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報告を受けたレオンハントの表情が、一瞬で険しいものに変わった。
東の港といえば、彼がこの半年間、泥にまみれて再建を支えてきた場所だ。
そこには、ようやく活気を取り戻し始めた民たちの暮らしがある。
「東の港だと……? あそこには、まだ武器を持てるような兵は少ないはずだ」
レオンハントの低い声が、狭い管理小屋の中に響いた。
伝令の兵は、肩で息をしながら必死に言葉を絞り出す。
「はい! 旧貴族の残党どもは、多数の火器を使い倉庫街を一気に占拠した模様です!
民たちが盾に取られています!」
エリオスは傍らで、即座に脳内の地図を広げていた。
東の港は、王都への物流の心臓部だ。
そこが断たれれば、王都の物価は跳ね上がり、民の不安は一気に爆発する。
「……父上の判断力が鈍っている、このタイミングで」
エリオスが、見えない可能性の数々を、頭の中で巡らせる。
火器の流通はどこからか、背後で糸を引く者がいるのか。
王家の「統治能力」そのものに、公衆の面前で疑義を突きつけること。
もし対応が遅れれば、父王の衰えという隠したい真実が、白日の下に晒される。
「兄上、ここは私が文官たちをまとめ、兵糧と増援の段取りを組みます。
あなたは直ちに、王宮へ戻って父上の『盾』になってください」
エリオスの提案に対し、レオンハントは拳を机に叩きつけた。
「いや、俺は現場へ行く! あそこの連中は、俺を信じて汗を流してくれた仲間だ!」
「感情に流されないでください! 今、王宮を空ければ、誰が父上の代理を務めるのですか!」
エリオスの鋭い叱咤が、空気を切り裂いた。
二人の視線が、火花を散らすように激しくぶつかり合う。
一人は民を守るための「武」を、一人は国を保つための「秩序」を重んじていた。
「……わかっている、エリオス。お前の言うことが正論だ」
レオンハントは、苦々しく吐き捨てるように言った。
だが、その瞳には、かつてないほどの激しい闘志が宿っている。
「だがな、理屈だけでは守れないものもある。
父上を説得し、俺が先陣を切る許可を取り付けてみせる。
お前は、その後の『泥仕事』を完璧に片付けてくれ」
レオンハントは、泥のついた上着を脱ぎ捨て、飾りのない剣を腰に帯びた。
その背中は、もはや一人の労働者ではなく、民を背負う王族のそれだった。
「……承知しました。兄上が剣を振るうなら、私はその剣が折れぬよう、後詰の識見で舞台を整えましょう」
エリオスは深く溜息をつきながらも、どこか誇らしげに兄を見つめた。
二人は小屋を飛び出し、それぞれの戦場へと駆け出した。
一人は王宮へ、一人は政務の塔へ。
アルセイオンを揺るがす嵐の正体を見極めるため、兄弟の連携が試されようとしていた。
王宮の廊下を突き進むレオンハントの耳に、重苦しい鐘の音が届く。
それは、緊急事態を告げる招集の合図だった。
謁見の間の重い扉が開くと、そこには冷たい静寂が満ちていた。
「父上! 東の港での蜂起、耳に入っておりますか!」
レオンハントの言葉を受け、父王は深く、重厚な息を吐き出した。
その双眸には、一瞬だけかつての鋭い光が戻ったかのように見えた。
「案ずるな、レオンハント。……この程度の火種、私が直々に鎮めてくれるわ」
父王はそう告げると、玉座の肘掛けを強く掴んだ。
彼は自らが立ち上がり、軍装を纏うことで、国内の不安を一掃しようとしたのだ。
王のプライドが、衰えゆく肉体に無理な命令を下す。
「父上、無理はなさらないでください! 今は……」
「無理などしておらん! 私は、……アルセイオンの王だ!」
レオンハントの制止を撥ね除け、父王は一気に腰を浮かせた。
だが、その直後だった。
乾いた、鈍い音が広間に響き渡った。
父王の両膝が、自らの体重を支えきれずに白亜の石畳を激しく叩いたのだ。
「……あ、……が……」
父王は床に手をつき、荒い息を吐きながら必死に顔を上げようとした。
しかし、震える足には二度と力が入ることはなかった。
その無残な姿に、レオンハントは息を呑み、一歩も動けなくなった。
最強の盾が、自らの足元から崩れていく。
その事実は、どんな凶報よりも彼の心を激しく打ちのめした。
「父上!」
扉が勢いよく開き、エリオスが息を切らせて駆け込んできた。
彼は床に崩れた父と、呆然と立ち尽くす兄の姿を、瞬時にその目に焼き付けた。
エリオスの銀灰色の瞳が、悲しみと覚悟を帯びて細められる。
「……ベレンドール! 父上を寝所へ! 侍医を急がせろ!」
エリオスの鋭い号令が、凍りついた空気を強引に動かした。
侍従たちに抱えられ、力なく運ばれていく父王。
広間に残されたのは、重苦しい沈黙と、二人の王子だけだった。
「兄上、前を見てください。……もう、時間は残されていません」
エリオスの声は、氷のように冷たく、しかし優しく響いた。
「……ああ。わかっている」
レオンハントは、自らの震える手を強く握りしめ、顔を上げた。
「父上が立てないなら、俺たちが盾になるしかない。……行くぞ、エリオス」
二人は倒れた父の玉座に一度だけ背を向け、正面の大きな扉へと歩み出した。
外では、東の空から押し寄せるどす黒い雲が、王国を飲み込もうとしていた。




