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3-3

 翌朝、王都の聖マリアン大聖堂は、例年になく熱心な信徒たちの列で埋まっていた。

 エリオスが白亜の階段を上るたび、跪く人々から「光の王子様だ」という囁きが漏れる。

 彼は表情を変えず、ただ静かに、兄の航海安全を祈る大儀式を執り行った。


 儀式が終わると、彼は聖堂の奥にある豪奢な応接室へと通された。

 そこに待っていたのは、白髭を蓄え、慈愛の塊のような微笑を浮かべたマルセル司教である。

「エリオス殿下、本日の祈祷、実に見事な献身でございましたな」


 司教は慇懃に頭を垂れたが、その濁りのない瞳の奥には、鋭い観察眼が光っていた。

「レオンハント殿下の不在を埋めるため、民もまた、拠り所となる聖性を求めているのでしょう」


「司教様、私はただ公務を粛々とこなしているに過ぎません」

 エリオスは椅子に深く腰掛け、淡々と切り出した。

「民の熱狂は一時的な気象現象のようなものだ。それよりも、教会が把握している北方の物流停滞について、見解を伺いたい」


「おやおや、祈りの直後に世俗の数字の話とは。殿下は相変わらず、神のお告げよりも帳簿の数字を信じておいでだ」

 司教は老獪に笑い、警戒心をその柔和な表情の裏に隠した。

 この若き王子が、信仰を「統治の道具」として利用しようとしていることを、彼は鋭く察知していた。


 だが、司教にとってもエリオスとの協力は、教会の権威を盤石にする好機でもある。

「国境付近の修道院からは、巡礼者に紛れて、剣を隠し持った者たちが入り込んでいるとの報告がございます」


 エリオスは頷き、懐から一枚の布紙を取り出した。

「それは私の予測と一致する。司教様、教会の救済網を使って、国境付近の村々に食糧の備蓄を命じていただきたい。費用は王室の予備費から、教会の『寄進』という形で捻出しましょう」


「ほう……それは、教会が民の英雄になる道を作ってくださる、ということですか」

 司教の目がわずかに細まった。

 エリオスの提案は、教会の面子を立てつつ、実質的な防衛線を築くという、極めて合理的で狡猾な取引だった。


 応接室の外で控えていたコレットは、扉の隙間から漏れる緊張感に、一人でほくそ笑んでいた。

(やっぱりだ。エリオス様、しっかり司教様を『実務の共犯者』に仕立て上げている)

 予想した思惑が当たり、コレットは心の中で小さく拳を握った。


 エリオスは予定通り、情報のパイプを太くすることに成功した。

 だが、彼が部屋を出る際、司教がポツリと漏らした言葉が耳に残った。

「殿下、あなたは影に徹しようとなさるが、民が求めるのは、闇を照らす光そのものなのですぞ」


 大聖堂の外に出ると、さらに信者の数は膨れ上がっていた。

 彼らがエリオスに向ける視線は、女神の祝福の噂もあって、王子に対する敬意以上のものがあった。

 エリオスは無言で馬車に乗り込み、民衆の心理という計算の難しいものの存在を感じていた。



 大聖堂を後にしたエリオス一行が次に向かったのは、下町の入り口に佇む質素な石造りの小教会だった。

 華美な大聖堂とは対照的に、そこには生活の匂いと、安らぐような沈丁花の香りが漂っている。


「やあ、これは珍しいお客様だ。コレット、お前また主人の仕事を増やしているんじゃないだろうな?」

 

 奥から現れたリチャード神父は、日に焼けた顔に屈託のない笑みを浮かべていた。

 聖職者というよりは腕の良い職人のような快活さがあり、コレットとは旧知の仲のようだ。


「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ、リチャードさん。今日はエリオス様の『お耳』になりに来たんです」

 コレットが肩をすくめて応じると、リチャードは豪快に笑い、一行を奥の談話室へと招き入れた。


「エリオス殿下、わざわざ足を運んでいただき恐縮です。

 ……さて、司教様方の前では話しにくい『泥臭い噂』をお求めかな?」


 リチャードは使い古された紙の端に書き留めた、とりとめのない噂話を順に口にしていった。

 東方の港での小規模な赤潮、王都のパン屋の末娘の失踪、そして西部の街道に出没する野盗の噂。

 エリオスはそれらを静かに聞いていたが、最後の情報が気になった。


「北方アズールコーストの地方領主たちの間で、利権を巡る諍いが再燃しています。

 よくあることではありますが、きっかけがあったわけでもなく不思議でしてね」


 エリオスは眉を寄せ、手帳にその地名を書き留めた。


「大きな内乱にならなければ良いが」

「殿下の『瞳』でも未来はわかりまんせんか」


 リチャードが、エリオスの瞳をちらりと見て言った。

 エリオスの瞳は、右と左で色が違うオッドアイである。


「……女神の祝福、というやつか。

 小さい頃から言われ慣れてるが、私はこれを少し疎ましく思っているのだ」


 エリオスが自嘲気味に言うと、リチャードは楽天的な調子で首を振った。


「古き伝承では、その瞳は『過去と未来を同時に見る鏡』とされています。民がそれを女神の加護と呼ぶなら、否定せず贈り物として活用すれば良い。理屈で動かぬ民を救うには、時には聖なる魔法も必要ですよ」

「リチャードさんの言う通りですよ、エリオス様。

 僕も神秘的とか言われたいものです」


 コレットが横から茶化すように言い、三人の間に柔らかな空気が流れた。

 

 帰り道、夕闇に包まれ始めた王都の街並みを、馬に乗って静かに進んでいく。

 エリオスの心には、調査で得た情報の重みと、リチャードの明るい声の余韻が残っていた。


「コレット、リチャード神父とは随分と長い付き合いのようだが、彼も教会の情報網の一部なのか?」


「いいえ。彼はただ、お節介が趣味なだけの呑気な神父ですよ。でも、ああいう人の周りには自然と本音が集まるんです」

 コレットは窓の外を眺めながら、どこか遠い目をして笑った。


「本音、か。そうしたものが見える瞳なら実利もあるんだがな」


 エリオスは自らの目を軽く指でなぞり、深く溜息をついた。

 夜の帳が降りる王都。

 その暗がりの向こうで、確実に動き始めている動乱の足音を、彼は知性で感じとっていた。



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