1話 勇者、敗北する
冒頭、わずかに胸糞成分あるので注意です。
『お父さんっ! お父さんっ!』
夕焼けに包まれた街道。鎖に繋がれた父の手首から、赤々と血が滴っていた。
魔族の奴隷商人が、ニヤニヤと笑いながら引き手に力を込める。そのたびに、父の足元に赤い点が増えていく。
『おいおい、抵抗しても痛むだけだろ。まあ、どのみち三ヶ月もすれば使い潰すがな』
父は振り返らなかった。喉を潰され、声を出すことも叶わないまま、その背中が遠ざかっていく。
必死に抱き締める母の腕の中、声が枯れるまで泣いた。その光景は瞼の裏に焼き付いていて、今でも鮮明に思い出せる。
そして……いずれは自分たちも危ないと、やっと安全な土地まで逃げ延びたと思った、その矢先のことだった。
『お母さん……ねえ、返事してよ……!』
憔悴しきった母は、布団の中で冷たくなっていた。揺すっても、叫んでも、二度と目を開けない。両親はそうして奪われた。
それから叔母に引き取られて、どれだけ魔族への呪詛を浴びて育っただろう。魔族の長である魔王を強く恨むようになって、いつかはこんな世界を変えたいと思うようになった。
だから、十二年かけてここまで来た。
◇ ◇ ◇
城への潜入。そして魔王の暗殺。勇者の行いとは思えないこの計画は、確実な成功だけを目標に立てた苦肉の策だ。
半年コツコツ貯金して買った、姿晦ましの衣。その認識阻害を信じて、物陰を伝いながら奥へ進んでいく。
見取り図は頭の中に叩き込んである。描いては証拠を燃やして、八枚目でようやく諳んじられるようになった。
中央棟二階——玉座の間に続く回廊。
息を潜めて柱の陰に張り付く。先の方へ視線を向けると、巡回の魔族兵が背を向けて立っていた。
距離は……十五歩か。足音を殺しながら走って二秒、先手は取れるけど——。
(……意味が無い)
首を刎ねても、心臓を貫いても、魔族は何度でも蘇る。もとより強い種族であることを加味しても、特に生命力は常軌を逸していた。
ただ、無策でここに来たわけじゃない。これまで何度か戦って分かった弱点、というか仮説はある。
(本人が死因を把握できなければ、再生できない)
どういうわけか、死因を理解できないまま意識を失えば、魔族といえどそのまま死ぬ。
死の状況を正確に把握することが、再生の条件になっているようだった。他殺の場合は、恐らく相手の顔も含めて状況を知る必要がある。
この距離から仕掛けても、意識の外から一撃で殺せなければ無意味だ。失敗すれば、あいつは何食わぬ顔で起き上がって、こっちの存在を城中に触れ回りかねない。
やがて足音が遠ざかっていくと、短剣の柄に添えていた手を、そっと離した。
(魔族相手には不意打ちしかない。一瞬で……一撃で意識を刈り取る)
勇者らしくない? そんな文句は、こういう世界を創った神様にでも向けるべきものだ。そう自分に言い聞かせて、回廊の最奥へと足を進める。
開いたままの巨大な扉、その陰に身を潜めていると、玉座の間から冷たく、低い声が響いた。
「——今日は終いだ。下がっていい」
(っ、今のは……!)
扉の隙間から、慎重に中の様子を窺う。
煌びやかな装飾に包まれた玉座の間。開けた空間の中央で、文官が深く一礼して退がっていくところだった。
命綱の衣が機能していることを確認しつつ、更にその奥を注視する。
入れ替わるように、玉座から立ち上がる影がひとつ。
暗さを含んだ肩までの銀髪。超然とした雰囲気と、どこか気だるげな無表情。
直感で理解できた。あれが……!
(魔王……カリス・スペルビア!)
最大最強を誇るスペルビア王国を治め、世界の頂点に立つ男。通称、魔王。
刺すような威圧感に、思わず呼吸が浅くなる。その青い目を見るだけで、底知れない大海と向き合っているようだった。
やがて文官の気配が消えていく。息を殺して、指先を短剣にかけた。……その時だった。
「——オレが一人になったところで、機会を窺っても無駄だぞ?」
誰もいなくなったはずの部屋で、一人そう告げる魔王。
落ち着いていて、それでいて自信に満ちた声。それが確信をもって口にした言葉なのだと、はっきりと読み取れてしまった。
(バレてる? いや、認識阻害は効いているはず)
これでも身を隠す術には自信がある。しかし暗殺対象自身にそんなことを言われると、少しずつ不安は募っていく。
全部見透かされているんじゃないか、と……相手が相手だけに、心配はいくらしたって足りないくらいだ。
「ここで怖気づいたわけでもあるまい。せっかく四人もいるのだろう?」
(四人……っ、違う!)
