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27話 激突

 光が収まり、アルトの視界に映る世界は、徐々に輪郭を取り戻していく。

 木々の合間に満ちる土の香り。それを乗せて穏やかに流れる風。やや遠くから川のせせらぎが届いてくる。リンの言っていた座標からは、当たらずとも遠からずといったところか。


(……カリスは、まだ来ていないか)


 聞く限り、世界樹は見上げるほどに巨大だと言う。しかし、この雑木林にそれほどの大木は見当たらない。

 木々の間からは夕陽の光が差し込んでいる。先が見通せる程度の林だ。そんなものを見逃すはずもない。

 カリスはまだ世界樹を顕現させていない。先んじて座標に到達できたのだろう——と、アルトがそう思った矢先だった。


 林の奥から、突如として光が溢れて全てを埋め尽くす。それが収まる頃、そこには別世界が広がっていた。

 まるで景色が差し替わったように、深緑に満ちた深い森が現れた。巨大な木々の隙間から光が幾筋も降りている。

 そして、その梢の向こう側。先ほどまで存在しなかったものが在った。


 空を覆う巨大な樹。聳え立つ太い幹から、枝が天を貫いて雲を分けている。

 リンが夢で見上げた樹そのものだと、アルトは直感的に理解した。それが今、確かに現実に顕現している。ということは——。


「やはりお前はここに来たか。アルト」


 声の方角に振り返る。視線の先には、木漏れ日の中に佇む黒い外套の男。

 光に縁取られる銀の髪に、凪いだ横顔。今や世界に狂乱を巻き起こす重心そのものが、いつの間にかそこにいた。


「オレに先んじるとは。リンに場所を聞いたのか」

「……カリス。これは君が?」

「ああ。自分で見たのは初めてだがな」


 平然と答えて世界樹を見上げるカリス。しかし、その横顔には普段の彼とは違う色が見えていた。

 相変わらず表情は薄いが、目元には微かに影が差している。よく見れば頬の線も、アルトが見てきた十二年に比べると僅かに削げているようにも見えた。


(……疲弊しているな)


 当然と言えば当然だ。これまで公平に律することを徹底してきた彼が、段階や根回しも捨てて強行採決を行なったのだ。

 反発を全身に受けながら進める、似合いもしない暴君のような行為。それも、リンを巻き込まないように突き放して……確実に精神を削って進んでいる。


「随分と疲れたような顔をしているね。カリス」

「今更迷うこともない。加護を消し去ることこそ、歪みを正す唯一の方法だ」


 アルトの問いを躱すように、カリスは静かに告げる。世界の先を見据えながらも、その瞳からはこれまでの在り方が剥がれ落ちていた。

 民を守る王ではなく、世界の歪みを憎み、変えようとする男がそこにいる。


(半分は、思惑通りだ。リンちゃんは確かに彼を変えた)


