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3/30

1-3

 その日、レオンハントは王都港の視察に出ていた。


 名目は学びの一環だが、彼自身にとっては息を整える時間でもある。

 石畳を踏みしめ、帆柱の影を辿り、荷の匂いを確かめる。

 港は、いつ来ても嘘をつかない。


 沖合には、見慣れない船影があった。

 船体の塗り、帆の縫い目、甲板の作り――どれも、この国のものとは違う。


「外洋からかな……」


 呟きは、自然と口をついて出た。


 荷揚げの喧騒から少し外れた場所で、レオンハントは違和感に気づく。

 人の流れに逆らうように、細身の少年が立ち尽くしていた。


 年は、レオンハントより少し下だろう。

 服は異国のもの。

 視線は忙しなく動き、落ち着きがない。


 ――迷っている。


 そう思った瞬間、体が先に動いていた。


「大丈夫か?」


 声をかけると、少年はびくりと肩を跳ねさせた。

 何か早口で言うが、言葉はまるで分からない。


 近くに控えていた侍従が、慌てて前に出る。


「殿下、お下がりください。身元の知れぬ者です」


 レオンハントは、一歩だけ前に出たまま、振り返らない。


「すぐには触れない。話すだけだ」


 侍従は何かを言いかけたが、侍従長がそれを止めた。


 少年は、不安そうに周囲を見回し、再び何かを言った。

 今度は、いくつかの単語が混じっている。


「……パパ。……ノー……」


 片言だが、必死さは伝わってくる。


 レオンハントは、ゆっくりと両手を開いた。

 敵意がないことを示すための、港でよく見る仕草だ。


「船、か。兄弟を探している?」


 通じないと分かっていながら、言葉を置く。

 そして、自分の胸を指し、名を名乗った。


「レオンハント」


 少年は一瞬きょとんとし、それから自分の胸を叩いた。


「……リム」


 そう名乗ってから、船の方角を指差し、首を振る。


 言葉は足りない。

 だが、足りないなりに、繋げることはできる。


 レオンハントは、身振りで船を描き、次に人の形を指で示した。

 数を数える仕草も加える。


 少年――リムは、何度も頷いた。


 少しずつ、噛み合い始める。


 侍従は、落ち着かない様子で周囲を警戒している。

 だが、レオンハントは少年から目を離さなかった。


 異国の言葉は分からない。

 だが、人が困っていることは、分かる。

 そして、外から来た者の不安は、港に立てば痛いほど理解できた。


「一緒に、探そう」


 通じるかどうかは分からない。

 それでも、レオンハントはそう言って、歩き出した。


 少年は一拍遅れて、その後ろについてくる。


 港を歩きながら、レオンハントは意識して歩調を落とした。


 急げば、少年は置いていかれる。

 だが、遅すぎれば不安になる。


「この辺りは、船が多い。

 人も多いけど……悪い人ばかりじゃない」


 通じるはずもない言葉を、あえて口にする。

 声の調子だけで、安心を渡すつもりだった。


 少年――リムは、最初は緊張したままだったが、

 レオンハントが甲板のきしむ音を真似てみせると、くすりと口元を緩めた。


「キィ……ギィ……」


 わざとらしい音に、リムは肩を揺らす。

 やがて、小さな笑い声が零れた。


 それでいい、とレオンハントは思う。

 笑えるなら、もう一歩進める。


 荷役の男たちの前で、レオンハントは足を止めた。


「すみません。この少年の船を探していて。

 外国から来た船の情報、何かありませんか」


 男は一瞬、王子の顔を見て驚いたが、すぐに頭を掻いた。


「どうですかね。外洋船、来てたかな」


 別の商人にも声をかける。


「外洋船? ああ、今は倉庫の裏で書付を確認してたな」

「背の高い船長がいたぜ」


 少しずつ、糸が繋がる。


 レオンハントは、礼を言いながら進んだ。

 偉ぶる必要はない。

 港では、知っている者が一番強い。


 倉庫の影で、背の高い男が苛立った様子で周囲を見回していた。

 異国の服、日に焼けた肌。

 明らかに、探している。


 リムが、はっと息を呑んだ。


 次の瞬間、少年は駆け出した。


「パパ!」


 言葉は分からなくても、声で分かる。

 男は振り向き、驚き、そして膝を折った。


 リムはそのまま、男の胸に飛び込む。

 強く抱きしめられた拍子に、涙が溢れた。


 男は何度も少年の頭を撫で、額に口づけを落とす。

 周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいた。


 やがて、男はレオンハントに向き直り、深く頭を下げた。


「ありがと、ございます。かんしゃを」


 片言だが、感謝は十分すぎるほど伝わる。


 レオンハントは、慌てて首を振った。


「当たり前のことをしただけです」


 男は何度もうなずき、胸を叩く仕草をした。

 リムは、涙の跡を残したまま、誇らしげに笑う。


 その笑顔を見て、レオンハントは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


 港は、今日も忙しい。

 だが、その中で、小さな安心が、確かに行き渡った。


 侍従が、ようやく肩の力を抜いた。


 レオンハントは、潮の匂いを吸い込み、静かに息を整える。


 ――こういう繋がりも、きっと、国を支える。


 そう思いながら、彼は次の船影へと目を向けた。



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