「出てこないのなら引き摺り出すが、良いな?」
魔王はそうして天井に語りかけ、黒い外套を翻して右手を向ける。すると次の瞬間、天井の一部が抜けて数人の黒装束が飛び出した。
予告通りに四人。それも身のこなしを見るに相当の手練れだ。同じように、魔王を暗殺しようと忍び込んだ刺客だろう。
(……いや、おかしい)
魔王を狙う者は、覇権を競う同族を含めて少なくはないはず。あの四人が人間か魔族かわからないけど、現に、グループで潜入している者までいるほどに。
なのに本人が気付くまで、この人数が誰にも見つからずにいた。無警戒過ぎて、呆れるよりも先に違和感がくる。
先んじて仕掛けた刺客達が同時に襲いかかる。タイミングも攻撃手段も把握していない分、魔王が圧倒的に不利なはずだった。
「身の程知らずめ」
しかし、この男にとっては些末なことだった。四方から襲い来る刺客達に目もくれず、魔王は小さく呟いて溜め息をつく。
刹那。周囲の空間から色が抜け落ち、その範囲の全てが動きを止めた。刺客達の身体は宙に固定され、天井裏から舞った塵も、果ては空気さえもが静止する。
呼吸も瞬きもままならない状態で、空間内の存在は文字通りに命を握られていた。
「この程度とは……百年早い。出直せ」
(……今、何をした?)
無詠唱での魔術行使。それも時間や空間を操る類の高等魔術だ。如何にデタラメな行為が目の前で行われたのか、認識するのに数秒かかった。
魔術は、大気のマナを取り込んで使用する。詠唱で効率を補助、性質を変換して、そのまま放出した魔力で物理干渉を起こすのが普通だ。
でも、これは……マナを取り込まず、自然現象を操るものですらない。生命力から転換した自前の魔力だけで、時間や空間といった世界の法則にまで干渉している。
(何、それ……インチキ過ぎでしょ)
悪態を吐いたところで、指先の震えは止まらない。
はっきりとわかった。警戒とか、緩いとか、そういう次元の話じゃない。そんなの、あいつがいる時点で必要無いんだ。
既に決定的な敗北を突き付けられた刺客達は、もう戦おうという気概すら失っている。これから、どうすれば——。
「で、そこの一人。お前はどうする」
「……っ!」
「お前で最後だ。分からないとでも思ったか?」
意識の外から降ってきた、魔王の一声。
間違いない……今度こそ自分に向けられたその言葉に、思わず体が硬直する。
認識阻害は働いてる。恐らくは単純に、魔王の視野が広過ぎるんだ。
「この者達を見捨てて逃げるか。無謀にも向かってくるか。上手く隠れている褒美に選ばせてやる」
(……っ)
「黙っているようであれば、この不届き者共を始末した後で捕らえるとしよう」
どうする? 逃げる? それとも戦う?
勝てないのは分かっている。奇襲に失敗して、今は魔王を殺し切る手段が無い。
なら、選択肢は逃げる一択だけど……逃げたら、あの四人はどうなる?
何も成せず、あいつに殺されるだけだ。そんなの……見過ごせるか!
「っ……馬鹿にするな、魔王!」
気付けば、扉の陰から飛び出していた。
勝算なんて無い。それでも、他人の死を黙って見過ごすことだけは死んでも御免だ。
片手間で足りると思っていたのか、魔王はゆっくりとこちらに向き直る。その歩みに合わせて、停止空間も緩やかに迫ってきた。
(入る前に踏みとどまって——!)
全方位をまとめて制圧するのは、本当にずるいと思う。でも……それはさっきも見た。
初見では見切れなくても、見た後なら話は別だ。空間の境界ギリギリで立ち止まり、袖口に潜ませた投げナイフをありったけ投げ込みながら飛び退く。
ナイフは空間の中で停止して、魔王はその眼前で歩みを止めた。
「ようやく向かってきたと思えば、存外に冷静だな」
心底余裕そうに、こちらの反応を楽しむような口ぶり。腹立たしいけど、今はそんなことに気を割いている暇はこれっぽっちもない。
まずはひとつ。魔王の移動に合わせて空間がズレて、捕まっていた四人が解放された。
「た、助かった……!」
「退け、退けーッ!」
蜘蛛の子を散らすように、黒装束が次々と消えていく。
本音を言えば手伝ってほしかったけど……というか、なんで彼らを助けたんだろう。こうなることは分かりきっていたのに。
でも、勝てる見込みが無い以上は仕方がない。こっちも隙を見つけて逃げるしかない。あいつがまだ遊んでいるうちにと、全速力で背後に回り込む。
腰に差した剣を二本まとめて抜き、そのまま投擲した。勿体ないけど出し惜しみは無し。気を抜けば一瞬で終わりだ。
「殊勝だな。まずは奴らを逃がすか」
剣が空中で停止してからゆっくりと向き直る魔王。
明らかに舐めていると分かる動きでも、今はその中でチャンスを探すことに集中する。
傷ひとつ付けられない差がある以上、苛立っても無駄だ。むしろ、ずっとその姿勢でいてほしいとすら思う。
「だが、このまま囲ったところで無意味だ」
けど、そう上手くもいかないのが現実だった。
魔王は停止空間を解除すると、動き出した二本の剣を掴み取る。背後から迫るナイフの雨をその剣で叩き落とすと、息ひとつ乱さずに一本の剣を投げつけてきた。
こっちが投げたそれとは、比べ物にならない速さでだ。
「くっ……!?」
咄嗟に身を捻る。しかし避けた先には、もう一本が迫っていた。
これは、ミスったら死ぬ。避けきれないなら、やるしかない……!