 カリスが個を取り戻して動いた。それはアルトが十年以上、外堀を埋め続けて待ち望んだことだ。

 しかし、過激すぎる。

 蘇生の加護を消し去り、世界の土台を根底から破壊する。そんな結末は全く想定していなかった。カリスにとって、リンの存在はあまりに劇薬だった。


「君が何を望むのか。どうしてそう考えたのか……ようやく知ったよ。その上で、私は君を止めなければならない」

「世界は既に腐りかけている。時間をかけた分だけ犠牲は増え、じきに後戻りはできなくなるだろう。これ以上は許容できん」

「今更……それは世界を壊すことだ。無辜の民から平穏を奪い、これまで守ってきた平和すら失うぞ」

「オレは諦めていた。真実を知り、鍵を握りながらも、王になって今に至るまで……だが、再び歩き出す理由ができた」

「やはり、彼女か」


 カリスは世界樹へ歩き出す。沈黙が、何より雄弁に答えを示していた。


「諦観してきた君が動く、それだけで世界は変わるんだ。今になって急ぎ過ぎることもないだろう」

「それを、あいつの目を見て言えというのか?」

「っ……必要なら私がそうする」

「いや、言葉など通用しない。お前自身も理解しているはずだ」


 脳裏を過ぎる、遠い日の記憶。アルトは返す言葉を飲み込むしかなかった。

 炎の中で立ち尽くしていたあの子供に「時間をかけて世界を変える」と説いたところで届くはずがない。今すぐに妹を返せと、それ以外の全ては詭弁だと答えるだろう。

 リン、そして世界中の犠牲者が、あの時の自分と同じ目をしている。そして、目の前の男も。


「それに……これはオレ自身の意思でもある。ずっと、こうしたいと思っていた」

「……カリス?」

「リン、そしてかつてのお前と同じだ。この歪んだ世界の理を、ずっと壊したいと思っていた」


 その言葉で、アルトは確信した。戴冠式で感じた憤りは、その願いを封じる反動だったのだと。

 今のカリスは、その更に原型——本来の自分を殺す儀式を経て、理想の王という殻を纏っていた勇者が、ありのままの自分を取り戻した姿だ。言葉で止められるはずもない。


「お前の言い分は分かる。だがオレの決定は覆らん」

「最初から説得できるとは思っていなかったよ。それでも……この世界を繋ぎ止めるために、見過ごすわけにはいかなくてね」


 アルトは笑みを浮かべ、両手を広げて掌に魔力を練り上げる。幾重にも連なる魔法陣が広がり、辺りを囲うように展開されていく。

 やがてカリスは歩を止めると、僅かに目を細めてアルトに向き直った。


「よもやお前ほどの男が、オレに刃を向けるとはな。勝てるなどとは思っていまい」

「それでも止めてみせるさ。必要ならこの命を捨ててでもね」

「これまで尽くした礼だ、その覚悟を買おう。……止めたければ、その意志でオレをねじ伏せてみろ」

「望むところ」


 先に動いたのはアルトだ。カリスと世界樹を結ぶ直線上に回り込んで立ち塞がる。

 そして同時に、展開済みの魔法陣が一斉に輝き、数多の魔術が空間を埋め尽くしていく。交渉が決裂した瞬間に全力で撃つ。この場に立つ前からそう決めていた。


 青白く輝く雷槍。研ぎ澄まされた氷刃。圧縮された風の斬撃。空を覆う黒鉄の杭。

 視界を塗り潰す飽和の一斉射が、加減無しの魔力供給で絶え間なく生成されていく。

 しかし——。


「なるほど、足止めか」


 微塵の動揺も無いカリスの呟きと同時、世界から色が抜け落ちる。殺到する魔術の全てが静止し、大気の流れさえもその動きを止めた。

 空間そのものに干渉する時間停止。かつてリンの前で披露したものとは比較にならない、両者の視界全域を覆うほどのそれが、一瞬でアルトの全身も飲み込んだ。


(これを足止め扱いか。でも……そう来るのは読んでいるよ)


 カリス以外の全てが動きを止める中で、アルトは自由を失っていない。外套の縫い目から微かな光が漏れ出し、アルトの全身を包み込んでいた。


「オレの魔力を編み込んだか。随分と入念だな」

「君だけが動けるのなら、君と同じになればいい。この十二年、魔術の残滓から少しずつ拝借させてもらったよ」

「……これでは、お前の意志を折る手段にならんな」


 パチン、とカリスが指を鳴らす。空間が色を取り戻し、止まっていた全てが動き出す。

 全方位から嵐のような攻撃が襲い掛かるが、カリスは事も無げに右腕を掲げると、それを真一文字に振り抜いた。


「——っ!」


 瞬間、全ての魔術は粒子を残して消し飛ばされた。

 手刀ですらない、力任せに振られた一閃。その余波は大地を大きく抉り、周囲の大木をまとめて薙ぎ払っていた。本気なら今の一撃で全てが決していたに違いない。


(剣や魔術すら使わずに、本物の勇者はこうも理不尽か。……だが!)


 それでも、アルトも止まれない。止まるわけにはいかなかった。次は火属性も交えて第二波、第三波を放つ。

 しかし結果は同じだ。拮抗するどころか、顔色を変えるにすら至らない。攻めているはずなのに、ただ歩くカリスに追い詰められていく。

 カリスが腕を振れば、その延長線上の全てが吹き飛ばされる。ただ歩くだけで周囲の空間が湾曲し、何も彼を阻むことができない。


(これだけの力と憤りを、君はずっと封じていたのか)


