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2-3

 翌朝。アルセイオン第一港。

 朝靄の中に、巡察船『ブルー・クレスト号』がその美しい姿を現していた。

 三本マストの快速帆船である。


 岸壁には、父王と王妃、そしてエリオスの姿があった。

 公式の場としての見送りだが、レオンハントには、父の厳しい視線の中に「無事に戻れ」という祈りが混じっているのが見て取れた。


「レオンハント王子、行きましょう」


 先にタラップを上がったイアンが、デッキから声をかける。

 ベニートはすでに船室で荷物の配置を船員に指図しているようで、怒鳴り声が風に乗って聞こえてきた。


 レオンハントは最後に一度だけ、アルセイオンの青い空を見上げた。

 それから、しっかりと足元を確かめるようにして、タラップを踏みしめる。


 タラップを上がりきったレオンハントを待っていたのは、今回の旅を共にする精鋭たちだった。

 通訳のイアン、侍従のベニートをはじめ、護衛の騎士が四名、そして船の運航を司る熟練の水夫たちが十名ほど、磨き上げられた甲板に整列している。


 レオンハントは一度、深く息を吸い込んだ。

 王族としての威厳を見せなければならない。そう自分に言い聞かせ、彼は背筋を伸ばして皆の前に立った。


「皆、これより始まる長旅、よろしく頼む」


 その声はよく通ったが、続く言葉に、彼は少しだけ詰まった。用意してきた「王子らしい格調高い演説」が、潮風に吹かれた瞬間にどこかへ飛んでいってしまったのだ。


「……正直に言おう。私は、覚えが悪い。イアンには何度も同じ単語を訳させ、ベニートには一日に三度は礼儀作法で叱られることになるだろう。ここにいる護衛の諸君には、私の不注意で余計な汗をかかせるかもしれない」


 整列していた面々の間に、意外そうな空気が流れた。普通、王子というものは己の欠点など口にしないものだ。


「だが、私はこの旅で、アルセイオンの未来に必要なものを一つ残らず拾い集めたいと思っている。諸君が持つ知恵や経験は、私にとって城の書庫にあるどの本よりも価値があるものだ。だから……」


 レオンハントはそこで、ふっと肩の力を抜いた。


「もし私が馬鹿な真似をしていたら、遠慮なく教えてほしい。王子としてではなく、共に船を行く一人の仲間として、叱ってくれて構わない。……ただし、ベニート。叱るのは一日に三回までにしてくれると助かる」


 静まり返っていた甲板に、誰かの「ふふっ」という忍び笑いが漏れた。

 それを合図にしたように、強面の水夫たちが顔を見合わせ、肩を揺らした。


「王子、三回じゃ足りませんな。この船の揺れじゃ、四回はマナーを忘れますぜ!」


 水夫の一人が声を上げると、どっと笑いが起きた。

 ベニートだけは、やれやれと首を振った。


「……聞き捨てなりませんが、王子。四回目以降は、晩餐のデザートを抜きにするということで手を打ちましょう」


「それは厳しいな」


 レオンハントも苦笑し、一同の緊張は一気に解けた。

 イアンがその様子を眺めながら、隣の騎士に小さく囁いた。


「どうやら、退屈しない旅になりそうですね」


 王子の誠実さと、どこか放っておけない「隙」。

 それは、権威で人を動かすのではなく、心で人を繋ぎ止める不思議な力だった。

 笑い声が潮騒に混ざり、ブルー・クレスト号の白い帆がゆっくりと風を孕み始めた。


 船が岸を離れる。

 白い飛沫が上がり、アルセイオンの王都が次第に小さくなっていく。


(しばらくは戻れない。けど、楽しみだ)


 レオンハントは、胸元のポケットに差し込まれた羽根ペンの感触を確かめた。

 まだ何の色もついていない真っ白な航海日誌に、これからどんな景色を刻んでいくことになるのか。


「王子、まずはカスティアーノの境界港まで二日の航海です。船酔いは大丈夫ですか?」


 イアンの問いに、レオンハントは力強く首を振った。


「いや。むしろ、今までで一番気分がいい」


 水平線の向こうには、まだ見ぬ大地――カスティアーノ公国が待っている。

 そこは、王子の言葉が通じない、厳格な土地の掟が支配する国。


 レオンハントの十五歳の旅が、今、風を孕んで動き出した。



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