体を大きく翻して、魔王と同じように柄を掴んで受け止める。タイミングは完璧だったのに、あまりの勢いに肩が外れかかっていた。
「〜〜っ、化け物め!」
「真似るか。なら、これはどうだ?」
泣き言を言う暇も無い。痺れるような痛みを感じる中で、大量のナイフが魔王に操られて飛んでくる。
叩き落とすなんて芸当は真似できない。衣に魔力を纏わせて防ぎつつ、致命傷になりそうなものだけを必死に避けきった。
嵐のような攻撃が止む。ボロボロになった衣を羽織り直して周囲を見回すと、魔王はいつの間にか背後に佇んでいた。
「よく凌いだ。だが、終いだ」
「な、舐めんな……魔王……!」
震える膝を、奥歯を噛み締めて黙らせる。
実力差は痛いほど理解した。けど、このまま黙って殺されるわけにはいかない。
まだ何も成し遂げていない。終わっていいはずがない。思い上がった理想だとしても、この理不尽な世界に最後まで抗うんだ。
「まだ……刺し違えてでも……!」
「……いいだろう。最後くらいは付き合ってやる」
両手で剣を構え直すと、魔王が右手をこちらへかざす。さっき避けたまま壁に深々と突き刺さっていた剣が、意思を持つようにその掌へと吸い寄せられた。
魔王はそれを、自らの愛剣であるかのように自然に構えてみせる。
(……綺麗だ)
場違いな感想だった。自分の武器を使われているのに、そう思えてしまうほど、その構えは美しい。
悔しい。いずれ自分もその領域にまで到達できたら、もっとマシな勝負ができたのではないか……なんて、思わされていた。
「来い。お前の全霊を受けてやる」
「っ……行くぞ、魔王!」
たらればの話をしても仕方がない。思考を焼き切って、残る全魔力を脚に込める。
あいつの剣技は完成されてる。なら、同じように……構えを真似て、弾丸のように踏み込んだ。
「良い踏み込みだが、軽い」
結末は、分かっていても無慈悲だった。
高い金属音と散る火花。次の瞬間、鈍い痛みが手に走ると同時に、剣は弾き飛ばされて虚しく舞った。
魔王も決着を確信したのか、拘束すらせず衣の胸元を掴んで持ち上げる。
「その腕であれば、逃げることも考えられたはずだが」
「っ、逃がすつもりなんて、無いくせに……」
「あの者達を捨て置けば、選択肢もあっただろう。おおよそ、暗殺者には不向きな人格だ」
そんなの、自分が一番わかってる。
さっきの四人は、顔も名前も知らない。人間かどうかも分からない。十二年かけたのに、その全部を、赤の他人と引き換えにした。
割に合わない。理屈でも、感情でも、どう並べても。なのに……体は考えるより先に動いていた。昔から、そういう性分だ。
「だが、惜しかったな。健闘を讃えて、その顔を拝んでやろう」
顔。それだけは、まずい……!
再生の条件が、無条件で一つ満たされる。こいつにとっては皮肉でも、私にとっては致命傷だ。
そう思っても、抵抗する間もなかった。魔王の空いた手がフードにかかり、それが剥ぎ取られた瞬間——魔王の動きが、止まった。
「お前、……女、だと……?」
(……え?)
「いや、不可能だ。よもや女子供の膂力で……」
明らかな動揺。そして硬直。これまで微塵も見えなかった、確かな隙が生まれていた。
単に女だから、というだけではない気がする。でも……濃緋色の髪も、琥珀色の瞳も、素顔の全てが晒されている。認識阻害もとっくに解けていた。
最悪だ。元々不可能に近いのに、こいつを殺すのが更に難しくなった。完全に意識の外から殺す以外に、殺し切れる手段が永久的に消えた。
ただ……まだ、死んだわけじゃない。生き延びればチャンスはある。今、この隙だけは見逃せない!
