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東の港を望む高台に、アルセイオン王軍の本陣が敷かれていた。
だが、そこにあるのは勝利への予感ではなく、重苦しい停滞の空気だった。
眼下の市街地からは、黒煙が細く立ち上り続けている。
「……報告は以上です。敵の防衛線は一歩も退かず、こちらの突撃はことごとく火器に阻まれています」
カイル将軍が、焦げ茶色の地図の上に重々しく拳を置いた。
その顔には、歴戦の猛者らしからぬ苦渋の色が滲んでいる。
「カイル将軍。……父上の親征と銘打っている以上、この膠着は敗北に等しい」
エリオスは、冷めたハーブティーのカップを見つめたまま言った。
彼らは「父王は後方の本陣に鎮座している」という虚構を守るため、この陣を動かせない。
「分かっている! だがなエリオス殿下、あいつらの使う火器は見たこともない威力だ」
レオンハントが、苛立ちを隠さずに天幕の支柱を叩いた。
「俺の仲間たちが、あそこの港で必死に耐えているんだ。……正面突破が無理なら、俺が少数で裏に回る!」
「却下です。兄上が捕らえられれば、それこそ王家の威信は完全に崩壊する」
エリオスの反論は、剃刀のように鋭く、即座だった。
天幕の中に、張り詰めた沈黙が流れる。
外では時折、乾いた銃声が響き、そのたびにカイル将軍の頬がぴくりと震えた。
「将軍、敵の補給路はどうなっていますか」
エリオスが、地図の一点を銀灰色の瞳で射抜くように問いかけた。
「海路は我が海軍が封鎖しております。ですが陸路、この入り組んだ倉庫街の地下通路を使い、隣国の工作員が物資を運び込んでいる形跡があるのです」
カイルの答えに、エリオスは眉間に深い皺を寄せた。
「地下通路を封じない限り、この消耗戦は終わりませんか」
「左様にございます。ですが、力任せに突入すればこちらの損害も甚大。さらに、地下にはまだ逃げ遅れた民が潜んでいる可能性が高いのです」
その言葉を聞いた瞬間、レオンハントが身を乗り出した。
「民が残っているのか? あそこの地下は湿気がひどく、一度火が回れば逃げ場はないぞ。……カイル将軍、無差別な煙幕や火攻めは絶対に許可できん」
レオンハントの声には、現場を共にした民を案じる切実な響きがあった。
彼は拳を握りしめ、自分が行けないもどかしさを押し殺すように言葉を続けた。
「あそこにいるのは、ただの労働者やその家族だ。反乱軍とは違う。彼らを巻き込むことは、俺たちが守るべきアルセイオンの未来を殺すことと同じだ」
エリオスは兄の激情を受け止め、静かに資料をめくった。
「兄上の言う通りです。将軍、力による制圧ではなく、兵糧と心理的優位を使った『無血の遮断』を提案します」
エリオスの指が、地下通路の通気口と思われる数箇所を指し示した。
「突入は行わず、この数カ所の通気口を土砂で埋め、同時に偽の撤退命令を敵に聞こえるように流布してください。暗闇と沈黙、そして逃げ場を失ったという心理的圧迫は、火器の威力よりも確実に敵の連携を乱します」
「……なるほど。兵の命を削らず、かつ敵の降伏を待つ策ですな」
カイル将軍は、若き二人の王子の言葉を一つ一つ噛みしめるように頷いた。
武勇で道を切り開く兄と、知略で犠牲を厭う弟。
かつて父王が見せた圧倒的な武威とは異なるが、そこには確かな「王族の器」があった。
「レオンハント殿下、エリオス殿下。……お二人の慈悲と知恵、深く感銘いたしました」
カイル将軍は兜を脱ぎ、二人に対して深々と頭を垂れた。
「軍事の采配は、このカイルにお任せを。お二人はどうか、本陣にて父王陛下の『代行』として、兵たちの心の支えとなってください」
将軍は立ち上がり、テラス越しに広がる戦場を見つめた。
「今、この国を繋ぎ止めているのは、陛下の威光ではなく、お二人が見せているアルセイオンの『明日』への希望です。私は命に代えても、この戦列を維持してみせましょう」
カイル将軍の言葉は、単なる臣下としての儀礼ではなく、心からの敬意に満ちていた。
だが、現実は依然として冷酷だった。
エリオスの策が実行される中、夜の帳が降りても戦火の音は止むことはなかった。
膠着状態のまま、刻一刻と時間だけが過ぎていく。
父王の健康状態という火種を抱えたまま、兄弟は終わりの見えない暗い前線を見つめ続けていた。




