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湖を背に、レオンハントとアレッシアは並んで馬を走らせていた。
アレッシアは風に髪をなびかせ、時折レオンハントの横顔を盗み見る。
「カスティアーノの公爵閣下は、あなたのことを『海と同じく捉えどころのない、頼りない若者だ』と零しておりましたわ」
アレッシアが鈴を転がすような声で言った。
レオンハントは苦笑いし、手綱を握り直す。
「彼らにとって、揺れるものはすべて不実に見えるのだろう。だが、私はあそこで、揺るがない土の重さを知ったよ」
「ふふっ。その『重さ』が、あなたのその手に刻まれているのですね」
アレッシアの視線が、再び彼の右手の痕跡を掠めた。
彼女はそれ以上は追求せず、代わりに前方の空を指差した。
「見て。あそこがオライアの主星、メルカト島。黄金と欲望が、潮の満ち引きのように入れ替わる場所ですわ」
湖の先には、幾重もの橋で繋がれた巨大な島影が見えていた。
夕刻、使節団はメルカト島の中心部に位置する、大理石造りの賓客用宿舎へと到着した。
翌朝。
レオンハントは、朝食の席で出された一切れのパンを見て、微かな違和感を覚えた。
「……イアン、気のせいか。このパン、アルセイオンやカスティアーノのものより、ずいぶん小ぶりではないか?」
イアンが厳しい表情で頷いた。
「王子、お気づきになりましたか。メルカトでは今、主食である小麦の価格が異常な高騰を見せているのです」
聞けば、オライアは近年の急速な人口増加により、自給自足の限界を超えていた。
カスティアーノなどの他国からの輸入に頼らざるを得ないのだが、その流通が滞っているという。
「これほどの活気がある港を持ちながら、なぜ小麦が足りないんだ?」
「港には届いているのですわ。ただ、それが市場に流れてこないだけ」
いつの間にか現れたアレッシアが、冷徹な響きを含んだ声で答えた。
彼女はすでに、独自の伝てで街の「裏側」を嗅ぎ取っていた。
「今週、私も気になって調べましたわ。現在、アルセイオンから届いたばかりの大量の小麦が、検疫を理由に港の倉庫に封印されていますの」
レオンハントの目が鋭くなった。
「検疫? アルセイオンの小麦は、父上が厳格な品質管理を命じているはずだ。病原菌など混じるはずがない」
「理屈はそうです。ですが、ここでは『疑いがある』という役人の一言が、黄金よりも重い価値を持ちますわ」
アレッシアの説明によれば、オライアの腐敗した検疫官と、特権的な商党が手を組んでいるのだという。
彼らは「検査」と称して物資を長期間留め置き、市場の飢餓感を煽る。
品不足になれば価格が跳ね上がり、彼らが密かに抱え込んでいる古い小麦が高値で売れる――という仕組みだ。
「……腐らせるつもりか。人々が今日食べるパンに困っているというのに」
レオンハントは、泥にまみれて働いた男たちの顔を思い出していた。
一粒の麦を育てるために、どれほどの汗が土に染みたか。
その結晶を、商売の道具として弄ぶ行為は、彼にとって耐えがたい侮辱だった。
午前、レオンハントたちは視察と称して港へ向かった。
巨大な倉庫群の入り口には、公国の重装騎士とはまた違う、金の刺繍を凝らしたオライアの衛兵たちが立ち塞がっている。
扉の隙間からは、微かに、だが確実に「生命の匂い」――乾燥した小麦の芳醇な香りが漂ってきた。
「開けてもらいたい。アルセイオンの王子として、自国の貨物の状態を確認する権利がある」
レオンハントの言葉に、恰幅のいい検疫官が薄笑いを浮かべて答えた。
「……これは失礼。ですが殿下、この小麦には異国の奇病が潜んでいる恐れがございましてな。万が一、この島に蔓延すれば、殿下の名に傷がつくことになります。安全が確認されるまで、あと……そう、二週間は必要でしょう」
「二週間!? その間に小麦は湿気で台無しになるぞ!」
「それもまた、運命というものでございましょう」
検疫官は、恭しく、しかし冷淡に一礼して背を向けた。
レオンハントが拳を握りしめたその時、背後でアレッシアがくすりと笑った。
「レオン。あんな石像のような男に正論を説いても、時間の無駄ですわ」
アレッシアは、鮮やかな手つきで旅装の袖を捲り上げると、輝く瞳でレオンハントを見つめた。
「オライアの商人は、自分たちが『賢い』と思っている時が一番隙だらけですの。……王子、ここからは刺激的な『狩り』の時間ですわ。私の叔父から借りた裏帳簿と、あなたの真っ直ぐで人を動かそうとする熱量。合わせて使えば、あの肥え太った豚どもの鼻を明かすことくらい、造作もありませんわ!」