 カリスは最短距離をまっすぐ歩き、間合いが詰まると腰の剣を抜き放ち振りかぶった。

 アルトは咄嗟に槍を顕現させて初太刀を受け止めたが、甲高い金属音と共に槍が砕かれ、衝撃波が吹き荒れる。


「っ……重い、な」


 軽々と放たれた一撃なのに、骨の髄まで響く。アルトは、これを真っ向から受けることは不可能だと判断した。

 次の武器を生成しつつ、二の太刀は穂先を差し込み軌道を殺す。三合、四合——正面から受けずに流しても、その都度アルトの身体は限界に近づいていく。


「やはり……この手筈、最初からオレと殺り合う日を想定していたな」


 撃ち合いの狭間、責める色も無くカリスが問う。


「人聞きが悪い、保険だよ。切らずに済むと信じていたんだけどね」


 言葉を交わす間も、剣速は落ちない。むしろ上がっていく。

 互いにこれまで、最奥にある意思だけは伏せ続けていた。隣を歩いた歳月まで偽物だったとは思わないが、全てを信じ切ることは、二人ともできなかった。

 そして今——恐らくこの斬り合いこそが、二人にとって最も正直に行われる対話だった。


 だが、それも永遠に続くわけではない。如何に意思のぶつけ合いとはいえ、剣を交えるごとにその差は開いていく一方だ。

 故に、アルトは戦局を打破する一手を整える。息を切らしながら、残る魔力の大半を魔法陣に注ぎ込む。


「なんとしても、ここで君を止める……今こそ、私の極致を見せよう」


 空を覆う無数の魔法陣が、初めて一つに重なる。

 火、水、風、地、雷——本来決して混ざらない五属性を、独自の構造式と闇の鎖で束ねた金色の槍。カリスに一矢報いるため、アルトが伏せ続けていた初見にして最強の攻撃手段。

 予め戦いながら組み上げていたその術式は、カリスが対抗策を用意するよりも早く形を成していた。


「穿て!」


 その一言で、魔槍が空間を裂いて奔る。最短で放たれた大技に、カリスが初めて明確な防御の動作を取った。

 圧倒的な質量差により、受け止めたカリスの剣は砕け、槍の穂先はまっすぐ急所へと向かう。着弾と同時、辺りが閃光に包まれた。


(……動きくらいは、封じられたか?)




「王としてのオレならば、これで殺れたかもしれないが……惜しかったな」


 やがて光の中から、その一言と共にカリスが現れる。

 剣を失ったカリスだが、素手で穂先を掴み取るという力技で直撃は避けていた。

 それでも衝撃は僅かに届いたのか、黒い外套の肩口が裂け、白い肌に赤い線が走っている。


(……届いた? いや、違うか)


 今の彼は消耗している。同族からも暴君と疎まれ、文字通り世界中の憎悪を浴びながらここまで来た。その分だけ届いた一撃だ。

 本来なら掠りもしなかっただろう。勇者として抜き身の刃になったカリスの強さに、アルトは奥歯を噛み締めた。


「オレの知らぬ札を持っていたか。良い術式だ」


 肩の傷を一瞥もせずにカリスが呟くと、槍は粒子となって霧散し、その手の内に同じ輝きが編み上がっていく。一度見せた手段は、この男の前では二度と切り札たり得ない。

 対するアルトは、魔力の底が見えていた。四肢は震え、視界は狭い。それでも……カリスが折れないならやることは一つだと、漆黒の槍を作り出して全ての魔力を穂先の一点に束ねる。


