第702話 商業の授業04
教室には静かな空気が流れていた。誰もすぐには口を開けない。
ヴェゼルの提案は、単なる空想ではなく、本当に実現できるかもしれないと思わせるだけの説得力があったからだ。
本来なら各国が協力し、中立の機関を設立するのが理想だ。しかし、それが実現するまでには何年、あるいは何十年とかかるかもしれない。
その空白を埋める橋渡し役を、商業と信用を国の礎とするフォルツァ商業連合国が担う。
その発想は、この場の誰も思い付かなかったものだった。
しかも、その制度が実際に機能すれば、新たな技術や商品は守られ、人々は安心して新しいものを生み出せるようになる。商業は活性化し、その恩恵はいずれ周辺諸国へも広がっていくだろう。
誰もが、その未来を思い浮かべていた。しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、その静寂を破るように、一人がおずおずと声を上げる。
「……それなら、その話は俺がフォルツァへ提案できると思う」
教室中の視線が一斉にソラーラへ集まった。
普段は自分から発言することの少ない彼だけに、その一言は誰にとっても意外だった。
「どういうことですか?」ナディアが首を傾げる。
ソラーラは何かを言おうとして口を開いたものの、そのまま言葉を飲み込んだ。
珍しく歯切れが悪い。
そんな様子を見ていたビアンテが、ふと以前から抱いていた違和感を思い出したように口を開く。
「そういえば君、帝国の人とは少し話し方が違うよね。最初は地方の出身かと思っていたけど、それとも違う気がしていたんだ」
その言葉にソラーラの肩がぴくりと震えた。
ニーヴァも思い出したように頷く。
「言われてみれば、イントネーションも少し違いますわ。帝都の方とも違いますし、西部とも違いますもの」
「留学生なのかい?」ビアンテが改めて尋ねる。
教室が静まり返る。しばらく俯いていたソラーラは、小さく息を吐くと、諦めたように顔を上げた。
「……隠していたわけじゃない。本当に、誰にも聞かれなかったから言わなかっただけだ。それに、学院では家柄より本人として見てもらいたかった」
その一言に、教室の空気が少しだけ変わる。ソラーラは一度だけ目を閉じ、静かに告げた。
「俺は……フォルツァ商業連合国の人間だ。名前はソラーラ・チェロキーという」
ソラーラは少しだけ居心地悪そうに苦笑した。その瞬間だった。
「……チェロキー?」ヴェゼルだけが反応した。目を丸くしたまま記憶を辿る。
チェロキー。その姓は聞き覚えがある。いや、聞き覚えどころではない。ここ数年何度も耳にしてきた名前だ。
そして次の瞬間、弾かれたように顔を上げた。
「えっ……待って! プレセア母さんもチェロキー家だったよね!? まさか、チェロキー家の人!?」
教室中の視線が再びソラーラへ集まる。
ソラーラはヴェゼルを真っ直ぐ見返した。もう隠す必要はない。
そう覚悟を決めたように、はっきりと言い切る。
「プレセアは俺の姉だ」一瞬。教室から音が消えた。
ヴェゼルだけが口を半開きにしたまま固まる。
「…………え?」
誰も言葉を発しない。
ソラーラは照れ隠しのように頭を掻いた。
「だから、プレセアは俺の姉だと言ってる」
「えええぇぇぇぇっ!!」次の瞬間、教室中にヴェゼルの絶叫が響き渡った。
その大声に驚き、今までヴェゼルのポケットで気持ちよさそうに眠っていたサクラが、ぴょこんと飛び出す。
「えっ!? 何!? 何なの!? 敵!? それとも巨大クッキー!?」
小さな羽を慌ててばたつかせながら周囲をきょろきょろ見回す。しかし誰もサクラに構っている余裕などなかった。
ヴェゼルは勢いよく立ち上がる。ソラーラを指差したまま固まっている。
「じゃ、じゃあ親戚!?」
そこまで言って止まる。
「いや、違う……えっと……プレセア母さんの弟で……父さんの側室で……だから……」
額に手を当て、頭の中で必死に家系図を組み立て始める。
「えっと…………叔父さん!? 俺の叔父さんになるの!?」
ヴェゼルは勢いよく顔を上げた。
「……そうなる」ソラーラは苦い顔を浮かべる。
「でも、俺を叔父さんなんて呼ぶなよ。同い年なんだからな」
「いやいやいや! そこ大事だから! 叔父さんなんだよね!? 学院で叔父さんと同級生になるなんて聞いたことないんだけど!」
珍しくソラーラも少しだけ口調が砕ける。
「そんなこと俺が知るか」
そのやり取りに、教室全体がどっとどよめいた。
「えぇぇぇっ!? うそだろ!?」「初耳ですわ!」「世の中、何があるか分からないものですね……」
誰もが驚きを隠せない。ヴェゼル自身もまだ信じられない様子で、ソラーラと自分の顔を何度も見比べていた。
やがて、じっとソラーラの顔を見つめながら、ぽつりと呟く。
「だから初めて会った時、どこかで会ったことがあるような気がしたんだな。言われてみれば……目元がプレセア母さんにそっくりだ。それに、怒った時の顔も少し似てる」
ヴェゼルはなおも観察するように顔を近づけた。
「鼻筋も似てるし。髪を伸ばしたらもっと――」
「近い。少し離れろ」ソラーラは困ったように視線を逸らし、ヴェゼルの肩を軽く押して距離を取らせた。
その様子を見た教室に笑いが広がる。
ソラーラは反射的に睨み返そうとした。しかし、その視線は途中で力を失う。深く息を吐き、小さく肩を落とした。
ソラーラ・チェロキー。
フォルツァ商業連合国を束ねる大評議長、ファスター・チェロキーの次男。
そして、ヴェゼルの父フリードの側室となったプレセア・ビックの実弟。
つまり、ヴェゼルにとって義叔父にあたる人物、その人だったのである。




