25話 最後の真実
風と光が砕けて、地面の感触が戻ってくる。膝が一瞬よろめいたものの、踏ん張って顔を上げた。
視界に飛び込んでくるのは、すっかり目が慣れた石造りの裏路地。王都フレッツ——そのはずれにある、私のねぐらだった場所だ。
(城まではギリギリ足りなかったけど、なんとか成功か)
手がじんと痺れている。アルトの術式が身体に馴染むと言っても、村からスペルビアまでの距離を飛ぶのは思っていた以上に重労働だった。
でも、まだ間に合うはずだ。息を整えて表通りに出ると、異変はすぐに肌で分かった。
いつもなら昼過ぎにもなれば、商売人や町人が忙しなく往来しているはず。なのに、今日は妙に人気がない。
城の方角からは、普段の何倍もの足音と怒号が漏れ伝わってくる。空気そのものが、ぴんと張った糸のように張り詰めていた。
号外で読み上げられた急進的な政策の数々。あれをカリスが議事堂で叩きつけた以上、城の中はとっくに鉄火場だろう。
「……よし、行こう」
もう覚悟は決まってる。あいつに何を言われようと知ったことか。私は頬をぴしゃりと叩いて、城への一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
城内に入り込むのは、思いのほか容易かった。
もう制服を着て使用人を装う必要もない。この混乱の中だと、指輪の認識阻害も相まって、誰一人として私に視線を留めない。
そんな中で目当ての人物の一人に行き会えたのは、半分は運、半分は読みだった。法務卿の執務室に向かう途中の廊下、その柱の陰から長身の人影がふっと現れる。
白い外套の肩が少し痩せて見える。柔らかく、しかし獲物を見定めるような視線をこちらに向けてきた。
「……リンちゃん?」
次の瞬間、彼——アルトが距離を詰めてくる。両肩を強く掴まれ、思わず全身が跳ね上がりそうになった。
「本当に、戻ってきたのか」
「あ、アルト?」
「……っと、すまない。君が消えてから、ろくなことが起きていなくてね」
アルトは一歩だけ距離を取ると、小さく息を吐く。いつもの飄々とした笑みは見る影もなかった。
薄く隈の浮いた目と、わずかに乱れた前髪。私が転移されたあの日からずっと、休む間もなく動き回っていたのが手に取るように分かる。
彼は視線を周囲に走らせると、短く告げて私の手を引く。
「ここではまずい。来てくれ」
そのまま執務室まで一気に滑り込む。扉を閉じて人払いの魔術を編み込み、声が外に漏れないようにしてから、ようやくアルトは振り返った。
「情報を共有しよう。まず私から……カリスは、ここ数日でかなりの政策を強硬採決した。難民保護の拡張、奴隷市場への通牒、地方領主の独裁是正……そして、全世界の魔族から再生の剥奪を宣言した」
「やっぱり、そこまで……っ!」
「世界中が大混乱だ。私とシュナ、エヴァン卿で泥を被って、国内はなんとか破綻しないラインに落とし込んでる」
「エヴァン卿が?」
ヒューイの父親で、私に暗殺者を差し向けた財務卿。カリスとは明確に牽制し合う関係だと思ったけど、あの人がアルトと一緒に?
「あの人は思った以上に大人だよ。国外は、戦争にならないように他国を抑えようと、マグニス卿が飛び回ってる」
「カリスは?」
「今は国境に向かってる。隣国との会談でね」
胸の奥が、嫌な形でざわついた。私を飛ばしてから、カリスは自分の中の最後の歯止めを外したらしい。今まで止まっていた分だけ、一気に走り出したように。
あいつ、いきなり無茶して……死に急いでいるようにしか見えないっての。
「……今、なんて?」
「え?」
ふと気付くと、アルトが静かな顔でこちらを見ていた。……私、何か言った?
