18話 遠い日の彗星
18話はアルト視点です。
カリスと出会い、今に至るまで。法務卿なんて立場に収まりはしたが、当時のことはよく覚えている。
十三年前の夜。小舟が岸に着いた時、空は厚い雲に覆われていた。雨が降りそうで降らないような、中途半端な夜だった。
『……ついに、来た』
わざわざ別の大陸から、魔王の国に単身で乗り込むなど正気の沙汰ではない。自分でも分かっていた。
だが、もう失うものは何も無かった。両親と妹の復讐を終え、残ったのは怒りの残滓と、それを薪にして動き続ける体だけだ。
王都の中でも、人間だとバレれば即座に拷問だった時代だ。昼は廃屋に潜み、夜は暗殺や情報を売るなどの裏仕事で計画に必要な資金を稼ぐ。一人で生きる地盤を固めていく日々が続いた。
城壁の外から伸びる通風口も、郊外の演習場も、その一年で見つけたものだ。ようやく魔王暗殺の準備が整った頃——その男は現れた。
『聞いたか、ついに王が亡くなられたらしいぞ』
『新しい王様、まだとても若いんでしょう? 大丈夫かしら』
街ゆく人々が漏らす噂に耳を傾け、夜には情報の売買で事実を確かめる。当時の魔王、フォルド・スペルビアが病で崩御したというのは、どうやら本当のことらしい。
後継として即位するのは、その息子であるカリス・スペルビア。他の後継に恵まれなかったフォルドだが、その魔王をして「カリスさえいればいい」とまで言わしめた化け物だ。
それにしても、十六という年齢は異例の若さだ。王位を継ぐ者が自分の一つ下とは、俄かには信じがたかったが……戴冠式の当日、その認識は改めざるを得なかった。
十二年前の冬。その日は、雲一つない晴天だった。
太陽が最も高く昇る時間。フレッツの街は絢爛な装飾や灯りで彩られ、辺りを見回せば華々しい衣装に身を包んだ者達が式典の準備を進めている。
城下町の中心部では、戴冠式が行われる仰々しい台座が組み上げられていた。私は群衆に紛れて、気取られないように式典を見守ることを決めた。
『カリス・スペルビア……本当に王として立つなら、どれほどのものだ?』
台座の上で豪華な椅子に腰かける青年は、ひどく無愛想だった。今のカリスも大抵無表情だが、あの日は明確に違っていた。
あれは、憤りだったのだろうか。表情の下に押し込められた何かが、鬱屈として漏れ出しているのを感じるほどだった。
式典は粛々と進んだが、戴冠の儀まであと一歩というところで、それは起きた。
『……なんだ、様子がおかしい』
台座の上がやけに明るい。陽光のせいかと思ったが、光の源は式典の中心にいるカリス本人で……魔族の王にしてはあまりに眩しく、まるで無理に輝きを閉じ込めた恒星のようだった。
『——っ! まずい、皆伏せろ!』
一瞬遅れて、カリスが魔力を解き放つ。暴走したような様子ではなく、まるで静かに枷を外したように。
圧縮された魔力が膨張し、周囲の空間が歪んでいく。辺りの人や物を吹き飛ばしながら、空間の亀裂を伴って台座が崩れ去った。
ただの解放でこれだ。尋常ではない……それが私に刻まれたカリスの第一印象だった。
魔力圧だけで参加者の大半が意識を手放す中、私は正気を保っていた数少ない一人だった。カリスは崩れた瓦礫の上で小さく息を吐くと、やがてその場に留まる魔力を天の彼方へと逃した。
それはまるで、無数の彗星のように空を切り裂いていく。神話の一幕のような光景に、この時はただ圧倒されるしかなかった。
『あれを殺せる気はしない、が……訳ありだな』
もし、彼を利用することができれば……それは、私の目的が変わった瞬間でもあった。
半年後、官僚見習いの試験に合格した。鍛冶師だった父の技術で開発した、秘匿の宝珠を埋め込んだピアス。効力は確かなもので、試験も実力さえあれば問題なく通過できた。
これで王城へ堂々と立ち入れる。公務をこなす中で、城の生活にも慣れてきたある日——ついに、その機会が訪れた。
『新顔か』
『お初にお目にかかります、陛下』
当時の法務卿の下で働く文官として、魔王に公文書を手渡したのが最初だった。この男を、活かすか、殺すか……貼り付けた笑顔の下で思考を巡らせる。
底の見えない深い海のような瞳が、こちらを真っ直ぐに見据えている。全ての想定を崩すように、カリスは口を開いた。
『お前、人間だな』
『——っ!?』
心臓が止まりそうになった。この男には秘匿も効果が無いのか? いや、それ以上に……気付いていながら、どうして接近を許した?
