1-3
その日、レオンハントは王都港の視察に出ていた。
名目は学びの一環だが、彼自身にとっては息を整える時間でもある。
石畳を踏みしめ、帆柱の影を辿り、荷の匂いを確かめる。
港は、いつ来ても嘘をつかない。
沖合には、見慣れない船影があった。
船体の塗り、帆の縫い目、甲板の作り――どれも、この国のものとは違う。
「外洋からかな……」
呟きは、自然と口をついて出た。
荷揚げの喧騒から少し外れた場所で、レオンハントは違和感に気づく。
人の流れに逆らうように、細身の少年が立ち尽くしていた。
年は、レオンハントより少し下だろう。
服は異国のもの。
視線は忙しなく動き、落ち着きがない。
――迷っている。
そう思った瞬間、体が先に動いていた。
「大丈夫か?」
声をかけると、少年はびくりと肩を跳ねさせた。
何か早口で言うが、言葉はまるで分からない。
近くに控えていた侍従が、慌てて前に出る。
「殿下、お下がりください。身元の知れぬ者です」
レオンハントは、一歩だけ前に出たまま、振り返らない。
「すぐには触れない。話すだけだ」
侍従は何かを言いかけたが、侍従長がそれを止めた。
少年は、不安そうに周囲を見回し、再び何かを言った。
今度は、いくつかの単語が混じっている。
「……パパ。……ノー……」
片言だが、必死さは伝わってくる。
レオンハントは、ゆっくりと両手を開いた。
敵意がないことを示すための、港でよく見る仕草だ。
「船、か。兄弟を探している?」
通じないと分かっていながら、言葉を置く。
そして、自分の胸を指し、名を名乗った。
「レオンハント」
少年は一瞬きょとんとし、それから自分の胸を叩いた。
「……リム」
そう名乗ってから、船の方角を指差し、首を振る。
言葉は足りない。
だが、足りないなりに、繋げることはできる。
レオンハントは、身振りで船を描き、次に人の形を指で示した。
数を数える仕草も加える。
少年――リムは、何度も頷いた。
少しずつ、噛み合い始める。
侍従は、落ち着かない様子で周囲を警戒している。
だが、レオンハントは少年から目を離さなかった。
異国の言葉は分からない。
だが、人が困っていることは、分かる。
そして、外から来た者の不安は、港に立てば痛いほど理解できた。
「一緒に、探そう」
通じるかどうかは分からない。
それでも、レオンハントはそう言って、歩き出した。
少年は一拍遅れて、その後ろについてくる。
港を歩きながら、レオンハントは意識して歩調を落とした。
急げば、少年は置いていかれる。
だが、遅すぎれば不安になる。
「この辺りは、船が多い。
人も多いけど……悪い人ばかりじゃない」
通じるはずもない言葉を、あえて口にする。
声の調子だけで、安心を渡すつもりだった。
少年――リムは、最初は緊張したままだったが、
レオンハントが甲板のきしむ音を真似てみせると、くすりと口元を緩めた。
「キィ……ギィ……」
わざとらしい音に、リムは肩を揺らす。
やがて、小さな笑い声が零れた。
それでいい、とレオンハントは思う。
笑えるなら、もう一歩進める。
荷役の男たちの前で、レオンハントは足を止めた。
「すみません。この少年の船を探していて。
外国から来た船の情報、何かありませんか」
男は一瞬、王子の顔を見て驚いたが、すぐに頭を掻いた。
「どうですかね。外洋船、来てたかな」
別の商人にも声をかける。
「外洋船? ああ、今は倉庫の裏で書付を確認してたな」
「背の高い船長がいたぜ」
少しずつ、糸が繋がる。
レオンハントは、礼を言いながら進んだ。
偉ぶる必要はない。
港では、知っている者が一番強い。
倉庫の影で、背の高い男が苛立った様子で周囲を見回していた。
異国の服、日に焼けた肌。
明らかに、探している。
リムが、はっと息を呑んだ。
次の瞬間、少年は駆け出した。
「パパ!」
言葉は分からなくても、声で分かる。
男は振り向き、驚き、そして膝を折った。
リムはそのまま、男の胸に飛び込む。
強く抱きしめられた拍子に、涙が溢れた。
男は何度も少年の頭を撫で、額に口づけを落とす。
周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいた。
やがて、男はレオンハントに向き直り、深く頭を下げた。
「ありがと、ございます。かんしゃを」
片言だが、感謝は十分すぎるほど伝わる。
レオンハントは、慌てて首を振った。
「当たり前のことをしただけです」
男は何度もうなずき、胸を叩く仕草をした。
リムは、涙の跡を残したまま、誇らしげに笑う。
その笑顔を見て、レオンハントは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
港は、今日も忙しい。
だが、その中で、小さな安心が、確かに行き渡った。
侍従が、ようやく肩の力を抜いた。
レオンハントは、潮の匂いを吸い込み、静かに息を整える。
――こういう繋がりも、きっと、国を支える。
そう思いながら、彼は次の船影へと目を向けた。