「……今、彼のことを名前で呼んだよね?」
一瞬、思考が止まって、顔が熱くなった。
無意識だった。あの日からずっと、頭の中ではそう呼んでいたから。口は勝手にその呼び方を選んでいた。
心底意外そうに、アルトは目を丸くする。
「カリス、と呼んだね」
「……うっさい。聞かなかったことにして」
「聞き流せるものか。案外、様になってるよ」
「それ以上言ったら叩くから」
こちらの動揺を見て取ったのか、その口元にようやく笑みが戻った。からかい混じりのアルトらしい笑みだ。
それだけで肩から少しだけ力が抜けた。こんな状況なのに、我ながら単純なものだと呆れてしまう。
けれど、長くは続かない。アルトはすぐに笑みを消し、また真剣な顔つきに戻った。
「まあ、それは置いておいて……他にもあるけど、そっちは確証が取れてない。リンちゃんの話も聞かせてほしい」
「私……あいつを殺せなかった」
「……どうやら、本当に大きなことがあったみたいだね」
「全部、話すよ。あいつは——」
◇ ◇ ◇
あの時の出来事を、全てアルトに話した。
殺せたはずの場面で、殺せなかったこと。
カリスが語った聖剣の真実。本当の立場と理想。
そして、私が偽物の勇者ということ。
アルトはゆっくりと椅子に腰を下ろして、額に手を当てて息をつく。
「外れてほしかったけど、君の話で推測の一つが確信に変わったよ。カリスは自分の死で歪みを壊すつもりだ」
「だったら、急いで国境に追わないと。今すぐにでも——」
「待ってくれ。追う前に考えて、知るべきことがある」
歩き出そうとして、腕を掴まれる。アルトはそう告げて、机の上に視線を向けた。
そこには私がいない間に調べたであろう、勇者の記録。そして魔族史の資料が所狭しと広がっている。
「今の私たちが知っているのは、カリスから聞いたことだけだ。彼が見せた傷、語った計画、そして聖剣の真実……これは全て、彼一人の言葉だ」
「あいつが嘘をついたって言いたいの?」
「そうじゃない。でもカリスは、知っていることを全部は語っていない。伝える情報を意図的に絞っている」
言われてみれば、確かにそうだ。
真ならざる勇者。歪みの起源。世界樹の在り処。聖剣の扱い方。自分の目的は語っても、具体的なことは何一つ教えてくれなかった。
「今追いついても、説得する土台にすら立てないってこと?」
「私たちは、彼が十年以上かけて辿り着いた結論を覆そうとしている。せめて同じ景色を見てから対峙しないと、足止めにもならないだろうね」
「確かに、そっか」
追いつくだけじゃ足りない。追いついて、何を言う?
あいつが何を見てきたのか。何に苦しんできたのか。それを自分で確かめてからじゃないと、私はあいつの隣に立てない。
だったら、それを知るためには——。
不躾な思いつきが一つ、頭に浮かぶ。
あいつが真っ先に線を引いた場所……今しかない。これは天啓だ。
「……アルト。思いついたことがあるんだけど」
「言ってくれ」
「あの書斎、カリスがいない今なら入れるんじゃないかな」
一拍、沈黙が落ちる。アルトは腕を組んで、視線を窓の外へ向けた。
彼の中で何かを天秤にかけているのが、横顔から滲んでいる。やがて深く息を吐き出した彼は、こちらに視線を戻した。
「まさか、君の方から言われるとはね」
「もしかして、アルトも?」
「真実があるとすれば、あの中だろう。私一人では入れないけど、君がいれば話は別だ」
アルトは私の目を見ながら、軽く肩を竦めて笑う。
この法務卿、勇者の力で錠破りを考えていたとは……私を盗賊と勘違いしてない?
でも他に手は無いと思うし、アルトが一緒なら心強い。
「本当に、いいの?」
「ああ。ただし最短で済ませよう。万一見つかった時は、私が殴られる側に回るよ」
「殴られんのは私の方でしょ」
「年長者の特権だ」
自然と笑みが交わる。
不安が消えるわけではないけれど、肩を並べて歩ける相手がいる。それだけで、足取りがずっと軽くなる気がした。
◇ ◇ ◇
主不在の執務室はがらんとしていた。
幾度も掃除に来て、最後にあいつと話した場所。でも、今は感傷に浸る時間はない。一直線に絨毯の端を捲り上げて、縁にある切れ込みから床板を持ち上げる。
その下に現れる、地下へと続く階段。同時に漏れ出す冷たい空気と、濃密な魔力が肌を刺した。
「っ……すごい魔力濃度」
「息苦しいくらいだね、これは」
二人で階段を降りた先、突き当たりを閉ざす漆黒の扉。幾何学模様の魔法陣が、幾重にも重なって表面に浮かび上がっている。
相変わらずとんでもない代物だ。普通の魔術師なら、これを見ただけで気を失いかねないだろう。
「リンちゃん、行けそうかい?」
「ん、やってみる。……アルト、反動は受け流せる?」
「任せて」
肩に置かれたアルトの手を通して、静かな魔力が流れ込んでくる。それを合図に、私は分析に集中しようと意識を沈めた。
重なり合う魔法陣は、互いを補強するように噛み合い、侵入者を拒絶するように編み込まれている。まるで巨大な生き物の神経だ。
(これ、一人で組んだの?)
