2話 歪んだ世界
後半、過激な表現あります。
苦手な方は注意。
幼い頃に読んだ書物。埃まみれで書棚に放置されていたそれは、勇者の活躍を綴った記録の一部だ。
気付けば埃を払い、関連する伝記を読み漁っていたことも懐かしい。しかし……歴史に触れるうちに、違和感が膨らんでいく。
『これが、この世界の歴史……?』
生命の起源と言われる世界樹。その化身である女神は、勇者に魔を祓う聖剣と加護を与えた。
やがて勇者は魔王を倒し、役割を終えた聖剣を樹に返す。世界に祝福の光が満ちて、物語はめでたしと締められている。
だとしたら、この悪意に満ちた現実は一体何だ。
めでたしめでたし? これが本当に望まれた理想だというのだろうか?
それらの書物にある結末は、この世界の在り方とは明らかに矛盾していた。
『おかしい。こんなのは、違う』
命の価値が軽んじられる常識が、当たり前として受け入れられている。これがめでたしで終えた物語の先だとは到底思えなかった。
それでも時は進んでいく。一人の子供が違和感を持ったところで、世界中の当たり前を覆せるわけではない。
諦観していた。
いつかは変わればいいだなんて、そんなものは夢見がちな子供の理想に過ぎないのだと。
そう、あの日までは——。
◇ ◇ ◇
王城の東翼、その一階にある魔王の執務室。
こうして様子を窺うのも何度目になるだろう。陽も落ちて薄暗くなりつつある中、書棚の影に身を潜めてナイフを構え直す。
部屋は静かで、窓から差し込む夕日が執務机を照らしている。魔王は机に向かって手元の書類に目を通していた。
行方不明者数の推移、治安に関する報告、議会の書類。この距離だと細かい内容までは読めないけど、それなりに意識を割くものではありそうだ。
チャンスは一度きり。次の書類を捲る瞬間。あと3秒。2、1……ここだ!
(覚悟!)
ガラ空きのうなじに狙いを定めて、限界まで気配を消して背後から仕掛ける。
絶好のタイミング。かつ絶好の位置関係で仕掛けたはずだった……はずだった。
「埃が立つ。そこは掃除したばかりだ」
「っ……!?」
書類から目を離すことすらなく、振り返らないまま片手でナイフを受け止められた。
どこから仕掛けても、死角をとれてる気がしないんだけど。相変わらずどういう感覚してんの、このバケモノ!
「でもっ、まだ!」
停止空間に格闘術、この間合いは詰み要素が多過ぎる! すぐにナイフを手放して、その場を跳んで危機を脱した。
「少しはマシになったが、こういうのはどうだ?」
ナイフを手放し、魔王の指が輝く。それぞれの指から光が伸びて、反応できない速さで私の全身に絡みついた。
とんでもなく高純度、私には適性が無い光属性の魔力……ダメだ、断ち切れない!
ぐんっと引き寄せられて、そのまま拘束魔術で体を空中に固定されてしまった。魔王は小さく息をついて書類を読み続けている。
「今日も背後からか。芸が無いな」
「だって、意識の外から殺さないと復活するじゃん。魔族ってだけでズル過ぎでしょ」
「……そうだな。で、ここからどうする?」
今の、一瞬の間は……? いや、そんなことはどうでもいい。
催促してくる魔王に張り合おうとも思ったけど、今できることはせいぜい睨み付けることくらいだ。
不意打ちの機会を失った時点で、もうこいつは殺せない。
「……はいはい今日も負けました。早く降ろしてくれる?」
残念ながら、今回の暗殺も失敗だ。
どうしてこんなことになっているのか。拘束を解かれて床に降りながら、頭によぎったのはあの日のことだった。
『魔王として何度でも返り討ちにしてやると言っているのだ』
『……は?』
あの意味不明な提案から三日。魔王を襲撃しては失敗する日々が続いていた。
そもそも、提案の意図は全く理解できないままだし……何なの? 戦闘狂なの?
