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2-10

 湖を背に、レオンハントとアレッシアは並んで馬を走らせていた。

 アレッシアは風に髪をなびかせ、時折レオンハントの横顔を盗み見る。

 

「カスティアーノの公爵閣下は、あなたのことを『海と同じく捉えどころのない、頼りない若者だ』と零しておりましたわ」

 

 アレッシアが鈴を転がすような声で言った。

 レオンハントは苦笑いし、手綱を握り直す。

 

「彼らにとって、揺れるものはすべて不実に見えるのだろう。だが、私はあそこで、揺るがない土の重さを知ったよ」

 

「ふふっ。その『重さ』が、あなたのその手に刻まれているのですね」

 

 アレッシアの視線が、再び彼の右手の痕跡を掠めた。

 彼女はそれ以上は追求せず、代わりに前方の空を指差した。

 

「見て。あそこがオライアの主星、メルカト島。黄金と欲望が、潮の満ち引きのように入れ替わる場所ですわ」

 

 湖の先には、幾重もの橋で繋がれた巨大な島影が見えていた。

 夕刻、使節団はメルカト島の中心部に位置する、大理石造りの賓客用宿舎へと到着した。

 

 翌朝。

 レオンハントは、朝食の席で出された一切れのパンを見て、微かな違和感を覚えた。

 

「……イアン、気のせいか。このパン、アルセイオンやカスティアーノのものより、ずいぶん小ぶりではないか?」

 

 イアンが厳しい表情で頷いた。

 

「王子、お気づきになりましたか。メルカトでは今、主食である小麦の価格が異常な高騰を見せているのです」

 

 聞けば、オライアは近年の急速な人口増加により、自給自足の限界を超えていた。

 カスティアーノなどの他国からの輸入に頼らざるを得ないのだが、その流通が滞っているという。

 

「これほどの活気がある港を持ちながら、なぜ小麦が足りないんだ?」

 

「港には届いているのですわ。ただ、それが市場に流れてこないだけ」

 

 いつの間にか現れたアレッシアが、冷徹な響きを含んだ声で答えた。

 彼女はすでに、独自の伝てで街の「裏側」を嗅ぎ取っていた。

 

「今週、私も気になって調べましたわ。現在、アルセイオンから届いたばかりの大量の小麦が、検疫を理由に港の倉庫に封印されていますの」

 

 レオンハントの目が鋭くなった。

 

「検疫? アルセイオンの小麦は、父上が厳格な品質管理を命じているはずだ。病原菌など混じるはずがない」

 

「理屈はそうです。ですが、ここでは『疑いがある』という役人の一言が、黄金よりも重い価値を持ちますわ」

 

 アレッシアの説明によれば、オライアの腐敗した検疫官と、特権的な商党が手を組んでいるのだという。

 彼らは「検査」と称して物資を長期間留め置き、市場の飢餓感を煽る。

 品不足になれば価格が跳ね上がり、彼らが密かに抱え込んでいる古い小麦が高値で売れる――という仕組みだ。

 

「……腐らせるつもりか。人々が今日食べるパンに困っているというのに」

 

 レオンハントは、泥にまみれて働いた男たちの顔を思い出していた。

 一粒の麦を育てるために、どれほどの汗が土に染みたか。

 その結晶を、商売の道具として弄ぶ行為は、彼にとって耐えがたい侮辱だった。

 

 午前、レオンハントたちは視察と称して港へ向かった。

 

 巨大な倉庫群の入り口には、公国の重装騎士とはまた違う、金の刺繍を凝らしたオライアの衛兵たちが立ち塞がっている。

 扉の隙間からは、微かに、だが確実に「生命の匂い」――乾燥した小麦の芳醇な香りが漂ってきた。

 

「開けてもらいたい。アルセイオンの王子として、自国の貨物の状態を確認する権利がある」

 

 レオンハントの言葉に、恰幅のいい検疫官が薄笑いを浮かべて答えた。

 

「……これは失礼。ですが殿下、この小麦には異国の奇病が潜んでいる恐れがございましてな。万が一、この島に蔓延すれば、殿下の名に傷がつくことになります。安全が確認されるまで、あと……そう、二週間は必要でしょう」

 

「二週間!? その間に小麦は湿気で台無しになるぞ!」

 

「それもまた、運命というものでございましょう」

 

 検疫官は、恭しく、しかし冷淡に一礼して背を向けた。

 

 レオンハントが拳を握りしめたその時、背後でアレッシアがくすりと笑った。

 

「レオン。あんな石像のような男に正論を説いても、時間の無駄ですわ」

 

 アレッシアは、鮮やかな手つきで旅装の袖を捲り上げると、輝く瞳でレオンハントを見つめた。

 

「オライアの商人は、自分たちが『賢い』と思っている時が一番隙だらけですの。……王子、ここからは刺激的な『狩り』の時間ですわ。私の叔父から借りた裏帳簿と、あなたの真っ直ぐで人を動かそうとする熱量。合わせて使えば、あの肥え太った豚どもの鼻を明かすことくらい、造作もありませんわ!」



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