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2-5

 カスティアーノ公国の王宮『グラニート城』は、その名の通り巨大な花崗岩の塊のようだった。

 アルセイオンの建築が風を通すための軽やかさを重んじるのに対し、ここは風を拒み、大地に根を張ることを至上としている。

 

 滞在初日の夜。

 レオンハントを歓迎する晩餐会が開かれた。

 

 広間には、重厚な刺繍を施した衣服に身を包んだ貴族たちが集まっている。

 彼らは一見、アルセイオンの第一王子に対して恭しく、礼を尽くしているように見えた。

 だが、その丁寧な振る舞いの端々には、鋭い棘が隠されていた。

 

 最初の違和感は、乾杯の直後に訪れた。

 給仕がレオンハントの前に差し出したのは、銀の杯ではなく、古めかしい陶器の器だった。

 

「王子、それは我が国に伝わる『大地の聖杯』でございます」

 

 公国の典礼官が、慇懃無礼な微笑を浮かべて言った。

 

「貴国の船のように揺れることはございません。重く、動かぬ土の恵みこそが、我らカスティアーノの誠実さの証。……船の上で不安定な生活を送られる皆様には、少々重すぎるかもしれませんがな」

 

 それは、遠回しに「海に浮いているだけの根無し草」と蔑む言葉だった。

 隣でベニートの眉が微かに動いたが、レオンハントは静かにその器を持ち上げた。

 

 二つ目の無礼は、食事の最中に起きた。

 レオンハントが、アルセイオンの近況や航海術の発展について話題を振ったときのことだ。

 

 向かいに座る老貴族が、驚いたように口元を扇で隠した。

 

「おや、これは失礼。王子の声があまりに朗々としておられたので、てっきり波音に負けぬよう叫ぶ、下卑た水夫の方が紛れ込まれたのかと」

 

 周囲に、さざなみのような失笑が広がる。

 彼らは直接的な罵倒はしない。

 ただ、洗練された言葉の衣を着せ、レオンハントの存在を「野蛮な異物」として丁寧に仕分けしていく。

 

 レオンハントは、自分の掌の「まめ」をテーブルの下でそっと握りしめた。

 船の上で水夫たちと汗を流した感触は、この美しくも冷徹な広間では、語るに値しない恥部であるかのようだった。

 

 翌日からの二日間は、公国が用意した公式案内人による視察が行われた。

 案内人の騎士、ロドリゴは、徹底して「整えられたカスティアーノ」だけをレオンハントに見せた。

 

 豊かな穀倉地帯。

 美しく剪定された並木道。

 規律正しく、王宮に向かって深々と頭を下げる農民たち。

 

「ご覧ください、殿下。これが我が国の秩序です。波のように気まぐれなものは、ここには一つもございません」

 

 ロドリゴは誇らしげに語るが、レオンハントの目には、農民たちの表情が石像のように固く見えた。

 彼らが本当に何を思い、何に苦しんでいるのか。

 この「美しい模型」のような視察からは、何も伝わってこない。

 

 二日目の夜。

 与えられた客室で、レオンハントはイアンに向き合った。

 

「イアン。……私は、この国の本当の体温を知りたい」

 

 イアンは指先でこめかみを強く押し込み答える。

 

「王子。公式の視察では、彼らは自分たちの『一番いい服』しか見せません。ですが、その服の裏側には必ず、泥にまみれた縫い目があるものです」

 

「その縫い目を見たいんだ。このままでは、私はエリオスに何も報告できない」

 

 イアンは少しの間沈黙し、それから意を決したように声を潜めた。

 

「……実は、密かに手配しておいた男がいます。公国の役人が最も嫌い、かつ、この国の土の味を最もよく知る男です」

 

「そんな男が、公式の使節団である私に会ってくれるのか?」

 

「ええ。ただし、王子としての誇りは城のクローゼットに置いてきていただく必要がありますが」

 

 翌朝。

 レオンハントとイアン、そして不承不承従ったベニートの三人は、公式の予定を「休養」としてキャンセルし、城下町の最も古い区画へと足を運んだ。

 

 そこは、石畳が割れ、湿った土が剥き出しになった袋小路だった。

 霧が立ち込めるその路地の奥に、一人の男がうずくまっていた。

 

 使い古された革の外套を羽織り、無精髭を蓄えた男。

 彼はレオンハントたちが近づいても、立ち上がろうともしなかった。

 

「……おい、イアン。この坊ちゃんが、例の『海から来た好奇心』か?」

 

 男の声は、砂利を噛んだように低く、しわがれていた。

 

「口を慎みなさい、ザッパ。こちらにおわすのはアルセイオンの……」

 

 ベニートが前に出ようとしたが、レオンハントがそれを制した。

 

 ザッパと呼ばれた男は、ようやく顔を上げた。

 その瞳は、濁った沼のように深く、それでいて射抜くような鋭さを持っていた。

 

「坊ちゃん、その綺麗な服が泥で汚れる前に帰んな。この国の土は、一度付いたら一生落ちねえぜ。……あんたのような『浮かんでいる人間』に、その覚悟があるのかい?」

 

 ザッパは吐き捨てるように言うと、足元の泥をレオンハントのブーツに向かって、わざとらしく跳ね上げた。

 

 レオンハントは、汚れを拭おうとはしなかった。

 彼は真っ直ぐに、その不遜な案内人の目を見つめ返した。

 

「私は、浮かんでいるだけでは見えないものを探しに来た。

 お願いできるか、ザッパ」

 

 ザッパは一瞬、意外そうな顔をしたが、すぐに醜悪な笑みを浮かべた。

 

「いいだろう。後悔するなよ、王子様」

 

 こうして、レオンハントの「本当の視察」が始まった。

 王族としての盾を失い、一人の人間として大地と向き合う日々の幕開けであった。



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