緋毬の混乱と、片手間で倒される蜥蜴
軍曹がしぶしぶ指輪を渡してくれた、その瞬間だった。
ズドンッ!!
腹の底に響くような轟音が、屋敷ごと空気を震わせる。
遅れて、地面が大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
思わず声を上げる俺をよそに、軍曹と緋毬の動きは早かった。
軍曹は即座に窓際へ移動すると、わずかに身を低くしながら外を確認する。
「あれは……」
軍曹が目を細める。
俺も倒れた椅子の後ろから、恐る恐る窓の外へ視線を向けた。
――竜がいた。
トカゲのような鱗。
重戦車を思わせる分厚い体躯。
翼をひとつ広げるだけで、街全体を押し潰すような威圧感を放っている。
そんな怪物が、だるまの街の上空を悠々と飛び回っていた。
え?
この世界、竜いるの?
結構な衝撃だった。
だが、緋毬も軍曹も、まるで動揺していない。
「街中に落ちたわけではなさそうです」
「念のため、被害がないか確認を」
「すぐに。緋毬様は?」
軍曹が問いかける。
すると、緋毬はニッと笑った。
先ほどまでの柔らかな微笑みとは違う。
見る者に安心を与えるような、勇ましい笑みだった。
やだ、かっこいい。
緋毬が窓の外へ目を向けた、その直後。
彼女の執務服が、音もなく戦闘用の装備へと切り替わった。
変身というより、装着。
黒を基調としたボディスーツの上に、赤黒い機械仕掛けのだるま外骨格が展開されていく。
赤い装甲。
走る発光ライン。
そして腰回りには、前開きの巨大な球体装甲が浮かび上がる。
それはスカートではない。
だるまの胴体を思わせる丸いシルエットを作りながら、骨格として展開された半球型の反転装甲だった。
「ちょっと蜥蜴狩りにいってくるわね」
そう言うと、緋毬は窓枠に足をかける。
次の瞬間。
赤黒い光を引いて、窓の外へ飛び出した。
蜥蜴――もとい、竜のいる方角へ。
ーーーーーーーーー
(うーん、調子が狂う……)
竜へ向かう途中、私の頭をよぎるのは、急に現れて、私を救った彼のことだった。
今までの私は、自分の役割のことばかり考えていた。
神として。
この地を守る当主として。
その役割を果たすことだけが、私の全てだった。
――だって、何を望んだところで叶わないのだから。
触れるものを許さない。
触れたものを壊してしまう。
だるまさんがころんだの神である私に宿ったそれは、力というより、呪いだった。
その時、竜がこちらに気付いた。
いや、竜と呼ぶには少し大げさかもしれない。
私にとっては、羽の生えた大きな蜥蜴にすぎない。
蜥蜴は大きく息を吸い込むと、口の奥に炎を溜めた。
次の瞬間、巨大な火球が吐き出される。
火球は一直線に、私へ向かってきた。
けれど、私は避けない。
回避行動?
必要ない。
飛行速度を落とすことなく、そのまま火球の中へ突っ込む。
ドガンッ、と爆発音が空に響いた。
炎と煙が視界を覆う。
「……!」
蜥蜴が、わずかにたじろいだ。
煙を裂いて現れた私が、無傷だったからだ。
私の周囲には、薄い赤色の膜が展開されている。
防御壁、という表現は正しくない。
これは、私に触れようとするものを拒む領域だ。
止まり、反転し、壊れる。
この領域に触れたものは、私に届く前に、自分自身の力で砕けていく。
あの程度の炎で、私を傷つけることなどできない。
私は勢いのまま、蜥蜴へと突っ込んだ。
蜥蜴は迎撃しようと、尻尾を鞭のように振るう。
だが、その尻尾が私の赤い領域に触れた瞬間――。
ぶつかったはずの尻尾が、逆方向へ弾けるように裂けた。
「ギュアアアアアアッ!」
絶叫と共に、蜥蜴の巨体が街の外れへ墜落する。
土煙が上がり、大地が大きく揺れた。
そう。
本来なら、こうなるはずだったのだ。
あの少年も。
私に触れたものは壊れる。
私に近づいたものは傷つく。
だから私は、誰にも触れられない。
それが私の運命なのだと、とうの昔に諦めていた。
――それを、あの人はあまりにも容易く壊してしまった。
「グ、グルゥアアアアア!」
地に落ちた蜥蜴が、怒りに任せて咆哮する。
私は片手を、ゆっくりと蜥蜴に向けた。
「だるまさんが――」
蜥蜴の周囲の空間が歪む。
ミシリ、と大気に亀裂が走った。
地面が軋み、蜥蜴の巨体が見えない手に掴まれたように固定される。
――はぁ。
本当に、私はどうしてしまったのだろう。
今、目の前にいるのは竜だ。
この街を脅かす敵だ。
倒すべき相手だ。
なのに、私の頭の中は。
「ころんだ」
その言葉と同時に、空間が反転した。
蜥蜴の巨体が、大地ごと裏返る。
骨が軋む音すら置き去りにして、空間そのものがねじ切れた。
絶命の声すら上げることはできなかった。
後に残ったのは、竜だったものの残骸と、巨大にえぐれた大地だけ。
この蜥蜴とは比べ物にならないくらい小さな、あの少年のことで。
私の頭は、いっぱいだった。




