23話 終わりの始まり
23話はアルト視点です。
赤黒い炎が、視界のすべてを焼き尽くしていく。
崩れ落ちる家屋の轟音と、鼻を突く焦げた肉の臭い。煤に塗れた子供がただ一人、そこに立ち尽くしていた。
涙はとうに枯れ果てて、炎の向こう側、北の空に輝く星を見上げている。
妹——フランとは、よくあの星を見ていた。
両親を奪われた後に残った、ただ一つの希望。泥だらけでも笑う、諦めの悪い子だった。
盗みや物乞いも苦ではなかった。いくら食べても満たされない土塊で空腹を誤魔化してでも、あの子の小さな手を引いて、どこまでも逃げるつもりでいた。
ある日、それが突然奪われるまでは。
魔族による人攫い、そして監禁。
売り物にしようにも、栄養失調で使い物にならないと判断されたのだろう。傷だらけで路肩に打ち捨てられた遺体は、変わり果てた別人のようで……自分の弱さを呪い、魔族を恨み、世界を憎んだ。
だが、私にできたのは館を焼くくらいだ。
炎が消えれば、奴らは何事もなく再生する。奪われたものだけが、二度と戻ってこない。
復讐は終わったと、自分に言い聞かせるしかなかった。どうして……世界はこんなにも理不尽なんだ?
炎に囲まれながら、あの星に誓った。こんな世界は変えてみせると。
◇ ◇ ◇
「……っ」
浅い呼吸と共に、勢いよく上体を起こした。窓から差し込む光が、散乱した机の上を白く照らしている。
積み上がった書物。広げたままの古文書。走り書きだらけの紙束。……どうやら、調べ物の最中に眠ってしまっていたらしい。既に昼に近い時間だ。
(私としたことが……時間は無いというのに)
首筋が痛む。肘の下には、ソーンズ卿から借り受けた勇者伝承の写本が開いたままだ。
勇者が顕現させ、人間のみが触れられる聖剣。その聖剣が与える加護。そして勇者が辿った末路。
当時の世相を交えて記されているが、どれも断片的で、肝心な部分は霧に包まれている。
リンちゃんの夢。カリスの戴冠。魔族の再生と、蘇生の加護。全てが繋がりかけているのに、その中心だけが見えない。
眉間を揉みほぐしていると、不意に控えめなノックの音が響き、扉が開いた。
「アルト。起きてる?」
「……シュナかい。どうぞ」
シュナの整った制服姿に対し、こちらの部屋は惨状そのものだ。彼女は一歩踏み入れたところで、呆れたように周囲を見回した。
「また散らかってる。この前片付けたのに」
「ごめんごめん、後で片付けるよ」
「……その目、寝てないでしょ」
「今起きたところだよ。夜更かしはしたけどね」
「見てないと、すぐ無理する」
隈でも出ていたか。いつもの小言だと思ったが、シュナの表情はどこか固い。寝起きの挨拶にしては、纏っている空気が緊迫している。これは——。
「その様子、何があった?」
「……外で待ってるから、すぐに来て」
踵を返しながら、シュナは一拍置いて告げた。
「今朝から、陛下の様子がおかしい」
「……カリスが?」
思考が一瞬で覚醒した。椅子を蹴るように立ち上がり、外套を引っ掴んで羽織る。カリスの異変、それはこの国の根幹が揺らぐということだ。
シュナを追って廊下に出ると、既に城内の空気は張り詰めていた。普段は整然としているはずの動線に、慌ただしい足音と声が混じっている。
「……ただ事じゃないね」
「外務卿が朝から動き回ってる。私も持ち場に行かないと」
「君も気をつけて」