もちろん大人しく受け入れたわけじゃない。舐め切った誘いなんて突っぱねようと思っていたけど——。
『今日はもう逃がしてやるって、そう言いたいの?』
『その程度で強がっても滑稽だ。それとも、この場で死ぬか?』
『っ……!』
悔しいけど、紛れもない事実だ。屈辱を感じながらも言い返せなかった。
ただ、相変わらずの態度に腹が立ってしまって、気付けば目の前まで踏み込んで啖呵を切っていた。
『あんたの目的なんて知らないけど……私は絶対に諦めたりしないから!』
今のままでは勝てない。認めたからこそ、その場は大人しく逃げ帰るしかなかった。
そして今、結果的にはこうして魔王の思惑通りになってしまっている。あの場で見逃されたのは幸運だと思う反面、何度も敗北を繰り返すのも複雑だと思う。
「今日で三日か。収穫はあったか?」
「……うっさい。まだだよ」
「手の内は晒しているつもりだが、先は長いな」
書類を読み終えたのか、ようやくこちらを向いたと思えば説教のような問答が始まった。
実際その通りではある。覚えたことは停止空間の対応、魔王と同様の剣の扱い。そして今見た、拘束の解除もできるようになったくらいだ。
けど、情報収集の成果が無いとは言い切れない。
まずは行動パターン。起床時間からの動き、日中の行動範囲から就寝に至るまで。こいつはとにかく規則正しい動きをする。
日が昇る頃に起床、湯浴み、軽食、読書、議会、また自室で昼食。
午後は自室周りの掃除、公務、書類の処理、報告を受けて指示を出し、夜は早めに休む。
まだ短い期間だけど、今のところはブレていない。……っていうか、なんで自分で掃除してんのこいつ。使用人すら、公務以外では部屋に入れようとしないし。
そして、基本こいつは単独行動だ。人嫌いなのか知らないけど、自分の行動範囲に人を入れることを好まない。
食事も食糧庫から持ってきて私室で食べるし、公務中も最低限、それ以外は基本的に一人で生活をしている。ついでに二十八歳というのもわかったけど、王にしては若過ぎると思う。
「最初の方が手応えもあったな」
「顔見られてるし、殺せないなら抵抗する意味ないでしょ。……っていうか、私の装備をダメにしたあんたが言わないでくれる?」
「なんだ、同じものが必要か」
「敵の施しを受けるつもりは無いっての……勿体ないとは思うけど」
「勿体ぶるくらいなら手配してやるが」
「要らないって言ってるでしょ!」
私の目的はこいつを殺すこと。提案に乗っているのは手段で、その線引きを曖昧にするつもりは無い。
今は我慢だ。歯を食い縛るほどに悔しくても、今だけはその心持ちで過ごすしかない。
「てか、なんで受け取ると思うわけ? 私、あんたを殺しに来てるんだけど」
「オレも暇ではない。少しは進捗が見られないと困るというものだ」
書類をヒラヒラと見せつけながら、これまた面倒そうに多忙さをアピールしてくる。
私としては隙を晒してくれて好都合だけど、また説教なら勘弁して……ん?
「困るって、なんで」
「……機会は与えてやってるのだから、成果を見たいと思うのは当然だろう?」
また、半拍の間。視線には別のものが混じっている気がするし、どこか含みのある言い方にも聞こえる。
それにしても、なんとも憎たらしい言い回しだ。やっぱりこいつのことは好きになれそうにない。
「なんにせよ、今日はこれまでだ。大人しく帰れ」
「なんでそんなことまで、あんたに言われなきゃならないの」
「お前は、オレ以外も相手に立ち回るつもりか?」
確かにその通り、夜は圧倒的に不利だ。就寝時を狙おうとも思ったことはあったけど、実際は警戒が厳しくてそれどころではなかった。
現状では、こいつ一人でも手に負えない。初日は完敗。二日目は私室の天幕から奇襲を仕掛けてみたものの、秒で対応されて失敗。そして今日はこのザマだ。
魔王はこうして戯れのように私を試しているけど、配下達も相手をするとなると話が変わってくる。躊躇なく私を殺そうとする魔族だっているはず。背に腹は代えられないか。
「今日は退くけど、いつか殺すから」
「自信がついたら、その時にはいつでも来るがいい。相手をしてやろう」
「せいぜい首を洗って待ってろ。この戦闘狂」
相変わらずの調子でそう告げる魔王を背に、今日も大人しく逃げ帰ることになった。
◇ ◇ ◇
「あーもうっ、どうすればいいんだろう。あんなのインチキ過ぎるでしょ」
すっかり夜になった城下町は、そんな愚痴も喧騒に紛れるほどの賑わいに満ちていた。
幸いにも、魔族と人間の外見差は殆どない。昔はもっとあからさまだったらしいけど……牙とか、角とか。今じゃ想像できないし、せいぜい魔力の波長や体の強度が違う程度だ。
すっかりボロボロになった衣も、辛うじて効力の一部を保っている。スカーフのように巻く事で人間だとバレない程度には効果があった。
喧騒の中を歩きながら、なんとなく掌を眺める。
勇者の力——これを頼りに、十二年も憎しみを燃やしてきた。
なのに、あいつに掠りもしない。勝てるイメージが全然できない。勇者なら……あいつを倒して、変えられるんじゃなかったの?
