3話 同じ
「——、ん……」
ふと、目が覚めた。不快感に急かされて体を起こすと、寝汗がどろりと肌にまとわりついている。
辺りを見回すと、視界に映るのは人も寄り付かないような路地裏。この王都に潜入してから、私が隠れ住んでいるねぐらだった。
まだ日は昇っていない。すっかり喧騒は止んで、夜中の街は静まり返っている。
普段は警戒しながらでも、何も起きなければ夜明けまで眠っていられるのに……。
(……昨日のあれを見たからか)
まぶたの裏に、昨晩の光景がべっとりと焼き付いて離れない。
あれを見て、普通でいられる方が変だ。未だに気分の悪さが抜けきらない。
(でも、あんな"再生"が許されるなら……)
同時に、どこかでそれを羨んでしまっている自分がいる。思い出して後悔するのも何度目だろう。
命が粘土細工のように修復できるものだというのなら、どうして私の両親は土の下で動かないままなの?
同じものを望みたいわけじゃないのに。拭いきれないやるせなさに、奥歯を噛み締める。
「……うん、もう動こう」
ひとまず、切り替えよう。どちらにせよ、こんなジメジメした思考は私に似合わない。
冷たい水で顔を洗う。夜の闇を振り払って、無理にでも行動を開始することにした。
◇ ◇ ◇
日も昇って、人々が目を覚ます頃になると、徐々に辺りが賑わいを見せてくる。
双塔がそびえ立つ王城——魔王の居城を中心とした、城塞都市フレッツ。スペルビア王国の心臓部は、私の村がいくつ入るか想像もつかないほどの大都市だ。
魔族の魔力で稼働する炉と、網の目のように巡らされた運河。その上を渡る跳ね橋。
石造りの街並みを彩る街灯。それらを整備する補修工事は、お世辞にも安全とは言えない、再生にかまけたものだ。
その全てが、この街を世界最大の都市にしている。人間一人が呑み込まれるには十分すぎるほどの。
(でも……この眩しさも、賑やかさも、魔族のものだ)
この街にはなんでもある。ただ、人の身には対価は大きい。生活も尊厳も、命懸けで守らないと生きていけない。
もちろん私自身も、この街に潜入して生活している以上は、同じ問題が付きまとう。
ともなると、不法滞在をしている人間が稼ぐ手段は限られているわけで——。
「はいよ、リンちゃん。今日の取り分ね」
「うん、ありがと!」
表通りの賑わいから見捨てられたような裏路地。その一角にひっそりと構える非正規の冒険者ギルドで、こなした依頼の報酬を受け取る。
この都市に潜入して半年、裏仕事で食いつなぐのが日常になっていた。古びたカウンターで依頼書を整理する老人からも、すっかり孫娘のような扱いだ。
この街に潜り込んで生きる人間は、意外なほど多い。私が生活の基盤にしているのも、そういった人々からの依頼が大半だ。
今日も早朝から魔物を狩り、その皮を剥いで納品した。手に入ったのは、ざっと見積もって三日分の生活費。失った装備を買い戻すには全然足りない。
「じゃあ次の依頼でも……って、北区だけ依頼が多い?」
依頼書の並ぶ掲示板を眺めていると、やたらと北区の依頼が目立つ。商人の倉庫街ってイメージだけど、何かあったの?
「ああ、人探しの依頼だよ」
「まさか、人攫いが?」
「最近は法すら無視する奴らが出るらしい。お前さんみたいな若い娘は、高く売れる。気をつけるんだよ」
「う、うん……ありがと」
北区は避けよう。背筋が冷たくなる言葉を受けながら、重い足取りでギルドを出る。
魔族の世において奴隷は公然の存在だ。事実、外の世界では父もそうやって奪われた。
それでも、国には一定の法がある。あの魔王が敷いた法というのは癪だけど、ここでは奴隷の扱いは禁じられていた。
それが平気で破られている。目的を果たすどころか、そんな蛮行に怯えて暮らす現状が、無性に腹立たしい。
「はぁ……いつまでこんな生活なんだろ」
計画は頓挫して、装備もほとんど失った。魔王が返した剣はボロボロだったし、中古のなまくらを数本買っただけですっかり金欠だ。
かといって、目的と手段が逆転することだけは避けたい。このまま日銭を稼ぎながら、街の隅でその恩恵に飼いならされるなんて、それこそ死んでも御免だ。
(でも、どうすればあんなバケモノに勝てるっていうのさ)
仇敵が用意した盤面の上で踊らされている。情けなさに溜め息が出る。
俯き加減で歩いていると、足元に影が伸びてきて——。
「お姉ちゃん、暗い顔してどうしたの?」
「うわっ!」
不意に視界を埋め尽くした、白い肌と大きな瞳。慌てて距離を置くと、亜麻色の髪を揺らす少女が、不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
サーシャ・ベネット。ここで暮らすうちに懐かれてしまった、同じように隠れ住む人間の少女だ。
「サーシャ、こんな明るい時間からどうしたの?」
「今日は買い物の付き添いだよ。お姉ちゃんは?」
「あ、えーっと……まあ、色々あるんだよ。色々ね」
返り討ちに遭って金欠だなんて、格好悪すぎて言えるはずもない。……まあ、あいつは言い訳が許されるくらいの反則とは思うけれど。
