4-4
東の港を望む本陣に、一騎の早馬が土煙を上げて駆け込んできた。
伝令の兵は馬から転げ落ちるようにして、エリオスたちの待つ天幕へと飛び込む。
「ほ、報告いたします! 父王陛下、護衛軍を率いてこちらへ向かっておられます!」
その言葉に、天幕内の時間は凍りついた。
カイル将軍は持っていた指揮杖を落とし、レオンハントは身を乗り出して伝令の肩を掴んだ。
「父上が? 正気か! あの状態で馬に乗れるはずがないだろう!」
レオンハントの声には、驚きよりも先に、父の身を案じる悲痛な響きがあった。
王宮で見た、石畳に膝を突いたあの痛々しい姿が脳裏に焼き付いている。
エリオスもまた、銀灰色の瞳に深い憂慮の色を浮かべていた。
「……無理をなされた。おそらく、侍医たちの制止を力ずくで振り切ったのでしょう。
兄上、父上はご自身の命を削って、この膠着を終わらせに来るおつもりです」
エリオスは、静かに地図を見つめ直した。
その指先は、わずかに震えている。
カイル将軍が、動揺を抑えるように深く息を吐き出した。
「だが殿下、陛下の参戦が全軍に伝われば、士気は爆発的に高まります。
今、この膠着の中で兵たちが最も求めているのは、勝利の予感ではなく、不滅の象徴なのです。
『不落の盾』が最前線に立つ……それだけで、戦況は好転するかと思います」
「象徴、か。父上は、ご自身が死に至る病であっても、王として死ぬ道を選ぶのだろうな」
レオンハントは天幕の隙間から、父が来るであろう街道の先を見つめた。
怒りと、悲しみと、そして言葉にできないほどの敬畏が、彼の胸中で激しく渦巻いていた。
「……来られるからには、私たちは最高の舞台を整えねばなりません。
カイル将軍、陛下が到着されるまでに、周辺の掃討を完璧に終わらせてください。
陛下に、泥を被らせるわけにはいかない」
エリオスの冷徹なまでの判断が、再び本陣を鼓動させ始めた。
数時間後、夜の静寂を切り裂くように、重厚な進軍ラッパの音が響き渡った。
松明の列がうねる蛇のように街道を埋め尽くし、その中心に、黄金の双頭鷲の旗が翻る。
陣を敷く兵たちが、次々と膝を突き、地を揺らすような勝鬨を上げた。
到着した馬車の扉が開き、一人の男が降り立った。
そこにいたのは、数日前に王宮の床に崩れ落ちた弱々しい老人の姿ではなかった。
重厚な白銀の甲冑に身を包み、鋭い眼光を放つ、アルセイオンそのものを体現する絶対者の姿だ。
「父上……」
駆け寄ろうとしたレオンハントが、その威圧感に思わず足を止めた。
父王は一歩、また一歩と、確かな足取りで石畳を踏みしめる。
その背筋は鋼のように伸び、一分の隙も感じさせない。
エリオスは父の顔色を、観察者の目で見つめた。
肌は白く透き通り、こめかみには浮き出た血管が脈打っている。
力強いふるまいに反して、それは健康な者の血色ではなかった。
「カイル、状況を言え」
父王の声は、本陣の天幕全体を震わせるほどに低く、強かった。
カイル将軍は即座に直立不動の姿勢を取り、現状の膠着とエリオスの無血遮断策を報告した。
王は地図を一瞥し、エリオスとレオンハントを順に見た。
「……民を案じ、兵の損害を数えるか。王子としては及第点だ。
だが、今のこの国に必要なのは、慈悲による停滞ではない。
悪を断つ、圧倒的な『裁き』の形だ」
父王は傍らに控える侍従から、自らの愛剣を受け取った。
その重い剣を、微かな震えも見せずに腰へと帯びる。
「敵は地下に潜り、我らが日和るのを待っている。
ならば、その穴ごと地獄へ叩き落としてやるまで。
……カイル、全軍に命じよ。今夜は火を絶やすな。兵たちに腹一杯食わせろ」
王は天幕の出口へと歩み出し、夜の東の港を見下ろした。
その瞳には、かつて内乱をことごとく鎮圧してきた冷酷なまでの闘志が燃え盛っている。
「明朝、私が先陣に立つ。全軍、私の背を追え。
日の出とともに攻勢をかける。
反逆者どもに、アルセイオンの盾が何でできているかを教えてやる」
その宣言は、もはや誰にも止められない神託のように響いた。
レオンハントとエリオスは、父のその巨大な背中に、王としての凄絶な覚悟を突きつけられていた。
明日、この港での戦がどのようになるのか。
読めないながらも、絶望は全く感じなくなっていた。




