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運命の審判を翌日に控えた夕刻、統治院長エドマンドは一人、王宮の奥まった場所にある小礼拝堂にいた。
ステンドグラスから差し込む斜陽が、冷たい石床に血のような赤を落としている。
老政治家は、音もなく組まれた自らの指先を見つめ、長く、深い黙祷を捧げた。
祈っているのは神の慈悲ではない。
明日、己が下すことになる「決断」が、この国を断崖へと導かぬこと。それだけだった。
自宅に戻ったエドマンドは、書斎の机に向かい、古びた印章指輪を外した。
長年の使用により、刻印の細部には、赤い封蝋の破片がわずかに詰まっている。
彼はそれを針の先で丁寧にかき出し始めた。
細かな蝋の粒が、机の上に音もなくこぼれ落ちる。
この指輪こそが、アルセイオン王国の意志を形にする重責の象徴であった。
「……明日、か」
独り言が、書斎の静寂に吸い込まれていく。
各官僚の思惑は、既に透けて見えていた。
外交官ロドリックは、今後の国外交渉を見据えレオンハント殿下を。
内政官ハワードは、その合理性ゆえにエリオス殿下を。
そして監察官ブラックウッドは、厳格な法治と女神の権威を重んじる性質から、おそらくはエリオス殿下を推すに違いない。
エドマンド自身は、第一王子レオンハントを推そうと考えていた。
それは単なる長子相続の原則からではない。
これまで、港湾地区を視察した際に見かけた光景が、エドマンドの心に深く刻まれていたのだ。
レオンハントは、事故で崩れた石材を前に、設計士と激しく議論を交わしていた。
しかし、現場の職人が不注意を詫びようと膝を突くと、彼はその汚れた手を力強く掴んで引き起こした。
「謝る暇があるなら、どうすれば二度と崩れないか知恵を貸せ。俺もお前も、この港の一部なんだろう?」
そう笑って、自らも石材に肩を入れ、汗を流していた王子の姿。
かつての奔放な少年は、いつの間にか、他者の痛みを自らの力へと変える術を身につけていた。
あの背中こそが、今の不安な民衆を支える広場になる。エドマンドはそう確信した。
「読めないのは、カイル将軍だ」
軍を預かるあの無骨な男が、果たしてどちらを指し示すか。
彼が選ぶ方が、事実上の王冠の行き先を決めることになるだろう。
清掃を終えた指輪を、エドマンドは再び右手の薬指へと戻した。
長年馴染んだはずの金属の冷たさが、今夜はひどく重く、硬く感じられる。
先代から受け継いだこの指輪の重さが、指に食い込むように感じる。
明日、この指輪が新たな王への誓文を封じる時、アルセイオンは未曾有の転換期を迎える。
エドマンドは、暗くなった窓の外に広がる王都の灯を見つめ、最後の一粒の封蝋を指先で弾いた。