『……いつから、気付いていた?』
『最初からだ。安心しろ、誰も聞いていない』
『君の目的は? どうして私を遠ざけない』
『興味がある。単身でここに来たなら、相応の理由と意思があるのだろう』
そんな酔狂な理由で……いや、この男ほどの力と器なら、それくらいの傲慢が許されるのかもしれない。
黙ったまま活路を探っていると、カリスは席を立って窓際に歩み寄った。彼は窓を開け、城下町から地平の彼方までを眼下に収める。
『それに、その目……お前は、オレと似ているかもしれん』
『……どういうことだ?』
『世界に希望を見出せないまま、行動するしかない。見ているものは違うが、お前もそうだろう』
見透かしたように続けるカリス。その通りだが、それでは一方的だ。私にはこの男の真意を読み取れない。
遠巻きに見る冷徹な王とは違う、僅かな熱を感じる言葉。その温度に、命を賭ける価値があると思った。
『私は……魔族の支配を終わらせるために、世界をより良くするために来た。同じだと言うのなら、君の望みも聞かせてくれ』
カリスは窓の外を見たまま、しばらく黙っていた。言葉にする価値があるかどうかを、測っているような沈黙だ。
やがて意を決したように、外の世界を見渡したままカリスが口を開く。
『オレはとっくに期待を持てないが……本物の勇者なら、この歪みも正すことができるだろうか』
——勇者。かつて魔王を討ち滅ぼし、世界を支配から救った人間の英雄。
まさか魔王自身の口からそんな言葉が出るとは……だが、意味の無いことを言う男でもない。御伽話にも縋りたいほど、この世界を諦めているのだろうか。
変えられる力も、立場も、全てを持った上で……そんなの、冗談じゃない。
『君がやるんだ。……いや、君にしかできない。そのためなら、私も出来ることは何でもやろう』
王として、民を背負っているのは分かる。民の意思に反して行動ができないことも。
なら、私がそれを引き受けよう。汚れ役も、手が足りない部分も……それで、この世界を変えられるのなら。
『お前となら、少しはマシにできると思うか?』
『やってみせよう。必ず……私と君なら、やれるはずだ』
カリスは頷かなかった。ただ、窓から視線を戻して、こちらを見据えて静かに言った。
『お前の命、今からオレが預かる』
その一言で、私の全てが決まった。
彼と共に動き、内側から変えるという理想が、この時から行動の理由になった。
◇ ◇ ◇
そこまで話すと、演習場は再び静まり返った。
話し終える頃には座り込んでいたリンちゃんは、どこか浮かない様子で首を傾げている。
「ここまでが、私の知るカリスについてだ。何か気になるところは?」
「……あいつの怒りは、どこに向いてるんだろう」
彼女が引っかかったのは、戴冠式での様子らしい。
私が最初に見たカリスでありながら、思い返せば感情を表情に出した最後の場面でもある。
あの時に感じた、憤りのようなもの。あれが何に向けられていたのか、私も未だ分からないままだ。
「それに、先王って病気で……。あいつ、今朝言ってたんだ。病で死ぬわけにはいかないって」
「……カリスが?」
「お母さんは毒だったって、前に聞いた。あいつの潔癖症はそのせいなのかも」