「今更でしょ。……っていうか、普通に失礼だと思うんだけ……どっ!」
袖口に残していた最後の武器。日頃から魔力を込め、奥の手として潜ませていた短刀を、魔王の眼前に投げつける。
魔王が首を捻って避けるのと同時に、これまで溜まった鬱憤やら何やらを全部込めて、思い切り腕を蹴って距離を取った。
まだ逃げられるだけの余裕は無いけど、少しくらいは時間を——。
(……何を、見てるの?)
魔王は追ってこなかった。捕らえようともせず、ただこちらをじっと見つめている。
私のことが理解できないとでも言わんばかりに。何かを確認するように。その視線には、驚き以外の感情も混じっている気がした。
やがて観察を終えたのか、魔王が口を開く。構えも解いて、完全に無防備なままの状態になっていた。
「その力、お前は何者だ?」
「力、って……」
「オレの剣を掴み取り、剣技も模倣した。真似たと言えばそれまでだが……本来、お前の体格でそんなことは不可能だ」
性別を気にしていたのは、そういうこと?……確かに、この力だけは特別だ。私自身もよくわかっていないのだから。
一度見たことが、すぐに理解できる。
剣の扱いも、魔術の構造も、見ればなんとなく分かる。
昨日より今日、今日より明日。確実に強くなっている実感がある。まるで経験がそのまま力に変わっていくような、得体の知れないもの。
これが宿った日のことは、よく思い出せない。でもそれは、昔読んだ本に書かれていた、ある者が持つ力とよく似ていた。
——勇者。
かつてこの世界に現れて、人魔戦争と呼ばれる戦いの末に、魔族から人々を救った存在。
なら、今は? 世界は再び魔族に支配されて、弱い人達が虐げられる日々が続いている。
だったら、同じ力を持ったなら、私が……と思った。それだけだ。
「……決まってるでしょ」
逃げられるタイミングを逃すとしても、これは意地だ。こればかりは曲げられない。
心までは屈しないと、しっかりと魔王を見据えて言ってやった。
「私は、勇者として……あんたを殺して、世界を変えるために来たの」
「……勇者、だと?」
その瞬間、魔王の表情がまた変わった。
今度は驚きじゃない。もっと別なものだ。
まるで品定めをするように、私の方をジロジロと見ている。……正直、悪寒がするからやめてほしい。
「なるほど、そうか。……ともすると、あるいは……」
ひとりでに呟く魔王。その反応は、ひどく不自然だった。
確かに、勇者は自称だ。確信を持って名乗ったわけじゃないし、そもそも実在した存在なのかも怪しいものだ。
なのにこいつは、その言葉に反応した。そして私を、別な何かと比べてるような……。
「……気に入ったぞ。まさかお前が勇者だなどと名乗るとはな」
「いや、こっちは普通に気に入らないけど……まさかって何?」
「こちらの話だ。お前は気にしなくても良い」
魔王は私の言葉を聞き流して、何かを確信したように頷いた。
いきなり親しげに話されても気持ち悪いんだけど……高いお金を出して買った装備はめちゃくちゃだし、何がそんなに愉快なんだろう。
どうせ見逃すつもりがないなら、変に希望を持たせないでほしいとも思う。悪ふざけなら尚更お断りだ。
「お前、名は?」
「あんたに名乗る理由がある?」
「頭の中を覗いてもいいが、女相手にそれでは無礼だろう」
「っ……ほんっと、むかつく」
冗談じゃない。魔王相手に負けて名乗るくらいなら、記憶を覗かれた方がマシだ。
魔王はそれを良しとしない。為政者としての在り方なんだろうけど、余裕に裏付けられた振る舞いを受けるのは屈辱だった。
でも——。
「……リン。リン・エストルム」
それ以上に、人間性まで負けたとあっては我慢ならない。腹立たしいけど、どうせ最後だからと名乗ることにした。
魔王はそのまま少し考えたような素振りを見せた末に、その手に持っている剣をこちらに差し出してくる。
「では、こうしよう……勇者リン。これから何度でもオレを殺しに来い」
……ん?
「ちょっと待って。今なんて言った?」
殺しに来い? しかも、何度でも?
そもそも言葉足らず過ぎる。流石に幻聴の可能性もあると思って、思わず聞き返していた。
すると魔王は面倒そうに溜め息をついて、今度は聞こえるようにとはっきり口にした。
「勇者なのだろう。向かってくるのなら、魔王として何度でも返り討ちにしてやると言っているのだ」
「……は?」
訳のわからない魔王の提案に、私は間の抜けた声でしか返せなかった。
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