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3-7

 王宮の片隅にある小さな礼拝堂に、リチャード神父の低い声が響いていた。

 エリオスは祭壇の前に立ち、揺れる蝋燭の炎を見つめながら耳を傾ける。

「殿下、南方の信徒たちから届く声が、どうにも妙なのです」


 リチャードは眉を寄せ、手に持った古びた数珠を弄んだ。

「ベラルド辺境伯が特権に固執するのは今に始まったことではありません。

 しかし、今回の叛旗はあまりに時期が悪く、かつ性急すぎます」


「時期が悪い、とは? 兄上が不在のタイミングを狙ったのでは」

 エリオスが静かに問い返すと、神父は首を横に振った。


「その可能性もありますが、レオンハント様がいても影響は少ないかと。

 南方は今、昨年の不作による蓄えの底が見え始めている時期です。

 この時期に内乱を起こせば、領民は飢え、来年の種籾さえ失うことになる」


 リチャードは声を潜め、エリオスの銀灰色の瞳をじっと見つめた。

「ベラルド卿は、領民を慈しむ武人として知られていました。

 その彼が、民を飢えさせてまで剣を抜く。

 そこには、伝統の固持とは別の、何か『得体の知れない力』を感じるのです」


「……力、か。背後で糸を引く存在がいるかもしれないな」

 エリオスは自らの顎に手を当て、思考の海に沈んだ。

 単なる欲やプライドではなく、引くに引けない理由が彼を突き動かしている。


「リチャード、その違和感を忘れないでくれ。

 教会のネットワークを使い、ベラルド卿の周辺に『見慣れぬ顔』がいないか探ってほしい。

 特に、国外の影を重点的にね」


「承知いたしました。

 我ら羊飼いも、狼の匂いには敏感でありたいものですから」

 リチャードは短く祈りを捧げ、軽やかな足取りで礼拝堂を後にした。



 それから数日後、王宮の平穏は一通の早馬によって破られた。

 出征したカイル将軍からの、想定外の苦戦を伝える報せだった。


「殿下、陛下がお呼びです。至急、大謁見の間へ」


 ベレンドールの切迫した声に、エリオスは書きかけの書類を置いた。

 謁見の間では、父王がかつてないほど険しい表情で玉座に深く沈んでいた。

 その手には、泥と汗に汚れた将軍からの報告書が握られている。


 王は顔を上げ、エリオスを射抜くような視線を向けた。

「エリオスよ。カイルを一人で戦わせるわけにはいかん。

 お前が現地へ向かい、名目上の総司令官として陣を敷け」


 一瞬、室内の空気が凍りついたように静まり返った。

「……私が、総司令官でございますか。

 実戦経験のない私を据えれば、現場の混乱を招く恐れがございます」


 エリオスが冷静に懸念を口にすると、王は首を横に振った。

「実務の差配や行軍の指揮は、引き続きカイルに一任する。

 だが、今の戦場には『王の代理』という重みが必要なのだ」


 王は椅子から身を乗り出し、声を一段低くした。

「辺境伯に与する小領主たちは、王家を軽んじ始めている。

 王族が自ら前線に立つことで、彼らの迷いを断ち切る楔となれ」


 つまり、エリオスに求められているのは武功ではない。

 王家の威信を具現化し、離反しようとする貴族たちへの「無言の圧力」となることだ。

 エリオスは目を伏せ、自らの役割が軍事ではなく政治的象徴であることを悟った。


「承知いたしました。

 カイル将軍の剣を鈍らせぬよう、私は王家の旗として、戦地に立ちましょう」

 エリオスは跪き、静かに、しかし断固とした口調で応じた。


「カイルを支え、王家の名の下に秩序を取り戻せ。

 内乱を長引かせ、この国を二つに割らせるわけにはいかん」


 謁見を終えたエリオスが廊下に出ると、コレットが慌てて歩み寄ってきた。


「エリオス様、正気ですか?

 名目上とはいえ総司令官だなんて。狙ってくださいと言っているようなものですよ!」

「わかっているよ、コレット。

 それでも、王族が戦地に行くことで、士気を高めようとなさっている」


 エリオスは歩を止めず、淡々と言い放った。


「カイル将軍には戦を。私には、その戦の正当性を担保する舞台装置を。

 役割分担としては、極めて合理的だとは思わないか?」

「……そんな冷静に戦場に行けるのは、世界で殿下だけです」


 コレットは呆れたように肩をすくめたが、その瞳には主を案じる色が濃く浮かんでいた。



 エリオスは窓の外、南の空に広がる不穏な黒雲を見つめた。

「ベレンドール、出発の準備を。

 最小限の供回りでいい。

 ただし、情報を正しく集めれられるような人材を頼む」

「承知いたしました。

 殿下をお守りする準備を整えます」


 ベレンドールは、覚悟を決めた主人の背中に深々と一礼した。


 エリオスは自室に戻り、旅支度の最中にふと自分の左目に触れた。

 銀灰色の瞳に映るのは、戦火の予感か、あるいは救いの光か。

 彼はまだ知る由もないが、この南への旅が、彼を「加護の王子」へと変える最初の歩みとなる。


 荷造りを手伝うコレットの手が、わずかに震えているのに気づき、エリオスは小さく笑った。

「コレット、そんなに怯えるな。

 戦場でも、私は私のやり方でしか動かない。

 泥にまみれるのは、カイル将軍の役目だよ」

「……そう言いつつ、結局一番大変なところに首を突っ込みそうだと思ってるんですよ」

 コレットは毒づきながらも、主人の最も信頼する外套を丁寧に畳んだ。


 月明かりが王宮の尖塔を冷たく照らす中。

 静かなる知性を宿した王子は、荒れ狂う内乱の渦中へと、その身を投じる準備を終えた。



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