は既に動かないのか、右手だけで大男に食らいついていた。

 この光景は、前にも——。


『お父さんっ! お父さんっ!』


 っ……心臓が、暴れる。思うように呼吸ができない。

 震えを、止めないと。過去と今は違うのに。

 あれは、私じゃないのに……!


「!……おいっ、誰だ!」

(まずい、バレた!)


 呼吸が荒くなったせいか。あるいは余裕がなくなっていたのか。男がこちらに気付いた。

 くそっ、不意打ちはもう無理だ。体も思うように動かないし、これじゃ満足に戦えない。

 それでも、逃げ出すわけにはいかない。私が逃げれば、あの子にかつての私と同じか、それ以上の思いをさせることになる。

 そんなこと、させない。私は、あの時とは違う……勇者だ!


「っ……たあぁあ!」

「はっ、バカ正直に出てきやがった!」


 陰から飛び出すと、男は意識を失ったサーシャの父を、路地の隅に蹴り飛ばして構えた。

 倒し切ることはできないし、手持ちの武器も少ないけど、この状況を打破することはできるはず!


 ナイフを魔族の顔面に投擲して、それを追従するように一気に間合いを詰める。

 魔族も反応して避けるけど、こんな見え見えの牽制……それは想定通りだ。避けた先に更に剣を投げつつ、接近する速度を上げる。


「おっ……と。そうはいかねえよ!」


 魔族は僅かに体勢を崩しながらも、余裕でそれを掴み取る。

 私が投げた剣に、魔王が投げた時のような速度は無いから、当然の結果だろう。

 でも、それで十分だ。一瞬でも片腕を塞いで隙を作れたのなら、目的は達成できる。


(大丈夫、通用する! あいつと比べれば隙だらけだ!)


 相手が遅く、体が軽く感じる。……悔しいけどこの数日は身になっているらしい。

 剣を構えられるよりも速く、更に速度を上げてその反対側の脇下をすり抜ける。


「何だか知らねえが、邪魔すんなガキ!」

「遅い!」


 本命の長剣を腰から抜き、すり抜けざまに一閃。魔族の左腕を肩から落として、抱えられているサーシャを解放しようとする。……が、鈍い衝撃が痺れを伴って手首まで響く。

 肉を断つ手応えは、硬い骨を砕いたところで止まった。思っていた以上に硬く、そして重い。


(……っ、なまくらが! これじゃ浅い!)


 せめていつも通りに動ければ……いや、切り替えよう。剣を引いて背後に回り、数本のナイフを首から腰にかけて一気に投げつける。

 ナイフは深々と男の体に突き刺さったけど、それだけだ。肩と背の傷から大量の鮮血を撒き散らしながらも、魔族はサーシャを手放すことなく抱え続けていた。

 何度見ても異様な光景だ。魔族の腕は煙を発しながら、ゆっくりと形を取り戻していく。


「……やっぱり、そうなるよね」

「てめえ、目的はなんだ」

「決まってるでしょ、その子を助けるの。今すぐ放しなさい」

「放すわけねえだろ。こいつは大事な収入源だ」

「なら……徹底的に戦うだけよ」


 どうやら本気で殺し合わなきゃいけないらしい。

 怯えた目でこっちを見ているサーシャは、声も出せずに震えている。

 大丈夫。必ず助けるから!


「生意気なんだよ、ネズミどもが!」

(っ……やるしか、ない)


 サーシャの前で殺し合いなんて、本当はしたくない。

 でも、こればかりは仕方ない。そう割り切って、剣を構えた瞬間——。


「……っ。何、これ……」


 空気が凍りつく。

 一つの存在を恐れて、世界そのものが息を呑んだかのように、周囲から音が消えた。背後からは、心臓が握り潰されるような重圧を感じる。

 抱えられたままのサーシャは、小さな肩を震わせている。魔族の男は、叫ぶことも剣を振り上げることもできず、不自然な姿勢で固まっていた。


「……魔王?」


 自分の声なのに、ひどく遠く聞こえる。背筋を伝う寒気が、振り返るよりも先に答えを教えてくれた。

 カリス・スペルビア。この国の主にして、絶対の化身である男が、そこで静かに立っていた。


「誰の国で、奴隷など扱っている?」


 低く、淡々とした声からは、大きな感情の起伏は感じられない。強いて言うなら、怒りが籠っている気がする。

 けれどその一言だけで、この場にいるすべての存在の生死が決まってしまう。そんな確信だけがあった。


「ま、まお……」


 さっきまで威勢の良かった魔族が、がたがたと膝を震わせている。顔からは血の気が引き、再生しかけていた腕の煙さえも、恐怖に屈したように霧散していた。


「オレが敷いた法を破り、国の在り方に背いたのだ。相応の報いは受けてもらうぞ」


 魔王は歩み寄ることすらせず、そこに立っている。

 ただ、圧は強まるばかりだった。あいつが言葉を発するたびに、周囲の石畳にピシリと亀裂が走る。

 放出される魔力の密度があまりに高すぎて、まるで空間を押し退けているみたいだ。


「う、ぁ……こ、これは、その! 違うんだ、商売で、請け負っただけ——!」


 言い切る前に、魔王が静かに右手をかざす。


「オレの視界で、ゴミが囀るな」


 次の瞬間、空気が爆ぜた。

 不可視の重圧が魔族をその場に縫い付ける。まるで巨大な何かに押し潰されるように、その下半身が圧壊した。


「ガ、ぁ……っ!?」


 悲鳴すら許されない。血液の飛散すら許さない重力場の中で、その体は拘束魔法陣に捕らわれる。

 一瞬だった。理解する暇すらないまま、事を終えて手を下ろす魔王。

 その傍、他から隔絶された白い空間に守られながら、魔族の腕から逃れたサーシャが地面に転がった。


「——はっ、サーシャ!」


 反射的に駆け寄って彼女を抱きしめ、その目を覆う。

 これは、子供に見せてはいけない。あまりに刺激が強すぎる。


「終わったぞ」


 魔王の冷淡な声が響く。ゆっくりと顔を上げると、そこにあるのは酷い惨状だった。

 抉り取られた石畳。

 半身だけになり、沈黙したまま拘束されている魔族。

 そして魔王は何も言わず、その場に佇んでいる。


 不意に、胸の奥が軋んだ。

 泣き叫んで、助けを求めて。

 それでも誰にも届かなかった、幼い頃の記憶が重なる。


(……こいつが)


 サーシャを……私を、助けたの?

 分からない。

 分かりたくもない。

 一つ確かなのは、あの日に私が一番欲しかった救いの形を、よりによってこいつが実現したということだった。

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