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3-6

 王宮の「深紅の謁見室」には、初夏の陽光さえも拒絶するような、重苦しい静寂が満ちていた。

 円卓を囲むのは、国王と、数人の重臣、そして第二王子エリオスである。

 中央に広げられた南方の地図には、一箇所、鮮血のような赤い印が打たれていた。


「辺境伯ベラルド・グスマンが、牙を剥いたか」

 国王の声は、絞り出すように低かった。

 手元の書状には、南方守護の要であるはずのベラルドが、王命を拒絶し、独自に軍を集結させているという急報が記されている。


 内政官ハワードが、苦渋に満ちた表情で補足した。

「殿下、ベラルド卿の主張は一貫しております。王家が進める『中央集権的な徴税法』および『地方貴族の私兵制限』の撤廃です。彼はこれを、古き良きアルセイオンの伝統を破壊する暴挙と呼んでおります」


「伝統、か。自分の財布から金が減り、自分の手から剣が取り上げられるのを、美名で飾り立てているに過ぎないな」

 アルセイオン王は、感情の起伏を感じさせない声で断じた。

 彼の瞳は、地図上のベラルドの領地を、まるで腐敗した患部を見るような目で見つめている。


 ハワードが深く頷き、言葉を継ぐ。

「恐らく、先のカスティーリャ伯の失脚が引き金となったのでしょう。王家が本気で貴族の特権を削りに来たと悟り、袋の鼠になる前に打って出た……。古い特権階級の、最後にして最大の反撥ですな」


「彼らは、時代が変わってきていることに気づいていない」

 エリオスは椅子に深く身を沈めた。

「個々の領主が勝手に法を敷き、勝手に税を取る。そんな断片化された国家では、周辺国の餌食になるだけだというのに」


 国王は深く溜息をつき、その視線を地図から重臣たちへと移した。

「ベラルド・グスマンの専横、もはや看過できぬ。古い特権に固執し、国の血流を止める者は、王法の敵である」

 

 玉座に座る老王の宣言は、静かだが重かった。

「カイル将軍、王軍の第三、第五師団を直ちに出征させよ。南方国境の鎮撫にあたれ。これは反乱への即時対応である」

 

 カイル将軍が力強く一礼し、甲冑を鳴らして退室していく。

 王は続けて、傍らに控えるエリオスを直視した。


「エリオス。お前は王都に残り、ハワードと共に軍の補給と後方の治安維持を統括せよ。後ほど戦場に行かせるかもしれんが、王城を守るのもまた王子の務めだ」

「御意に、父上。滞りなく務めを果たします」


 エリオスは淡々と応じ、深く頭を垂れた。

 

 謁見室を出ると、廊下には侍従長ベレンドールが、厳しい表情を崩さずに待機していた。

 その後ろでは、コレットが主人の様子を伺うように、静かに控えている。

 

「ベレンドール、表情が険しいな。南方からの知らせに、まだ続きがあるのか?」


 エリオスが歩きながら問いかけると、ベレンドールは声を潜めて応じた。

 

「左様でございます。辺境伯ベラルドは、近隣の小領主たちを次々と懐柔している様子。彼らは王家が自分たちの領民や財産を、法の名の下に奪おうとしていると吹き込まれております。南方の民衆の間にも、王軍を侵略者と見る空気が広がりつつあります」

 

 エリオスは足を止め、窓の外に広がる王都の街並みを眺めた。


「……民の心まで敵に回しているというわけか。ベラルド卿は、力による支配だけでなく、恐怖と伝統を巧みに操っているのだな」

 

 彼はそのまま、静かに考え込んだ。

 兄レオンハントであれば、自ら先陣を切って民の前に立ち、その誤解を解こうとしただろう。

 だが、今の自分に求められているのは、情熱による説得ではない。

 

「ベレンドール、コレット。事態は長引くかもしれない。王軍が勝つのは道理だが、その後の統治に禍根を残せば、それは本当の勝利とは言えない」


 エリオスは、自身の指先に視線を落とした。

 

「ベラルド卿が掲げる『伝統』という名の古い壁を、どう崩すべきか……。単に軍事的に制圧するだけでは、南方の土壌には不満という名の種が残り続ける」

「エリオス様、何か名案でも?」


 コレットが少し身を乗り出して尋ねた。

 

「名案などないさ。ただ、向こうが伝統を盾にするなら、こちらはそれ以上の『大義』を示さねばならない。……コレット、リチャード神父を呼んでくれ。教会のネットワークを使って、南方の民衆が真に何を恐れているのか、より詳細な声を集めたい」

 

 エリオスは再び歩き出した。

 その足取りに迷いはないが、瞳の奥には静かな緊張が宿っている。

 

「武勲はカイル将軍と兵たちに任せよう。私はこの王城で、戦が終わった後の『秩序』を編み直す準備を始める」

 

 彼は自室へと戻り、膨大な資料と地図を前に、これからのアルセイオンが進むべき道を一人静かに描き始めた。

 戦火の音が聞こえぬ場所で、エリオスの孤独な戦いが、また一つ幕を開けようとしていた。



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