誤魔化すように笑っていると、サーシャが私の手をじっと見ていた。よく見ると指先に小さな傷が残っている。
「指、ケガしてる」
「ホントだ。……ま、大丈夫でしょ」
「ダメ、バイキンが入っちゃう」
サーシャは古びたポーチから小さな絆創膏を取り出すと、ぎこちない動きで傷に貼ってくれた。
安いものじゃないのに……そんなことも気にせず笑うこの子は、心から優しい子なんだと思う。
「これで大丈夫だよ、無理しないでね」
「あはは、ありがと……それより気をつけなよ。最近北の方が物騒みたいだから」
「うん!」
露店に並ぶ父親の元へ走っていく姿に、かつての自分が重なる。父が生きていた頃は同じくらいだったからか、どこか懐かしさと寂しさを感じてしまっていた。
同時に、あれくらいの子供が狙われやすいことも嫌というほど知っている。悪い噂も耳にするし、注意してほしいものだ。
(奴隷商人の噂、本当なら放っておけない)
もちろん、ここにいる目的は魔王を討つことだけど……目の前の小さな命が、懸命に明るく生きている。それが脅かされようとしているのは見過ごせない。
この国で情報の集まる場所……それは皮肉にもあいつのお膝元だ。
(……また、戻らないとダメか)
どうにも私は、あいつに向かい続ける運命らしい。
けれど、あの小さな掌の温もりを思い出すと、立ち止まることはできなかった。
◇ ◇ ◇
「何の用だ」
玉座に座したまま、魔王は手元の書類から目を離すことすらなく、背後の柱に隠れていた私に告げる。
どうせ侵入するなら奇襲しようと思ったものの、今回は仕掛けるまでもなく気づかれてしまった。手を抜いたつもりはなかったのに。
「……なんで分かったの?」
「殺気を漏らしすぎだ。隠れるならもっと上手くやれ」
諦めて姿を現すと、魔王はようやくこちらを向いた。
青く鋭い双眸が射抜くように私を捉える。
「で、その割には腑抜けた顔をしているな」
「腑抜けって……」
「お前の剣には憎しみこそあれど、迷いは無かった。今は覇気も感じられん」
鋭すぎる指摘に言葉が詰まる。まるで全てを見透かされているような気分だった。
こいつこそが諸悪の根源なのに。魔族の頂点に立つ男に、人間の窮状を訴えてもという気持ちもある。
ただ、犠牲になるのは私だけじゃない。
黒い噂。サーシャの温かな掌と、頭を過ぎるかつての自分。そして昨夜の光景。
ぐちゃぐちゃになった感情を整理できないまま、気づけば問いかけていた。
「……奴隷商人」
「ん?」
「法を破って人を拐う商人の噂、王都で流れてる。……本当なの?」
魔王は一瞬だけ無言になった。
別に、解決を期待していたわけじゃない。けれど、知らなかったと言ってくれれば、まだ少しはマシだったのかもしれない。
「……事実だ。既に噂程度にはなっているか」
あまりに淡々とした肯定だった。
私が必死に悩んでいたことを、頭の奥にチラつくあの光景を……こいつは、呆気なく既知の事実として片付けた。
その態度が、胸の奥に燻っていた火を燃え上がらせた。
「知っていて、あんたはここで何をしてるの? そんな紙切れを読んでるだけで……あんたが決めた法なんじゃないの?」
「オレが何を知っていようと、お前には関係のないことだ」
「連れ去られた人が、奴隷がどうなるかわかってる? 尊厳も、肉親も、何もかも奪われるの。二度と元には戻れなくなるのよ!」
「……ああ、知っている。で、何が言いたい。勇者が魔王に助けでも請いに来たのか?」
「っ、そんなわけないでしょ!」
悔しいけど、魔王の言葉は正論で、冷たい。私の言葉も、子供の我儘程度にしか聞こえていないんだろう。その事実が何より屈辱だった。
すべてを変える力があって、私を泳がせる余裕と時間もあるのに、足元で泣いている者たちは無視して……その態度は何?
「あんたこそ、何がしたいわけ!? 何も変えようとしないくせに、偉そうにふんぞり返ってるだけで!」
「…………」
「私を泳がせて楽しんでるつもり? 遊びに来てるんじゃないの! お父さんもお母さんも死んじゃって、なのにあんたは今も生きてて、何も変わらない……!」
一度溢れ出したものは、もう止められなかった。
全部が頭の中で混ざり合って、言葉として連なっていく。
「何もせず偉そうなあんたも、あんたを殺せない弱い私も、何も変わらないこの世界も……全部、全部大っ嫌い……!」
最後の方は、叫んでいたのか泣いていたのか自分でも分からなかった。
その返事を聞く勇気も、奴の顔を見る余裕もなくて……結局そのまま、私はその場から飛び出すしかなかった。
◇ ◇ ◇
静寂が、玉座の間を埋め尽くす。
カリスはしばらくの間、閉じられた扉から目を離さなかった。
やがて手元の書類に視線を落とし、上から何枚か捲り上げる。そこには一つの座標が記されていた。
【北区 4ー1倉庫】
「同じ、か」
低く呟くと、報告書の束を整えて脇の机に置く。音も無く立ち上がると、光に包まれてその場から消えた。
主が去った玉座に、冷たい風が吹き抜けた。