「ありがとう。……陛下をお願い」
シュナと別れて中央棟へと向かうと、そこは異様な熱気に包まれていた。
まだ昼前だというのに、廊下を行き交う役人たちの足取りは早く、書簡を抱えた文官が何人も走っていく。兵士たちは普段以上に張り詰めた顔で持ち場につき、使用人たちまでざわつきを隠せていない。
「それは南方連合への通達だ、順序を間違えるな!」
「国内向けと国外向けで文面を分けろ、急げ!」
怒号と指示が飛び交う中、中心で指揮を執っているのは外務卿ゼファー・マグニス。港や酒場を渡り歩いて、気ままに情報を調達している男とは思えないほど、鬼気迫る様子だ。
「マグニス卿。これは一体……」
「ゲーデル卿、丁度いいところに。落ち着き次第、手を貸していただけますかな」
「構いませんが、何が起きているんです?」
マグニス卿は周囲を一瞥し、手元から数枚の書類を取り出すと声を落とした。
「陛下が変わった……いや、乱心したというべきか。今回ばかりは笑えんな」
「具体的には?」
「急進的な政策を、即時実行に移そうとしている。段階も調整も無視してだ」
渡された書類に目を走らせる。
難民保護区の拡張、及び医療従事者としての難民雇用。
人間と魔族の居住区再編。
認定外武器商人の徹底摘発。
国内の奴隷商の一斉摘発。
国外の奴隷市場への圧力。
地方領主の独裁是正。
(……なるほど)
確かに、カリスの基準なら全て正しい。そして、世界の基準なら全て危険だ。
本来なら段階を踏んで根回しすべき案件を、最短で通そうとしている。まるで何かに先んじて動いているような……カリス、何を焦っている?
「隣国との会談もまとめたばかりだというのに、急進的過ぎる。奴隷解放などと大々的に動けば、経済協定など一瞬で白紙だ」
「ええ、確かに……」
「エヴァン卿のご子息の件もある。国内のきな臭さが諸外国に漏れれば、国家の穴が露見して戦争になり得る」
「陛下は?」
「議事堂です。玉座や執務室にも戻らず、直接指示を飛ばしておられる」
マグニス卿との話を切り上げ、喧騒を背に受けながら歩を進める。これは明確な異常事態だ。
カリスは民を第一に考える男だ。これまでも私が外堀を埋め切るまでは、決して決定的な変革の引き金は引かなかった。だからこそ、保守的な老人達や貴族からの支持もそこそこに得られたが……それが一夜にして、ここまで強硬に出る理由はなんだ?
(考えられるとすれば……リンちゃん、なのか?)
慌ただしい使用人達とすれ違いながら、足早に議事堂の前へと辿り着く。重厚な扉を開けると、議事堂の中央ではカリスが書簡を捌いていた。
いつもと纏う空気が違う。その瞳は、研ぎ澄まされた刃のような苛烈さを宿している。こちらを見るなり、手を止めずに淡々と言葉を紡いでいく。
「ようやく起きてきたか」
「カリス。これは一体どういうことかな」
「エヴァン卿が影響力を落とした。もう様子見はせず、今日から動く」
「……それにしても、急すぎやしないか?」
「お前も望んだことだろう。不服はあるまい」
確かに、望んでいたはずだった。カリスが本気で世界を変えることを。停滞を終わらせることを。
だが、これは吹っ切れすぎている。私の知っている彼ではない。その思い切りは、まるで彼女の——。
「……リンちゃんは?」
その彼女を、今日はまだ見ていない。彼女は今どこにいる。君は何をした?