(ずっと、進んできたつもりだったのにな)
八歳の冬。勇者の力が宿って、旅立ちを決意したあの日。村外れの林で、昼の空を裂く流星の群れを見た。
気がつくと深い森で。見上げるような大樹の根元、光るものがあって。それに触れた瞬間、意識が途切れて……目を覚ました時には、元の林で倒れていた。
夢か現実か、朧げで曖昧な記憶。
力が宿ったのはそれからだけど、力だけしか確かなものは無い。村のみんなは、私に魔王殺しを期待してたけど。そもそも、私は本当に勇者なんだろうか。
自分で言ってるだけで、誰も私を勇者だなんて——。
『勇者リン。これから何度でもオレを殺しに来い』
いや、あいつのことは関係ない。あいつに勇者だなんて言われても、ちっとも嬉しくないし。
迷いを振り払うように顔を上げた。視界に広がるのは灯りと笑いに満ちた通りだ。
「……こうやって見ると平和なんだけどな」
でも、この裏側にどれだけの犠牲があって成り立っているかを知っていると、それが平和な光景だとは思えなかった。
路肩で酒を楽しむ人々も。
道行く幸せそうな親子も。
美しい街並みやしっかりと安全が保障された環境も。
どれも外の世界なら有り得ない。ここの魔族は、私たちが味わった苦しみとは無縁な生活を送ってきたんだと思い知らされる。
だからなのかもしれない。この平和をどこか認めたくないと思ってしまうのも。
「おい、危ねぇ!?」
突然聞こえた、思考を遮るような叫び。
視界に影が映り込んで、咄嗟に身を引いた。その瞬間——。
「グェッッ!?」
「……っ!」
同時に、潰れた悲鳴とともに眼前に落ちてきた塊。
辺りを染め尽くす鮮血が、私の足元にもまき散らされた。膝から下に気色悪い生暖かさが広がっていく。
飛散した肉体と、漏れ出すように溢れる臓器。数秒経って、それが魔族の死体だとようやく理解できた。
「うっ……」
猛烈な臭気と凄惨な姿に、思わず吐き気を催しそうになる。こればかりは何度体験しても慣れるものじゃない。
過去に魔族を殺したことはあったけど、それは目の前の人々を守るために仕方なくという状況だった。
『暗殺者には不向きな人格だ』
こんな時ばかり、あの男の言葉が蘇る。
覚悟が足りないと言われればそうなのかもしれない。敵対する種族であったとしても、こればかりは慣れたくもない。
いや、向いてなくて結構だ。そんな理由で、私の十二年を捨ててたまるか。
「おいおい大丈夫か嬢ちゃん」
「……うん」
「あいつ、酔ってると毎回ああなんだ。怪我が無くて良かった」
駆け寄って心配してくれたおじさんも。周囲にできた人だかりも。誰もが当然のように、目の前の光景を受け入れている。
やがて血だまりがぼこぼこと泡立ち始めると、飛散した肉片が溶けて集まり始めた。
溶けた体は意思を持つようにひとつになり、影のように形を作り出して人の形になる。
「……ふぅ~、ぶはあ!」
「おいおい何やってんだよ! また懲りずに飲みすぎたのか」
「いくら復活できても、あれだけ酔ってたら本当にそのまま死にかねねぇぞ」
「悪い悪い。今度からは気を付けるって」
「っ……! ごめん!」
私にはその異様さが受け入れられなくて、人だかりを抜けて路地の方へと駆けていく。
間違いなく即死だった。子供でもわかるほどに。なのに、誰ひとりとしてあの男が死んだとは思っていなかった。
いつの間にか血だまりも消えていて、誰もが何事もなかったように振る舞う。文字通り、男が死んだという事実は無くなった。
「化け物だよ。あんなの……!」
同じような姿で、同じように笑って過ごす魔族を、どうしても受け入れられない理由——単純だ。死と復活が日常である彼らにとって、命の価値は軽過ぎる。
人が死んでも、むしろ笑いながら「次は気をつけろ」だなんて平然と言ってのける。
彼らにとってはそれが当たり前で、常識で、授かった権利だったとしても、私には到底受け入れられそうにない。
その価値観で他の種族も使い捨て同然に扱うのだから……私たちと魔族が相容れないものなんだと理解させるのに、それは十分過ぎるほどの理由だった。
「気持ち悪い」
胃がひっくり返るような吐き気を抑えて、逃げるように私はその場を去った。