病と、毒……三年前に王都で流行った疫病でも、少なくない死者が出た。魔族が再生の届かない死を迎える時は、不意の死以外だと老衰か、その二つのどちらかだ。
彼の綺麗好きも、それが原因なのだろうか。十年以上も近くにいて、私はそれを並べて考えたことも無かった。
「あいつの絶望が、両親を失っただけとも思えないけど……まだ、この世界を諦めてるのかな」
「少なくとも、現状を投げ捨てる男じゃない。私は彼を焚き付けることでここまで来られた。……でも、多分そうだと思う。彼の目はあの時のままだ」
彼女は自分で思っているより、よっぽど聡い子だ。ぶつけられる疑問は毎度本質を突いている。散らばった欠片を、私の話から自分の知るカリスと繋いでみせた。どうやら話して正解だったようだ。
「そこに現れたのが、君だよ。リンちゃん」
「私……」
「そう。本物の勇者。カリスがずっと望んでいた存在が、君だと思っていた」
過去形だと気付いたのか、リンちゃんの目が少し揺れる。
星明かりだけが、二人の間に静かに降り積もっていた。
「……ねえ、アルト。歪みの起源って何だと思う? 起源って言うくらいだし、あいつが生まれるよりずっと前の話なのかな」
「……七百年前、か」
「それと、真ならざる勇者って言葉も。信じ過ぎるのも危ないけど、あの子の言葉は全部繋がってると思ってさ」
「それは私にも分からない。ただ、カリスが君を選んだ……私の指標はそれだけだった」
勇者の真贋が重要ではないという可能性もあるが、本物の勇者という言葉は、彼の数少ない本音のはずだ。
少女の言葉は信じるに値する。しかし、カリスの行動とは食い違う。リンちゃんは納得いかない様子で、俯いたままぽつりと呟いた。
「なんか、悔しい」
「……なにがだい?」
「あいつが、大きなものを背負ってることはわかる。全部知ってて、それでも一人で……でも、思ってることがあるなら少しは言葉にしろっての!」
彼女は立ち上がって、足元の小石を蹴飛ばす。言ってから、少し後悔したような顔をしていた。敵の心配をしている——そう自分で気付いたのだろう。
しかし、私の分まで怒ってくれたような気がして、少しだけすっきりした。そんな君だからこそ、やはり託したいと思えるのかもしれない。
「リンちゃん」
「……ん?」
「全ての物事には、きっと意味がある。君にしか辿り着けない真実を抱えて、カリスは待っているはずだ。……だから、どうか諦めないでほしい」
私に言えるのはこれくらいだ。カリスが待つ道を進むのは、他でもない彼女自身だから。
リンちゃんは何かを言おうとして、やめた。恐らく自分の答えをとっくに持っているのだろう。そういうところは、本当に心強い。
「まあ、今夜はもう寝るといい。今朝のこともあるし、真っ直ぐ部屋に帰るんだよ」
「アルトこそ、朝から忙しいんじゃないの?」
「私はもう少し、ここにいるよ」
「……おやすみ、アルト」
「おやすみ、リンちゃん。いい夢を」
すれ違った背後で、風に巻かれて気配が消えていく。なるほど、転移なら帰りに陣を仕込まれても関係無いか。何度も見せていないのに、本当に怖い才能だ。
女神が人類の勇者に授けたと言われる、聖剣の加護。彼女のあれは間違いなく勇者の力で、それはカリスも認めている。
なら、真ならざる勇者とは何だ? 本物の勇者とは何のことを指している?
(カリス、君は何を知っているんだ?)