その欠落を問い詰めると、カリスは一瞬の間を置いて、一切の感情が乗っていない声で答えを口にした。
「……今日付けで解雇した。故郷の土を踏んでいる頃だろう」
「解雇、だって……? そんなバカな」
彼女は世界の真実に迫りつつあった。何より、カリス自身が彼女を気にかけていたはず。それを、こんな最も重要な局面で手放すなどあり得ない。
「非番のところ悪いが、忙しくなる。このまま出られるか?」
遮るように続けて、カリスは書簡に目を戻す。
瞳の奥に見えた強い光。今まで見たことのないそれが、追及を許さなかった。今、ここで踏み込むべきではないと。
「……分かった。後で合流する」
踵を返し、自分の持ち場に戻ろうとした。その時——。
「すまないな、アルト。……お前にも、感謝している」
背後から小さく聞こえた、信じ難い一言。十年余りの付き合いで、そんな言い方は初めてだった。
あのカリスが、私に……? 空耳ではないとわかっているはずなのに、振り返ることができなかった。
「ああ。お安い御用さ」
それだけ告げて、議事堂を後にする。
恐らく、あれが本来の彼なのだろう。諦観に満ちた王が長い月日を経て、ようやく立ち戻った真の姿。
それを引き出したのが誰なのかは、考えるまでもない。
(リンちゃん、君は一体カリスに何をしたんだ)
だが、その彼女も今はいない。事実上の追放処分を下し、カリス自身が追い出した。
なら今は、目先の事態を収めつつ、真実を見定めるしかない。足早に城の回廊を歩きながら、頭をフル回転させる。
あれだけの急進策を同時に進めれば、必ず特権階級や諸外国からの猛反発を招く。最悪の場合、内乱や他国からの干渉による戦争に発展しかねない。
かといって、今のカリスは折れないだろう。あの目をした者が他人の言葉で止まるようなことはない。身をもってよく知っている。
(だとしたら、私がやるべきことは一つだ)
向かうのは、議会の最大派閥を握る重鎮、キース・エヴァンの執務室。
息子の不祥事で立場を危うくしているとはいえ、長年国政の中枢を担ってきた実績と、貴族社会における影響力は未だに健在。今この国を内側から支えられるとすれば、彼以外にいない。
戸を叩くと、内から入りなさいと静かな声がかかる。扉の奥では、ややくたびれた様子のエヴァン卿が窓の外を眺めていた。
「少し、やつれましたか」
「御託は良い。貴殿から足を運んでくること自体が稀だ。要件を聞こう」
「……では、単刀直入に申し上げます。陛下の発令した新法案の数々、ご存知ですね」
聞くなり、エヴァン卿は深くため息をついた。執務机にかけ、手元の羊皮紙を机上に広げる。
「正気の沙汰とは思えん。理想としては立派だが、現実の反発をまるで考慮していない。我が国を内側から崩壊させる気かと疑うほどだ」
「陛下は本気です。それに、草案自体は十年前から上げていて、既にあれらの政策は信任要件を満たしている。案を飲みつつ、現実的に落とし込めるのは貴方しかいない」
議席の三割以上、かつ五年以上の信任を得た案を通す王権。スペルビアの長い歴史において、これまで使われたことの無い代物だ。
「あの化石のような制度が使われるとは……私に、あの暴走の防波堤になれと言うのか」
「表向きの強行採決は止められませんが、施行の段階で各領主への根回しや、特例措置という名の猶予期間を設けることはできるはずです。陛下の決定を、国家が破綻しないラインまで持っていってほしいのです」
私と内務卿も可能な限り協力します、と付け足すが、無理難題を言っている自覚はある。全ての憎まれ役と泥被りを引き受けろ、と言っているようなものだ。
エヴァン卿は沈黙し、広げた羊皮紙をじっと眺める。やがて、深く重い息を吐き出した。
「ヒューイの不始末で、陛下には温情をいただいた。あの場で処刑されず、裁判まで屋敷の一室に留め置くことができている。……それに、私がこの国を愛していると知っての要求なのだろう」
「申し訳ありません」
「謝るな。……それが私の役目だろう。やってみせよう」
「……助かります」
深く頭を下げ、執務室を後にする。
これで時間は稼げる。あとはカリスが何を焦り、何と戦おうとしているのかを突き止めるだけだ。
私にも言えず、リンちゃんを遠ざけて動くに足る理由——恐らくは、この世界の真実がそこにある。
◇ ◇ ◇
それから数日、私は文字通り不眠不休の激務に追われていた。
昼は急進策の後始末に駆け回り、夜は歴史の空白と聖剣の謎を探り続ける。一方でカリスも、議事堂の中心で何かに駆られ続けている。
こうなっては根気比べだ。私が真実を突き止めるのが先か、カリスが全ての準備を整えるのが先か——早朝の廊下を歩きながら、重い疲労と共に思考を巡らせる。
城やソーンズ卿の書庫から、これ以上の情報は得られないだろう。やはり、前提から考え直すべきかもしれない。
残る手がかりは、姿を見せない謎の少女と、カリスが封じる秘密の書斎。そしてカリスの底に触れたであろう彼女——。
「心ここに在らず、と言ったところか。ゲーデル卿」
背後からの声に、ハッと振り返る。廊下の影から現れたのは、獅子を思わせる黒髪に深緑の瞳を持つ男。カリスの剣の師であり、彼が信を置く数少ない一人、ヴィンセント・エルロンだった。
「エルロン卿。こんな早朝に珍しいですね」
「夜明け前に、兵の配置を丸ごと組み替えろと命が下った。理由を問うても、カリスは何も答えん。……今のあれは、昔の目に戻っている」
その言葉に胸騒ぎがする。彼らしくない、強い光を宿した瞳——あれが、昔に戻っているだって?
