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東の空が、夜の帳をわずかに白ませ始めた頃。
アルセイオン王軍の本陣前には、静寂を湛えた鉄の群れが並んでいた。
中央に立つ父王は、白銀の甲冑に身を包み、愛馬の上で微動だにせず前線を見据えている。
その顔色は、昇り始めた陽光の下で、驚くほど蒼白だった。
頬は削げ、唇は血の気を失い、紫がかった色が浮き出ている。
だが、その瞳だけは、周囲を圧するような鋭利な光を失っていなかった。
「アルセイオンの兵らよ、聞け」
父王が口を開いた瞬間、野を渡る風さえも止まったかのような錯覚が走った。
その声は、かつて大陸を震わせた咆哮そのものだった。
「我らはこれまで、不落の盾としてこの国を護り抜いてきた。
だが今、身内の中からその盾を内側から削ろうとする愚か者が現れた。
法を軽んじ、民を盾にし、異国に魂を売った者たちに、王の裁きを下す時である」
王は腰の長剣を一気に引き抜き、夜明けの空へと掲げた。
剣身が朝露を弾き、鋭い閃光を放つ。
「盾とは、ただ耐えるためのものではない。敵を打ち砕き、踏み潰すための凶器でもある。
私の背を見失うな。王の歩む道こそが、この国の正道である!」
地を揺るがすような怒号が、数千の兵たちの喉から同時に溢れ出した。
王の威厳が、死の淵にあるはずの肉体を強引に突き動かしている。
その凄絶な気迫に、兵たちは熱狂し、恐怖すら忘れて戦鬼へと変貌していった。
「全軍、突撃ッ!」
王の号令とともに、大地が鳴動を始めた。
本陣の後方、予備兵力とともに戦況を見守るレオンハントとエリオスは、並んで馬を走らせていた。
二人の視線は、先陣を切って砂塵の中へと消えていく、父の小さな背中に釘付けになっていた。
「……信じられん。あの体で、どうしてあんな声が出るんだ」
レオンハントが、苦しげに顔を歪めながら呟いた。
その拳は、手綱を千切れんばかりに強く握りしめている。
「命を燃やしているのです、兄上。……物理的な限界を、精神の力で強引に書き換えている。
ですが、あのような無茶が長く持つはずがありません。
一秒でも早く、この戦を終わらせなければ」
エリオスの声は努めて冷静だったが、その瞳には隠しようのない焦燥が浮かんでいた。
前方では、王軍の重装騎兵が反乱軍の第一陣へと衝突していた。
敵の火器が火を吹き、轟音が耳を突くが、王の旗が止まることはない。
むしろ火を浴びるたびに、王軍の士気は異常なまでの高まりを見せていた。
「エリオス、敵の右翼が崩れかけているぞ。カイル将軍に伝令だ。
あそこから回り込めば、地下通路の入り口を完全に封じ込める」
レオンハントが、戦場を流れる風を読み、鋭く指摘した。
「ええ、既に手配しました。兄上の整備した港湾図を元に、崩落させやすいポイントを指定してあります。
……今の父上は、戦術を無視して最短距離で敵の首を狙っています。
私たちが周囲の『綻び』を埋めていかなければ、父上の背中が晒される」
二人は、父の圧倒的な武威を誇らしく思いながらも、それが薄氷の上の奇跡であることを痛感していた。
父が盾となり、兄が道を拓き、弟が策を練る。
皮肉なことに、王家の崩壊を狙ったこの反乱が、三人の連携を最も強固なものにしていた。
「報告! カイル将軍の第三師団、倉庫街の東側を制圧!
敵の主力は王の突撃を支えきれず、港の最奥部へと敗走を始めております!」
伝令の声が、戦場を駆ける風に乗って届いた。
レオンハントとエリオスは、顔を見合わせた。
「よし……! 一気に押し潰すぞ」
レオンハントが剣を抜き、自らも前線へと飛び出す準備を整える。
エリオスは、遠くで翻る黄金の双頭鷲の旗を見つめた。
敵の防衛線は、父の凄まじい攻勢の前に、音を立てて瓦解しつつある。
勝利の女神は、間違いなくアルセイオンに微笑んでいた。
「……父上、あと少しです。あと少しだけ、持ち堪えてください」
エリオスは誰にも聞こえぬ声で祈るように呟くと、馬に拍車をかけ、兄の背を追った。
戦況は圧倒的優勢。
しかし、二人の王子は不安を抱えながら進んでいく。
燃え上がる東の港を、冷たい朝陽が照らし出していた。




