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4-8

 王宮の北翼、重厚な石造りの回廊に、二人の男の足音が規則正しく響いていた。

 国家統治院――この王国の意思を決定し、王冠の重みを支える機関の屋台骨とも言える二人である。

 内政官ハワードと外交官ロドリック。

 彼らが歩く先には、意識を失ったままの「不落の盾」が眠る寝所があった。


「……しかし、ロドリック。この廊下の冷え込みは、どうにも私の古傷に響く」


 ハワードが、銀縁の眼鏡を押し上げながら、独り言のように溢した。

 彼は数字と法典を愛し、冷徹な事務処理能力で王国を支える能吏である。


「おやおや、ハワード。それは心臓が弱っているのではなく、予算の計算で頭を使いすぎているからではないかな」


 隣を歩くロドリックが、茶目っ気のある笑みを浮かべて応じた。

 外交官である彼は、各国の思惑を読み解き、言葉の槍で国境を守る交渉の達人だ。


 二人は、誰もいない小会議室へと滑り込んだ。

 重い扉が閉まった瞬間、そこには国家の存亡を左右する濃密な沈黙が降りてくる。


「冗談を言っている場合ではないのは、君も承知だろう。……東の港の一件だ」


 ハワードが、懐から取り出した報告書を机に置いた。

 その指先は、内政官としての峻烈な危機感を物語るように、ぴたりと静止している。


「旧貴族の残党どもが、地方で妙な動きを見せている。陛下が亡くなられた際に、また蜂起する可能性もある」

「ああ、海の向こうも同じだ。カスティアーノも、ノルドラントも、こちらの『盾』が錆びついていないか、熱心に偵察を送り込んできている」


 ロドリックは椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いだ。


「陛下はあまりに偉大すぎた。……巨木が倒れた後の森は、日光を求めて雑草が荒れ狂うものだ。我々は一刻も早く、次の『柱』を立てねばならん」

「結論は出ているはずだ」


 ハワードの声は、事務的でありながら確信に満ちていた。


「私はエリオス殿下を推す。……あの方の頭の回転の速さは、もはや人智を超えている。これまでの施策の判断を見てきたが、あの決断の速さと正確さこそ、今、この硬直した王国に必要な外科手術だ」

「確かに、あの若さで論理の極致を行く姿は、背筋が凍るほど美しい。……だがね、ハワード。国は理論だけで動くものではない」


 ロドリックは首を振り、かつてレオンハントと交わした会話を思い出した。


「私はレオンハント殿下を推す。……彼が港湾の労働者と同じ泥にまみれ、笑いながら酒を酌み交わす姿を見たことがあるか? 外交とは、結局のところ『相手の懐に入ること』だ。あの方の持つ越境性と、誰の心にもスッと入り込むコミュニケーション能力……それこそが、近隣諸国との摩擦を消す最良の緩衝材になる」

「コミュニケーション能力で、空腹の民は救えんよ、ロドリック」

「指示書だけで、戦場の兵士は命を懸けられんよ、ハワード」


 二人は同時に苦笑し、同時に溜息をついた。

 かつて父王という「絶対的な正解」がいた頃には、これほどまでに悩むことはなかった。

 父王は強引だったが、その強引さが秩序を生んでいた。

 だが今は、二人の王子のどちらを選んでも、何かが欠け、何かが満たされる。


「不穏なのは貴族だけではない。……民衆の間で、エリオス殿下の『祝福』が宗教的な熱狂に変わりつつある」

 ハワードが、少しだけ声を低くした。

「女神の加護……。もしあの方が王になれば、この国はかつてない奇跡の時代を迎えるかもしれない。だが、その光が強すぎれば、影もまた深くなる」


「レオンハント殿下なら、地に足のついた平和を築けるだろう」


 ロドリックが言葉を継ぐ。


「しかし、あの方はあまりに『人』すぎる。……父王陛下のような非情さを持てるかどうか。外交においては、時に聖者よりも悪魔が必要な時があるからね」


 窓の外では、王都の夕闇が深まっていた。

 街の灯りは、どこか頼りなく揺れている。


「ハワード。君は、陛下がエリオス殿下をどう見ておられると思う?」

 ふとした問いに、ハワードは眼鏡を拭きながら答えた。

「……陛下は、エリオス殿下の知能を高く評価されていた。だが同時に、その『潔癖さ』を危惧されてもいたようだ。王の座とは、ドブを泳ぎながら宝石を守るようなものだからな」


「レオンハント殿下については、こう仰っていたよ」


 ロドリックが、父王の声を真似るように呟いた。


「『あやつは、私の持っていないものを持っている。だが、私が持っているものを捨てたがっている』……とね。自由を愛する第一王子にとって、玉座はただの牢獄に映るのかもしれん」


 二人の真摯な議論は、夜が更けるまで続いた。

 誰が王に相応しいか。

 それは、この国がどのような未来を望むかという問いと同じである。


「……結局、我々がどれほど議論を尽くそうと、運命が用意した答えは一つしかないのかもしれないな」


 ロドリックが立ち上がり、窓を閉めた。


「女神の祝福か、それとも人の汗か。……どちらにせよ、明日の統治院会議は、夜までかかるものになるだろうよ」

「……ああ。せいぜい、私の胃に穴が開く前に決着がつくことを祈るよ」

 ハワードは皮肉っぽく笑い、未だ答えの出ぬ報告書を鞄に仕舞った。


 アルセイオンの未来を左右する二つの天秤は、静かに、しかし確実に揺れ動いている。

 「不落の盾」が崩れ去った跡に、どのような王冠が置かれるのか。

 閣僚たちの思惑とは無関係に、歴史の歯車は冷酷な音を立てて回り始めていた。



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