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乱戦の最中、敵陣を真っ二つに割り進んだ王の馬が、不自然にその足を止めた。
黄金の双頭鷲が描かれた重厚な旗が、力なく傾き、地面へと擦れる。
その異変に真っ先に気づいたのは、父の背中を死に物狂いで追っていたレオンハントだった。
「父上ッ!」
レオンハントは自身の馬を飛び降りるようにして駆け寄り、馬上で大きくよろめいた父の身体を両腕で受け止めた。
触れた甲冑越しでも伝わるほど、父の身体は激しく震え、異常な熱を帯びている。
父王は、支える息子の肩に全体重を預けながら、白濁しかけた瞳をゆっくりと動かした。
「……レオン、ハントか。……敵の、旗は……」
その声は先ほどの雷鳴のような咆哮が嘘のように、掠れ、消え入りそうなほど細い。
「もうすぐです、父上! 敵は既に総崩れだ。後は俺たちに任せて、早く下がってください!」
レオンハントが叫ぶように訴えると、父は血の気の失せた唇をわずかに歪め、満足げな、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
「案ずる……な。……我が盾は、まだ……折れて……」
言葉が途切れたのと同時に、前方から怒涛のような歓声が押し寄せた。
「報告! 反乱軍首謀者、および残党を捕縛! 東の港、完全に制圧いたしました!」
カイル将軍の勝鬨にも似た報告が、戦場に響き渡る。
次の瞬間、王軍の将兵たちから、大地を震わせるほどの勝鬨が上がった。
勝利の熱狂が、焦土と化した港を包み込んでいく。
だが、その熱狂の中心で、父王の身体から最期の力が抜けるのをレオンハントは感じていた。
「ごふっ……!」
父の口から、どす黒い鮮血が溢れ出した。
白銀の甲冑が、一瞬にして禍々しい赤に染まっていく。
父王はそのまま声を出すこともできず、白目を剥いてレオンハントの腕の中で崩れ落ちた。
「父上! 父上ッ!」
レオンハントの悲痛な叫びに呼応するように、エリオスが予備兵力を率いて疾風の如く駆け寄ってきた。
エリオスは、血にまみれた父の姿を一目見るなり、瞬時にその場の状況を掌握した。
「兄上、叫ばないでください! 兵たちに悟られてはならない!」
エリオスは馬から飛び降りると、周囲を囲もうとする将兵たちを鋭い眼光で制した。
「カイル将軍! 全軍に勝鬨を続けさせろ! 陛下はあまりの激務に御疲れであると伝え、直ちに本陣の帳へお運びする!」
エリオスの氷のように冷たく、それでいて切実な命令が、混乱しかけた場を強引に繋ぎ止めた。
二人の王子は、巨木が倒れるような重さの父を、汚れることも厭わず二人で抱え上げた。
周囲の兵たちが勝利に酔いしれ、空を仰いでいる隙に、彼らは素早く父を本陣の奥深く、厚い帳の中へと運び込んだ。
薄暗い帳の中に、父が横たえられる。
先ほどまで戦場を支配していた絶対者の面影は、そこにはなかった。
ただ、荒い呼吸さえも途絶え、死の静寂に片足を突っ込んだ一人の老人が横たわっているだけだった。
「……父上……嘘だろ……」
レオンハントが、震える手で父の血を拭おうとする。
エリオスは、父の脈を確かめ、その絶望的な微弱さに唇を噛み締めた。
勝利の歓喜が外から絶え間なく聞こえてくる中、父王の意識は深い闇の底へと沈み、二度と戻らぬ静寂の中へと消えていった。
本陣の外からは、勝利を祝う兵たちの勝鬨が、夜の空を震わせるほどに響き続けていた。
だが、厚い布一枚隔てた帳の中には、耳を突き刺すような重苦しい沈黙が満ちている。
横たわる父王の呼吸は浅く、刻まれる鼓動は今にも消え入りそうなほどに細かった。
「……ウィンター、容体はどうなのだ」
レオンハントの低い問いに、老侍医ウィンターは力なく首を振った。
「命の灯を、無理やり戦場に持ち出されたのです。……これ以上のことは、神の御業に委ねるしかございません」
その言葉を受け、エリオスは傍らに控える侍従長ベレンドールへと視線を向けた。
ベレンドールは、主の絶望的な状況を目の当たりにしながらも、その背筋を崩さずに立っていた。
「ベレンドール、隠し通すことは不可能だ。
ここでの勝利を王都へ報告すると同時に、陛下の『ご病状』も正確に皆へ伝えるべきだろうか」
エリオスの言葉に、レオンハントが鋭く反応した。
「エリオス、それは時期尚早ではないか。
今、父上の不在が公になれば、残党どもが再び息を吹き返しかねない」
「ですが、兄上。偽りの勝利で民を欺き続ければ、それが露見した時の反動が大きくなります。……父上は、この身体で王として戦われました。その誇りを、嘘で汚すべきではない」
二人の王子の視線が、昏睡する父の上で交錯した。
ベレンドールが、重々しく口を開いた。
「……殿下。まずは王都への帰還を最優先すべきかと存じます。
勝利の熱狂が冷めぬうちに、陛下を王宮へお戻しする。
真実を明かすにせよ、嘘を貫くにせよ、この戦場はあまりに不安定でございます」
レオンハントは、父の熱を帯びた手を強く握りしめた。
「……そうだな。ここで議論していても、父上の病は治らん。
エリオス、俺は軍をまとめ、最短距離で王都への道を切り拓く。
父上の体調を最優先した行軍だ。お前は内政の根回しを頼む」
「……承知しました、兄上」
エリオスは、感情を押し殺した声で応じた。
外では、民を救った「不落の盾」への称賛が嵐のように渦巻いている。
だが、その盾の主は、今や二人の王子の腕の中で、静かに朽ち果てようとしていた。
父が命を懸けて守り抜いたアルセイオンの秩序を、今度は自分たちがどう背負うべきなのか。
二人は、自分たちの瞳に宿る光が、かつての父のように強くはないことを自覚しながら、昏い夜の終わりを待った。