「一度は君に預けた命だ。こんな時の使い道くらい、好きにさせてもらうよ」

「返した覚えは無いが」

「なら、取り立てに来るといい。弁が通じないなら、私にはこれしかない」


 アルトは全身を使って一気に踏み込み、相討ち覚悟の一手を繰り出す。カリスもまた、右手に光を纏わせて地を蹴った。

 互いの間合いが重なり——その中心で、空間が弾けた。


「——そこまで! 二人とも!」


 光が咲く。その中心から、二人の間に小さな影が割り込んでいた。

 濃緋色の髪が夕陽の中で翻る。アルトは咄嗟に術式を握り潰し、そしてカリスの手刀は、その場でぴたりと止まっていた。


「リンちゃん……?」

「何故、お前が……」


 リンは咄嗟に両腕を広げ、向かい合う二人の間に立ちはだかっている。

 カリスが目を見開いて驚き、アルトが小さく溜息をつく中、リンは肩を揺らして息を整え、双方を順に見据えた。


「ほんと、ギリギリだったけど……今更、私を除け者にしないでくれる?」

「ここから去れ。お前はこれ以上——」

「また、それ?」


 リンの声が、刃のようにカリスの言葉を遮った。彼女が広げていた腕を下ろして睨むと、表情は変わらないまま、カリスの眉が僅かに動く。


「勝手に全部決めて、一人で終わらせようとして……言ったよね。二人でやろうって」

「世界の行く先を決めるものだ。何も知らぬ者が背負うものではない」

「……書斎、入ったよ」


 静かな声だった。なのに、カリスの呼吸は目に見えて止まる。そのまま黙ってアルトの方を見るも、彼は小さく笑みを浮かべて頷いていた。

 沈黙と共に、カリスの顔から表情が抜け落ちていく。視線だけで相手を制する男が、初めて目を逸らしていた。


「封印は、アルトと一緒に解いた。ミアにも会って、全部聞いた」

「…………っ」

「だから知ってる。あんたが一人で背負ってたものも……世界がどれだけ歪んでいるかも」


 築かれた歴史に、全人類と魔族の自己。その全てを根底から覆す、度し難いほどに醜悪な真実。

 カリスはそれを、決して誰にも明かすまいと隠してきた。特に、目の前に立つリンにだけは悟らせまいと。


「……お前の憎しみごと、全ての足場を壊す真実だ。背負わせる気は無かった」

「うん、知ってる。……でも、勝手に決めんな」


 しかし、その真実を知って尚、リンは崩れず目の前に立っている。

 かつて憎んだ魔王の間合い。その内側へ、躊躇なくリンは踏み込んだ。


「確かに、めちゃくちゃ効いたよ。憎しみの宛先も、自分達の立場も丸ごとひっくり返ったんだから……正直吐きそうになった」

「ならば、何故折れない」

「気付いたから。それでも、何も変わってないんだって……サーシャの善さも、マーサさんの笑顔も、シュナさんの優しさも、全部その人自身のものだって。あんたやアルトを含めて、その人自身は呼び方が変わったくらいじゃ変わらない」

「……お前自身はどうなんだ」

「偽物の勇者で、本当は魔族だった。でも……全部ひっくるめても、私は私だよ。ここまで来たのも、理不尽を見過ごせないのと、あんたを死なせたくないってだけ」


 それとも——、と付け加えて、リンは更にカリスの眼前に迫る。


「色々知った分、少しは変わったかもしれないけど……あんたから見て、私の芯は変わったと思う?」

「——っ、……真実を知って尚も、お前はそう在るのか」


 カリスが——無敵を誇った魔王が、たった一人の少女に圧倒されている。

 価値観が根底から覆ろうとも、彼女の底にあるものは最初から一寸も動いていない。初めて会った時から変わらないまま、今はカリスという男を正面から見据えていた。


(リンちゃん……カリスが君に見たのは、これなんだな)


 傍で聞くアルトは、静かに答えを得ていた。自らが真の勇者であるカリスが、例外であるリンを勇者だと認めていた理由。

 カリスがリンに見出していたのは、ひたすらに純粋な勇者の精神性——かつて彼が埋葬した、己自身が成れなかったものだと。


「我々の負けだよ、カリス」

「アルト、お前……」

「リンちゃんは自分で知って、見て、その上で決めた。最初から持っていた答えに従うことを……私達の言葉で、彼女を部外者にはできないよ」


 それなら話は早い、とアルトは切り替える。

 カリスの説得は不可能。だが、もう一人の適格者が同じ壇上(ステージ)に上がったのなら……と、リンに向き直って告げる。

 全ての流れを決定する最後通牒を。


「聖剣に触れられるのは、カリスと君だけだ。私では焼かれるし、もちろん他の者も……つまりこの先は、力でも正しさでもなく、君がどちらに立つかで動きが変わる」

「アルト。リンを巻き込むな」

「巻き込んだのは君だろう。十二年前、彼女は聖剣に触れた時点で立派な当事者だ」


 きっぱり返すと、カリスは黙する。返す言葉など存在しない事実だ。

 卑怯な言い方になる。嫌われ役になるとアルト自身も理解しつつ、最後の札を切る。


「加護が消えれば何が起きるか、外の世界を見てきた君には想像できるはずだ。死を忘れた魔族社会に死が戻り、憎しみと報復の連鎖が生まれる。真っ先に死ぬのは……今まで魔族として過ごした弱い民から。なんの罪も無い、マーサさんのような人から、だよ」

「…………」

「崩壊は起きる。カリスが定めた政策だって、それを完全には防げない。その上で、君は本当にカリスと世界を壊すのか。私と共に、カリスの選択に抗うのか……今こそ答えを聞こう」


 保留にした問いの続き。今度こそ逃げ場も無く、大事だと言った者を人質に取るように、アルトは口にした。

 いつの間にか風も止み、静寂に包まれる中——リンに視線が集中する。


「私は——」

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