第703話 商業の授業05
その日の授業は、予定どおり終了した。
ヴェゼルたちの班は、最終的にヴェゼルの提案を班の発表案としてまとめることに決めた。
新たな発明や技術を生み出した者へ一定期間の権利を認め、その管理は将来的には各国共同の中立機関が担い、それまでの間はフォルツァ商業連合国が橋渡し役を務める――。
壮大ではあるが、現実味も備えた提案だった。
一カ月後には各班の発表会が予定されている。それまでに内容を整理し、皆で一つの発表へ仕上げることとなった。
班員たちが席を立ち始める中、一人の少女が静かにヴェゼルの前まで歩み寄る。
ナディアだった。
「ヴェゼル様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
ヴェゼルが頷くと、ナディアは周囲へ一度だけ視線を巡らせ、小さく息をついた。
「実は以前から、一度ゆっくりお話ししたいと考えておりました。ただ、お互い立場がありますから、周囲に人がおりますと、本心をお伝えする機会がございませんでした」
少しだけ言いづらそうに微笑む。
「幸い、今はお互い取り巻きもおりませんので、お時間をいただければと思いまして」
穏やかな口調だった。しかし、その言葉の意味を察したニーヴァが目をぱちぱちと瞬かせる。
ヴェゼルはそんな彼女へ微笑みかけた。
「ニーヴァさん、ごめん。外で待っていてくれる?」
ニーヴァはすぐに頷く。
「もちろんですわ。ですが、男女二人きりというのも良くありませんもの。教室の端で待っていますので、何かあればすぐにお声がけくださいね」
その気遣いに、ヴェゼルは小さく笑った。
「ありがとう。助かるよ」
ニーヴァは嬉しそうに一礼すると、静かに教室の端へと移動した。
ニーヴァが教室の端へ移動すると、ヴェゼルの胸ポケットから小さな頭がひょこりと顔を出した。
「でも、サクラちゃんがいるから、女の子と二人きりじゃないもん!」
胸を張って得意げに言うサクラに、ヴェゼルは思わず苦笑する。
サクラの声に気付き、ナディアが目を丸くして、思わず身を乗り出す。
「まあ……妖精さん……しかも、とても可愛らしい方ですわ」
素直な反応に、サクラは嬉しそうに胸を張った。
「えへへ、まぁね!」
サクラはヴェゼルのポケットから飛び出して、小さな羽をぱたぱたと動かしながら、どこか誇らしげに腰へ手を当てる。
ヴェゼルはそんな様子を見て、肩をすくめるように笑った。
「こういう性格なんだ……悪気はないんだけどね」
「…とても愛らしいですわ」
ナディアも自然と笑みを浮かべる。
先ほどまでの少し張り詰めた空気は、サクラの一言で、ほんの少しだけ柔らかなものへと変わっていた。
そして、ナディアは、小さく息を整え、改めてヴェゼルへ向き直る。
「まずは、お詫びを申し上げます。四年前の件では、父と兄が大変なご迷惑をお掛けいたしました」
ヴェゼルは黙って耳を傾ける。
「あの出来事の原因は父にありました。そして兄にも非がございました。ですから私は、あの結果そのものについて、ビック家を恨むつもりはございません」
そこで一度言葉を区切る。
「ですが兄が当主となった今でも、家中にはビック家へ不信感を抱く者がおります。私の取り巻きにも同じ考えの者は少なくありません。ですから学院でも、必要以上に親しく振る舞うことは避けてまいりました」
ナディアは真っ直ぐヴェゼルを見つめた。
「ですが、私自身は違います。この学院で過ごす三年間だけは、家同士ではなく、一人の学生同士としてお付き合いしたいと思っております。ヴェゼル様さえよろしければ、仲良くしていただけませんか」
ヴェゼルは少しだけ目を伏せる。
四年前の出来事を忘れたわけではない。
父フリードも、自分も、あの時の判断を後悔してはいない。
だからこそ、嘘はつきたくなかった。
「ありがとう、ナディアさん。でも、あの時のことについて、父も俺も謝るつもりはない。それが正しいと思ってやったことだから」
ナディアは静かに頷く。
ヴェゼルは続けた。
「でも、その結果としてナディアさんまで辛い立場に立たせてしまったことは、本当に申し訳ないと思ってる」
そう言って静かに頭を下げる。
ナディアは少し困ったように微笑んだ。
「そのようになさらないでください。きっと、ここで謝り始めたら、お互い終わりがなくなってしまいますわ」
ナディアの表情は、先ほどまでよりもずっと柔らかくなっていた。
「周囲がどう考えるか、兄がどう考えるかは分かりません。でも、私はヴェゼル様と良い関係を築いていきたいと思っております」
ヴェゼルも自然と笑みを浮かべる。
「じゃあ、一つだけお願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「もう『様』はやめようよ。同じ学院で学ぶ仲間なんだから。俺もナディアさんって呼ぶから、ナディアさんも『ヴェゼルさん』でも『ヴェゼル君』でも好きなように呼んで」
その言葉に、ナディアは少し目を丸くした。
そして嬉しそうに微笑む。
「……分かりましたわ。では、これからはヴェゼルさん、とお呼びいたします」
「うん。その方が俺も嬉しい」
二人は小さく笑い合う。それだけで、四年間張り続けていた見えない壁が、ほんの少しだけ薄くなった気がした。
「それでは、また」
ナディアは優雅に一礼すると、静かに教室を後にする。
入れ替わるように、廊下で待っていたニーヴァが満面の笑みで駆け寄ってきた。
「ヴェゼル様! また女の子と仲良くなられたのですね!」
まるで自分のことのように嬉しそうだった。
話が聞こえていたのか、それとも雰囲気だけで察したのかは分からない。
ヴェゼルは苦笑しながら肩を竦める。
「ニーヴァさんも、もう『様』じゃなくていいんだけどなぁ。『さん』でも『君』でも、呼び捨てでも構わないんだけど」
するとニーヴァは慌てて首を横へ振った。
「そんな、とても無理ですわ! こうしてヴェゼル様とお話しできるだけでも十分幸せなのです。呼び捨てなど、恐れ多くてとてもできません」
あまりに真剣な表情で言われ、ヴェゼルは思わず言葉を失う。
――どういう意味なんだろう。
少しだけ考えたものの、答えは出そうになかった。
「……まあ、いいか」
深く考えるのはやめることにして、ヴェゼルは苦笑いのまま教室を出る。
すると、その廊下には、一人の少年が静かに待っていた。
廊下の壁にもたれ、腕を組んでいたのは、ソラーラだった。