思わず息を呑む。王城を覆う結界ですら、これより簡易的なのに複数人の術者で維持している。
なのに、これは違う。魔力の質や流れも、癖も、全部同じ。カリス一人の術式だ。
「どう?」
「……頭おかしい。これ、個人が組むものじゃない」
「君がそう言うなら、本当にそうなんだろうね」
軽口を返しながらも、アルトの声は真剣だった。
集中する。圧倒されず、一つずつ……指先に魔力を集め、最外層へ触れる。
最初は光と闇の境界。相反する属性を混ぜ合わせず、反発もさせずに結合する神業だ。少しでもバランスを崩せば、何が起こるかわからない。
罠として、敢えてそうしてるんだろうけど……混ざってないなら、あいつの精度でも必ず"継ぎ目"が生まれるはず。
(——見つけた)
目を凝らして見つけたそれに、慎重に魔力を滑り込ませる。噛み合った歯車の隙間へ、針を差し込むように。
「一層目、いくよ」
「いつでも」
光の魔力には触れず、陣を構成する術式に接続して、私の魔力を同期する。構造をずらした瞬間、結界が拒絶反応を起こすように輝いた。
暴発しかけた魔力を、アルトが即座に引き受ける。背後でバチンッ、と空気が裂けた。
「アルト!」
「大丈夫。続けて」
「……うん、わかった」
信じよう。アルトが反動を制御していなかったら、多分今ので二人とも消し飛んでる。
そのまま続けて、額にじわりと汗が滲む頃。ようやく一層目が薄氷のように砕け散った。
「次、五属性」
「魔力は任せて。リンちゃんは操作を」
アルトが繋がった経路を介して、同じ五属性の魔力を私に注ぎ込む。そこから必要な分だけを指先に集めて、障壁の術式に接続する。
同量の魔力で二層目を中和、今度は反動も発生しない。アルトのおかげで、一層目より手間取らずに済んだ。
「三層目、これは……」
障壁から感じる魔力に、息が詰まる。最近死にかけたばかりだから、身体が覚えていた。
カリスだけが使う、光と闇の完全複合。術式を制御する魔力が膨大過ぎて、頭が茹だりそうだ。
「解けそう?」
「……やるしかない」
散々見てきたから、対処はできる。けど……これは受け流せない。接続に失敗して、こっちに逆流してきたら終わりだ。
魔力そのものには干渉しない。それを固定している術式にだけ接続しようとした、その瞬間——。
「——っ、ぁ……!」
全身を刺すような痛みが走った。視界が揺れて、頭痛と吐き気、肌を這うような不快感が押し寄せる。
間違えて、魔力に干渉した? 体内で練り上げるほどじゃないけど、身体が本能的に拒絶している。
「リンちゃん!」
「平気……まだ、見えてる……!」
歯を食いしばって流れを読む。慎重に、正確に……今度こそ術式の構造だけに接続して、魔力を流し込んで解体する。
やがてパンッ、と大きな音を立てて、張り詰めていた空気が弾け飛んだ。三層目がようやく崩れ落ちる。
「……四層目以降、複合術式」
「無理しないようにね」
「分かってる。……でも、いける」
一層。また一層。結界を壊すというより、超巨大な機巧を分解している感覚だった。
剣を振るより、よほど神経を削られる。少しでも順番を間違えれば、全部が連鎖して吹き飛びそうだ。
どれくらい時間が経ったのかも分からない。
最後の魔法陣に指を触れて、干渉した瞬間——紙を裂くような音と共に、幾何学模様が光の粒になって崩れ落ちていく。重苦しかった圧力が、ふっと消えた。
「……開いた」
「はは、本当に解いちゃったよ……すごいな、君は」
顔を見合わせて頷く。残された扉に二人で手をかけ、静かに押し開けた。
扉の内側は、紙とインクの匂いが交じり合って沈んでいた。厳重な封印で秘匿されていた割に、そこは想像していたよりずっと狭かった。
石造りの小部屋に、中央には古びた机が一つ。その上にはろうそく立てと、閉じられた本が一冊。アルトが指先でろうそくに火を灯すと、部屋の全貌が照らされて見えてきた。