「昔、ですか」
「常に前を向き、何かに抗い続けるような目。……リンといったか。あの娘と同じ目だ」
ドクン、と。心臓がひどく嫌な音を立てた。
理不尽な世界を憎み、無力でも足掻き続け、誰よりも勇者らしいリンちゃんの目。
私と出会うより前、子供の頃とはいえ……魔王であるカリスが、なぜ勇者と同じ目をしている?
(……いや、待て)
勇者だけが見つけられる、人間しか触れられない聖剣。
勇者の象徴である光を扱い、誰よりも勇者の力に詳しい魔王。
真ならざる勇者という言葉。なら、真の勇者とは一体誰だ?
バラバラだった欠片が、一つの恐ろしい仮説へと組み上がっていく。
もし、自分が知っている前提が違ったとしたら。世界中で当然とされているそれが、間違っているとしたら?
全ての答えが、最初から目の前にあったとしたら?
「……そんなことが、あり得るのか」
乾いた声が、自分の口から漏れた。
事実なら、文字通り世界がひっくり返る。認めたくはない。しかし、矛盾も無い。
だとしたら、カリスの目的は——。
『——スペルビアの民、そして全世界の魔族に告ぐ』
「っ……これは!?」
「……カリスか」
突如、聞き慣れた低い声が頭上から降り注ぐ。魔力で増幅された声は大気を震わせ、王都全体に行き渡っているようだ。
魔族であれば世界の果てでも聞き取れるよう、同時に思念波も送っているのだろう。私には聞こえないが、耳を押さえるエルロン卿はそちらに集中しているようだった。
その響きには、これまで一度も聞いたことのない、有無を言わさない強さが宿っていた。
『我ら魔族が享受してきた再生。死すら覆す加護は、もはや祝福ではない。生命の均衡を歪め、世界を緩やかに腐らせる毒だ』
城全体、そして城下町の方角からも、ざわめきが上がり始めている。何せ、こんな事態は異例中の異例だ。
思わず顔を見合わせたエルロン卿も、やはり知らないようだ。何をするつもりだ?
『生と死は、全ての生命に公平であるべきだ。歪み切ったこの理を正すため、今ここに宣言する。オレは全ての魔族より、再生の加護を取り除く』
その一言が大気を裂いた。
再生——今の魔族を、生態系の頂点たらしめている力。死すら覆す絶対の力を、取り除くだと?
その声に迷いは無い。むしろ、閉じ込めていたものを解き放つような清々しさすらある。まるで、戴冠式の時と同じ——。
(……まさか君は、あの時からずっとそうだったのか?)
自らも再生の力を持ちながら、それを誰より忌み嫌うカリス。恐らく戴冠式の前から、ずっとそうだったに違いない。
根拠を一切語らない、あまりにも傲慢な宣言。それはまさしく魔王と呼ぶに相応しい決定だった。
『準備は整えた。議会の承認も不要。これより魔族は、死すべき者となる』
ここから物語も後半、クライマックスに入ります。
続きが気になる。面白い。などと思っていただけたら幸いです。
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