北の空を見上げると、一際強く輝く星が、今夜もそこにある。妹——フランが好きだった星だ。
復讐を終えた時、最初に見上げたのもこれだった。あれからずっと進み続けて、ようやくここまで来た。……今更、間違ってましたで諦められない。
あの夜——リンちゃんの言葉を受けて、カリスが自ら動いたのを見た時、確かに何かが始まったのを感じた。
かつての私はカリスに賭けた。そして今はリンちゃんに賭けている。なら、それを通すしかない。
(私は、私にできることをしよう。……カリスは任せるよ。リンちゃん)
◇ ◇ ◇
翌日。私は王都の最南端付近に位置する、この国でも最大の書庫を訪れていた。
隣接する館の主にして、ここの管理人。文部卿——ドミニク・ソーンズは、やや気怠げに眼鏡の位置を直しながら出迎えてくれた。
「君が僕を訪ねてくるとは珍しい。何か、調べたいものでも?」
「非番のところ申し訳ない。少し、ソーンズ卿の記録を読みたくてですね……七百年前の歴史について、です」
「……勇者と魔王か。その区画に足を運ぶ者は、父の代以来だ」
そう呟くなり、ソーンズ卿は浅黒い肌と対照的な白い髪を掻き上げて踵を返した。どうやら案内してくれるらしい。
館内は全体的に薄暗く、古紙の香りに満ちた空気で満たされている。書物の劣化を防ぐために窓が無く、灯りは最小限の乾いた空間になっていた。
ソーンズ家は、代々この国の歴史を記し伝える一族でもある。この建物全体が、こと歴史に関して愚直なまでに正直な彼を表現しているとも思えた。
共に歩くうちに、公開されている領域とは全く別区画の、重苦しい雰囲気に包まれた一角へと辿り着く。
「で、何が知りたい。法務卿が用も無しに来たとは言わんだろう」
「興味本位ではありますが、勇者と聖剣はそもそも実在したのか……どのような伝承が残っていて、一般の書物以上の記述があるのか、ですね」
「……まあ、いい。隠し立てするものでもないからな」
所狭しと並ぶ書棚から、何冊か蔵書を引き出す。過去の文献を修復したものだろう。背表紙にあるソーンズ家の刻印がそれを示していた。
閲覧用の台にそれを広げ、人魔戦争時代の記録が露わになる。光の剣で魔族を薙ぎ払う者……魔族の視点から見た勇者は、正に天災のように語られている。
「魔王が討伐された後、魔族社会は混迷を極める事態になったらしい。まだ存命だった魔王の娘を中心に、残党が結束しようとした」
「魔王の娘、だって?」
「ああ。聖剣を返還して行方知れずになった勇者の脅威は、まだ残っている可能性があるとな……本当に実在したかすら不明だが、王政を組み直すにあたってシンボルが必要だったんだろう」
リンちゃんの話が脳裏を掠める。額に角を持つ、永く生きたような口ぶりの少女……いや、七百年だ。生きているはずがないし、本人なら魔族全盛の世で姿を隠す理由が無い。
実在の真偽はともかく、伝承と食い違うわけでもない。私が知りたいのは魔族側よりも勇者側の情報だ。
「勇者は、それ以来現れなかったのでしょうか?」
「古すぎて明確な記録は無いが、世界樹で女神の下に召されたのではないか、という記述はある。現に勇者と聖剣は失われて、今に至るまで魔族の世は続いているしな……聖剣も勇者が必要とした時だけ現れ、人間しか触れられないものだと記されている」
そこまでは私の知る通りだ。だが、それでは何も覆らない。もっと根本的な見落としがあるか、もしくは……前提が違う可能性は、無いだろうか?
「……ソーンズ卿。貴方の立場で語るのは難しいでしょうが、伝わっている歴史は正しいと思いますか?」
「ゲーデル卿、意地の悪い質問をしないでほしい。当事者でない僕にそんな判断ができるとでも?」
ソーンズ卿は蔵書を閉じて、困ったように首を傾げた。
その反応も当然だろう。魔族史を預かる一族の当主に、これ以上無い無礼を働いているのだから。
「分かっていて矛盾しない歴史は、人魔戦争があったこと。勇者と魔王が実在したこと。勇者は聖剣から超常的な成長、学習、蘇生という理不尽な加護を得て魔王を討ったこと。これだけだ」
数多の記録を読み解いて、矛盾の無い記述だけを事実として記し伝える。彼らの一族は確かに正しい。
なら、欠けているのは私の認識か。もしくはカリスと少女のみが知る真実が——いや、待て?
「ソーンズ卿。蘇生の加護、とは何ですか?」
「僕もはっきりとは言えんが……恐らくは、我々が持つ再生と同様のものだろうな」
「っ……そう、ですか」
それは、おかしい。もしそれが事実だとするなら、決定的な矛盾だ。リンちゃんは勇者の力を持っているが、成長と学習に特化したものだ。
そして、魔族特有の能力だと思っていた再生。それが勇者の加護と同質のものだとしたら——。
(何が、どうなっている……リンちゃん、君は何者なんだ?)




