1-7
呼び出しは、朝だった。
謁見の間ではない。
王城東棟の、小ぶりな会議室。
壁には王国の地図が掛けられ、港と街道に赤い印が打たれている。
レオンハントとエリオスは並んで立った。
父王は、机の上に二通の封書を置いている。
蝋印はまだ新しい。
「座れ」
短い声だった。
二人は椅子に腰を下ろす。
重臣の姿はない。侍従長ベレンドールだけが、壁際に控えていた。
父王は、封書のうち一つを指で押さえる。
「本日、お前たちの婚約を決めた」
部屋の空気が、わずかに変わった。
レオンハントは瞬きを一つ。
エリオスは、ほんのわずか息を止めた。
王族の婚姻は、幼少のうちに政略として定められるのが常であり、相手と顔を合わせぬまま決まることも珍しくはない。
父王は続ける。
「レオンハント。
お前は、南方の海洋都市国家ヴァレンツァ共和国の総督家令嬢、
アレッシア・ヴァレリオと」
港の印が打たれた地図が、ふと目に入る。
レオンハントは静かに問う。
「……交易路の安定、でしょうか」
「それだけではない」
父王は首を横に振る。
「彼女の家は、三代にわたり海軍と財政を掌握している。
我が国が海へ出るには、最も堅実な結びつきだ」
レオンハントは、ゆっくりと頷いた。
「承知いたしました」
早い。
だが軽くはない。
父王は、もう一通の封書に手を置く。
「エリオス。
お前は、北方公爵家ヴァルディールの令嬢、マルグリットと」
今度は、地図の内陸部が視界に入る。
エリオスは視線を落とした。
「……国内の均衡、ですか」
「そうだ」
父王の声は変わらない。
「ヴァルディール家は、代々王家を支えてきた。
だが同時に、力を持ちすぎてもいる」
わずかな沈黙。
「お前が婿として入ることで、結び目は強くなる」
エリオスは、封書を見つめた。
「会ったこともない方ですが」
問いではない。
確認でもない。
ただ、事実の提示だった。
「会う必要はない」
父王は即答する。
「王家の婚姻は、好悪で決めぬ」
言葉は硬いが、声音は静かだ。
「いずれ顔を合わせる。
だが今日決まったのは、お前たちの“相手”ではない」
父王は、二人を順に見る。
「王族として背負うものの、形だ」
レオンハントは、その視線を正面から受け止める。
「異論はありません」
エリオスは、少し遅れて言った。
「……承知しました」
返事は整っている。
だが、内側までは整っていないことを、
ベレンドールは見逃さなかった。
父王は立ち上がる。
「婚約の公表は来月だ。
それまでに、各家の資料に目を通しておけ」
短く、事務的に告げる。
「以上だ」
双子は立ち上がり、礼をした。
扉が閉まる。
部屋には、まだ封蝋の匂いが残っていた。
廊下に出ると、朝の光が高窓から差し込んでいた。
しばらく、二人は無言で歩く。
先に口を開いたのは、エリオスだった。
「……驚かないんだね、兄上は」
「驚いたさ」
レオンハントは素直に言う。
「だが、いずれ来る話だと思っていた」
「僕は、もう少し先だと……」
「十年後か?」
軽く笑う。
「その頃には、もっと重い形で決まっている」
エリオスは苦笑した。
「合理的だなあ」
「父上の判断は、いつもそうだ」
レオンハントは足を止め、窓辺に寄る。
「海洋都市国家ヴァレンツァ共和国。
交易などを考えると、納得できる」
「アレッシア嬢、だっけ」
「ああ」
「どんな人なんだろう」
「資料を読めば分かる」
「そうじゃなくて」
エリオスは、兄の横顔を見る。
「兄上は、どんな人だと思う?」
レオンハントは、少し考えた。
「強い人だろう」
「会ったこともないのに?」
「総督家の娘だ。弱くて務まる家ではない」
淡々としている。
エリオスは、ふっと笑った。
「兄上は、相手を“役割”で見るんだね」
「王家の婚姻は、好悪で決めぬ」
父王の言葉を、そのまま返す。
「そうだな……」
エリオスは、手すりに指をかけた。
「でも、相手も同じだよね」
「何がだ?」
「会ったこともない僕たちに、自分の人生を預ける」
その言葉に、レオンハントは少しだけ黙った。
風が、廊下を抜ける。
「……そうだな」
短く、答える。
「ならば、せめて失望はさせたくない」
エリオスは目を瞬かせた。
「兄上らしい」
「何がだ」
「最初に考えるのが、自分の感情じゃない」
「感情は、後からついてくる」
レオンハントは肩をすくめた。
「お前は違うのか」
エリオスは、少し視線を泳がせる。
「僕は……」
言い淀む。
「会ったこともない人と、
生涯を共にするって、どういう気持ちなんだろうって」
「怖いか?」
「少し」
正直だった。
「でも」
小さく息を吸う。
「その人が、公爵家の娘として生きてきた時間を思うと、
僕だけが不安がっているのは、ずるい気もする」
レオンハントは、ゆっくり頷いた。
「お前は、そういうところがある」
「悪い?」
「いや」
即答だった。
「私にはない視点だ」
エリオスは笑う。
「じゃあ、うまく分担できてるのかな」
「最初から、そのつもりで生まれたわけではないがな」
二人は、また歩き出す。
「兄上」
「何だ」
「もし、僕の婚約者が兄上のほうが良かったら?」
冗談めかした声。
レオンハントは、わずかに眉を上げる。
「そのときは、お前が全力で口説け」
「ひどい」
「王族の婚姻は好悪で決めぬ、だろう?」
二人は同時に笑った。
角を曲がると、ベレンドールが控えていた。
「殿下方」
「聞いていたか?」
レオンハントが問う。
「職務上、耳は塞げませんので」
穏やかな返答。
「不満はおありですか」
エリオスが、少し考えてから答える。
「不満というより……実感がないだけです」
「それで結構です」
ベレンドールは静かに言う。
「実感は、時間が育てます」
「育たなかったら?」
エリオスの問いに、侍従長は一瞬だけ目を細めた。
「そのときは、殿下方が育てるのです」
レオンハントは小さく笑う。
「厳しいな」
「過保護にはせぬよう、陛下より仰せつかっております」
双子は顔を見合わせる。
「父上らしい」
「本当にね」
廊下の先に、日差しが広がっている。
まだ会ったことのない二人の少女。
遠い港と、北の大地。
それぞれの未来は、すでに静かに動き始めていた。
だが今はまだ、兄弟は並んで歩いている。
同じ速さで。
同じ城の中を。