揺れる灯りの中に、壁を埋める書棚が浮かび上がる。表紙の文字が掠れた古文書ばかりで、どこか荘厳さを感じさせつつも、埃一つ落ちていないのはあいつらしいと思った。
「ここが、あいつの書斎」
「……ソーンズ卿の書庫より、更に古い記録か」
アルトは端の書棚へと向かう。私はそれよりも、机の上にある一冊の本に、引き寄せられるように歩み寄った。
題名の無い、無地の表紙を捲る。そこには一節だけが記されていた。
——世界は、理不尽だ。
この筆跡。この語り口。もしかして——。
「アルト。これ……カリスの字だよ」
「……っ、本当か!?」
駆け寄ってきたアルトと一緒に、恐る恐るページを捲る。文字を見たアルトの反応からも、これはカリスの字で間違いないらしい。
内容は日記に近いものだけど、どちらかというと事務的な記録寄りだ。毎日書いてるわけでもなく、重要な事柄だけを記述している。
最初は、母親の死について。朝ごはんの時に聞いた、事件の顛末だ。
他より丁寧な字で書かれた、名付けの記憶と最期の姿。あんなにあっさり話したくせに、すごく傷ついてるじゃん。
「彼の潔癖の、原点か」
「……次、お願い」
「ああ。次は、十八年前の記録か」
アルトがページを捲ると、十歳の頃の出来事が綴られていた。エルロン卿に師事して力を付けた時代……自分が勇者の力を持っていることに気付いたのは、この頃の話らしい。
勇者の力を生まれ持った、魔族の王子。その矛盾に、カリスが出した答えが記されていた。それは——、え……?
「待って、これって……そんなの無いでしょ」
「……やはり、そうだったのか」
「アルト?」
アルトの声は、震えながらも確信があるようだった。私だけが、書かれている内容を受け止められずにいる。
だって、おかしい。そんなことあり得ない。認められるはずがない。でも……医務室で、確かにカリスは言っていた。
『全ての前提が崩れ、歪みが正される』
確かに繋がる。今までの疑問も、この前提なら全ての辻褄が合ってしまう。人類は確かに救われて、女神は役割を終えて消えた。
私やアルトが使えない光の魔力を、誰よりも強く扱うカリス。アルトが強力な五属性を使える理由も、これなら腑に落ちる。
過去の勇者が人間で、聖剣の加護が人間のものでも、それなら矛盾しない。
死ななくなった側が勝って、人と魔族の歴史が捩れたまま入れ替わった?
魔族と呼ばれる存在が、蘇生の加護を受けた本当の人間の末裔で。
人間と思い込んでいたけど、加護を受けない私達の方が、本当は——。
「カリスめ。最後の真実は、よほど伝えたくはなかったのじゃろうな」
その声に、本能的に身体が竦んだ。
覚えのある、古びていながら軽い響き。書斎の闇の一角から、ふっと滲み出すように一つの影が立ち上がる。
闇を射抜く真紅の瞳と、額から天を衝く漆黒の角——あの少女だ。
「無理もない。其方らの自己を、著しく損なうものじゃからの。伝えなくて済むならば、それも良かろう」
「あなた、あの時の……」
「よもや彼奴が組んだ結界を抜けるとは……待ち侘びておったぞ。ようやくここまで辿り着いたのう」
反射的に身構えるけど、彼女は左手を軽く上げてゆっくりと歩み出てきた。
机のすぐ横で立ち止まると、その紅い瞳が今度はアルトに向けられる。
「其方も知っておるぞ、良い目をしておるな。祖に近しい力を持つ者よ」
「っ……貴女は、何者だ」
「余は過去の敗者じゃ。干渉は最低限と思っていたが……自分の意思で来たのなら、もう隠す意味も無かろう」
見た目は小さな子供なのに、底知れない年月を生きた者の、したたかさを湛えた笑み。彼女は、机の上で開かれた手記を指でとんと叩く。
「余の名はミア・サタナエル。七百年前、勇者に討たれた魔王の娘——かつて其方らの祖を束ねた、真なる魔族の主よ」




