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エリオスとアレッシアの許可を得たレオンハントが次に向かったのは、鉄と汗の匂いが染みつく軍の執務室だった。
重い樫の扉を叩くと、中ではカイル将軍が、山積みの兵站目録を前に渋い顔でパイプをくゆらせていた。
「ほう、外征特使殿か。新王の手綱をすり抜けて、もう荷造りでも始めたか?」
カイルは無骨な顔に笑みを浮かべ、灰皿にパイプを叩きつけた。レオンハントは応接用の椅子に腰掛け、単刀直入に本題を切り出した。
「将軍、からかわないでくれ。あんたが統治院会議で俺の背中を押してくれたおかげで、この航海が決まったんだ。軍の最高責任者として、外海のどういった情報が欲しいか、直に聞いておきたくてな」
カイルは一瞬、歴戦の武人らしい鋭い目つきになり、レオンハントを見据えた。
「一番知りたいのは、領土を広げている国の『海戦の作法』と『大砲の鋳造技術』だ」
「大砲か」
「そうだ。現在、我が国の沿岸砲台や主力艦に積んでいる大砲は、旧時代の手法で作られたものばかりだ。だが噂によれば、外海の列強は、より軽くて射程が長く、連続して撃っても破裂しない『鋳鉄製』の新型砲を配備し始めているという。これが事実なら、我が国の防衛線など、海の向こうからの艦砲射撃一発で消し飛ぶ」
カイルは机を拳で叩き、言葉を続けた。
「奴らの軍港の配置、水深、そして何より『どのような兵站で、長距離の艦隊を維持しているか』だ。戦の勝敗は、剣を振る前、食糧と火薬の数で決まるようになる。それらを正確に見てきてほしい」
レオンハントは深く頷いた。単なる冒険旅行ではない、国を護るための冷徹な軍事偵察。それがカイルから託された宿題だった。
「分かった。アレッシアの知恵も借りて、奴らの工廠の裏まで覗いてきてやるさ」
「頼もしいな。そこでだ、レオンハント殿下。その航海に、俺の部下を一人、同行させてはくれんか」
カイルが不意に、声を潜めて言った。
「部下?」
「アルフォンソ・プレストンという若者だ。まだ二十代半ばだが、砲術と船舶工学においては、我が軍で右に出る者がいない。ただ……頭が固く、戦術論を語らせると上官相手でも容赦なく噛みつくタチでな。今の生温い宮廷軍では、その才能を腐らせるだけだ。外海の知識を殿下と一緒に学ばせて、本物の『軍師』に育て上げたい」
カイルの言葉からは、その若者への不器用な期待が透けて見えた。
「アルフォンソ、か。面白そうな奴だな。軍の知恵袋が船に一人増えるのは、俺としても願ったり叶ったりだ。いいだろう、連れていく」
「感謝する。……おい、アルフォンソ! 入ってこい!」
カイルが奥の部屋に向かって怒鳴ると、扉が開き、一人の青年が姿を現した。
その若者は、仕立てのいい軍服を几帳面に着こなし、いかにも技術屋らしい理知的な眼差しをしていた。
「お初にお目にかかります、殿下。カイル閣下の仰る通り、私は生温い宮廷の空気が肌に合いません。海の向こうの新しい戦術、そして未知の海図――それらを手に入れるための航海であれば、私の頭脳をすべて捧げましょう。ただし、感情論での指揮はご遠慮願いたい。戦場で死ぬのは、いつだって分析を怠った無能ですから」
青年は軍服の襟を正し、冷徹な、しかしどこか熱を帯びた声で言った。
「――おい、アルフォンソ! 殿下の前だぞ!」
カイルが慌てて声を荒らげ、若者の無礼を窘めようとした。初対面の王族に向かっての発言としては、場合によっては不敬罪で即座に投獄されてもおかしくない暴言だ。
しかし、レオンハントは怒るどころか、低く、愉しげな笑い声を漏らした。
「ははっ、なるほど。カイルが『容赦なく噛みつく』と言っていた意味がよく分かった。初対面の俺を前にして、随分な物言いじゃないか」
レオンハントは椅子から立ち上がると、一歩、また一歩とアルフォンソに近づく。鋭い視線が交錯したが、アルフォンソは臆することなく、その理知的な瞳で真っ直ぐに王子を見つめ返した。
「いいだろう、アルフォンソ・プレストン。お前の言う通り、俺はまだ分析のすべてを行き届かせられるほど完璧な指揮官じゃない。だからこそ、お前のような男が必要だ」
レオンハントは不敵な笑みを浮かべ、若き技術屋の肩をバシりと叩いた。
「俺の船では、身分や口の悪さはどうでもいい。必要なのは結果と、その『分析』だ。ただし、お前の分析が間違って俺たちを危機に晒したときは、その減らず口を叩けなくしてやるから覚悟しておけ。俺たちの頭脳として、歓迎する」
王子の予想外の度量と、挑戦的な言葉に、アルフォンソは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。だがすぐに、その端正な唇の端をわずかに吊り上げる。
「御意。実力は結果でお見せいたします」
レオンハントにとって、これが長い航海を支え、後にアルセイオンの軍制を根本から塗り替えることになる、未来の軍師との出会いだった。




