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2-6

 ザッパが最初に連れて行ったのは、王宮から馬車で一時間ほどの場所にある石切場だった。

 公式視察で見せられた、白く輝く花崗岩の神殿。

 その材料がどこから来るのか、レオンハントは初めてその「産みの苦しみ」を目にすることになる。


 切り立った崖の下で、男たちが重い鉄槌を振るっていた。

 舞い上がる石粉が肺を焼き、男たちの肌は灰を被ったように白く乾いている。

 一人が激しく咳き込み、膝をついた。


 だが、監視役の兵士が冷たく鞭を鳴らす。

 「手を休めるな」という無言の圧力が、岩壁に反響していた。

 レオンハントが駆け寄ろうとしたが、ザッパがその肩を無造作に掴んで止めた。


「坊ちゃん、余計な真似はよせ」

「あいつらは『国の礎』なんだよ。礎ってのはな、踏みつけられて、動かないから価値があるのさ」


「……だが、あんなに苦しそうにしている」


「それが土に生きるってことだ。海みたいに、風が吹けばどこへでも行ける場所じゃねえんだよ」

「ここは、一度掘り始めたら、死ぬまでその穴を掘り続けるしかない場所なんだ」


 ザッパの言葉は冷酷だったが、そこに奇妙な実感がこもっていた。

 次に案内されたのは、広大な麦畑の端にある、汚水が溜まった低湿地だった。


 公式の場では「豊かな実り」と讃えられていた裏側で、女たちが腰まで泥に浸かっている。

 彼女たちは、上流の貴族の館から流される排水を食い止めるため、素手で泥を掻き出していた。

 そうしなければ、自分たちのわずかな畑が腐ってしまうからだ。


 レオンハントは、自分の履いている磨き上げられたブーツを見た。

 その一足の値段で、この村の家族が一年は暮らせるだろう。

 案内人ザッパは、王子の困惑を楽しむように、さらに歩を速めた。


 最後に辿り着いたのは、一週間前の豪雨で土砂崩れが起きたという、山間の小さな開拓村だった。

 村を繋ぐ唯一の細い道は、巨大な岩と泥に塞がれている。

 村人たちは、折れそうな木の枝や錆びた鍬で、絶望的な作業を続けていた。


「ここは公爵閣下の『お気に入り』じゃないからな。兵も出なけりゃ、予算も降りねえ」

「放っておけば、冬が来る前にこの村は飢えて全滅だ」


 ザッパはそう言って、足元に転がっていた石を蹴飛ばした。

 レオンハントは、しばらくの間、泥を掻き出す老婆の震える手を見つめていた。

 その手は、船で見た水夫たちのそれよりも、ずっと脆く、必死だった。



 穏やかな天気とは裏腹に、一行は冴えない表情で帰途についた。

 レオンハントは窓の外に広がる、夕闇に沈みゆく麦畑をじっと見つめている。

 その瞳には、先ほど見た石切場の白い粉塵や、湿地で泥にまみれた女たちの姿が焼き付いて離れなかった。


 数刻の間、彼は一言も発さなかった。

 イアンとベニートは、王子の横顔に宿るただならぬ決意を感じ取り、声をかけることすらためらっていた。

 やがて、宿舎の明かりが見え始めた頃、レオンハントは深く、重い息を吐き出した。


 彼はゆっくりと、二人の方を向いた。


「イアン、ベニート」


 レオンハントが、静かに振り返った。

 その瞳には、いつもの穏やかさではなく、訓練場で木剣を握る時のような、鋭い光が宿っている。


「私は、次の公式日程には出ない」


「王子! これ以上は国際問題になりますぞ!」

 ベニートが悲鳴のような声を上げた。


「……ベニート、落ち着いて。王子、何をお考えですか」

 イアンが制したが、その表情にも緊張が走る。


「私はこの二日間、この国の『音』を聞いてきた。

 だが、どれも遠くで鳴っている音にしか聞こえなかった。

 石を切る音も、泥を掻く音も、私の体には響いてこないんだ」


 レオンハントは、ザッパの方へ一歩踏み出した。


「ザッパ。お前は私を『浮かんでいる人間』と言ったな。

 その通りだ。私は、自分の足でこの土を踏んでいない」


「……ほう。認めるのかい」

 ザッパが片眉を上げた。


「ああ。だから、この村で働かせてほしい。

 一週間の滞在期間中、私はアルセイオンの王子ではなく、

 一人の労働者としてここへ来る」


「お、王子……! 正気ですか!」

 ベニートが今度こそ卒倒しそうになり、イアンがそれを支える。


「正気だよ、ベニート。……いや、今までで一番、頭が冴えているよ。

 エリオスなら、この状況を見て、一瞬で効率的な救済策を考えられるかもしれない。

 だが、私にはそんな知恵はない。私にあるのは、何度も繰り返せるこの腕だけだ」


 レオンハントは、ザッパの濁った瞳を真っ直ぐに見据えた。


「頼む、ザッパ。私に、この国の『土の重さ』を教えてくれ。

 あんたの案内は、見るだけじゃ足りないんだ。私は、体で覚えたい」


 沈黙が流れた。

 谷底を渡る風が、レオンハントの金の髪を揺らす。

 ザッパは、毒を吐くのも忘れたように、しばらく王子の顔を凝視していた。


「……坊ちゃん、本気で言ってるのか。

 ここじゃ、あんたの親父の名前も、その綺麗な指輪も、腹の足しにはならねえんだぜ」


「指輪なら、今ここでベニートに預ける。

 名前も、レオンと呼んでくれればいい」


 ザッパは、ふん、と鼻で笑った。

 だが、その笑みには、先ほどまでの冷笑とは違う、ざらついた熱が混じっていた。


「いいだろう。死んでも文句を言うなよ、レオン。

 明日の日の出前、宿の裏口にいろ。……遅れたら、置いていくからな」


 ザッパは背を向け、泥道を歩き去っていった。

 その背中を見送りながら、レオンハントは自分の掌を強く握りしめた。


 明日から始まるのは、王子の視察ではない。

 一人の男が、異国の土にその身を捧げる、泥まみれの戦いだ。


「イアン、カスティアーノの公爵にはこう伝えてくれ。

 『第一王子は、風邪をこじらせて寝込んでいる』とな」


「……承知いたしました、王子。……いえ、レオン」

 イアンは困ったように、しかし誇らしげに微笑んだ。


 ベニートだけが、虚空を見つめながらブツブツと祈りの言葉を唱えていた。

 夕闇が迫るカスティアーノの空に、一番星が静かに灯り始めていた。



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