第701話 商業の授業03
教室では、新しい技術や道具を考え出した者へ、一定期間だけその利益を守る権利を与える制度について議論が続いていた。
ヴェゼルの発想は多くの者にとって初めて耳にする考え方だったが、その理屈には誰もが納得し始めている。
しかし、ヴェゼルだけはまだ納得していなかった。
机の上に置いた指先を軽く叩きながら、しばらく思案し、やがて静かに口を開く。
「……ただ、この仕組みにも、一つ大きな問題があるんだ」
そこでヴェゼルは言葉を止めた。机の上に置いた指先を軽く叩きながら考え込み、やがて静かに口を開く。
「それを、どこの国……あるいは、どこの組織が管理するのかという問題だ」
教室の空気が少しだけ引き締まる。
「もし帝国だけが管理すれば、他国は『帝国に都合のいいように判断される』と疑うだろうし、逆に他国が管理すれば、今度は帝国が同じ不安を抱くことになる。こういう権利は、お金だけの話じゃない。新しい技術や商品は国の力そのものだから、誰が管理するかで各国の利益が大きく左右されるんだ」
誰も口を挟まなかった。ヴェゼルは視線を机へ落としたまま続ける。
「本当なら、どこの国にも属さない中立の組織が一番いい。各国から代表を送り、お互いが監視し合いながら運営する。そうすれば、一つの国だけが好き勝手に判断することは難しくなる」
その理想を聞き、ビアンテは腕を組んだ。
「でも、それを作るだけでも一苦労だろ?」
「うん。むしろ、そこが一番難しい」
ヴェゼルは苦笑を浮かべた。
「どんな規則を作るのか。何を基準に権利を認めるのか。各国は何人ずつ代表を出すのか。運営費は誰が負担するのか。利益をどう分けるのか。意見が割れた時は誰が最終判断を下すのか……決めなければならないことはいくらでもある」
一つひとつ指を折るように挙げていき、最後に肩を竦めた。
「十年じゃ終わらないかもしれない。下手をすれば、何十年と議論が続いてもおかしくないね」
その光景は、教室にいた誰もが容易に想像できた。
各国の使節が果てしなく議論を続け、互いの利益を譲らず、会議だけが積み重なっていく。そんな未来が目に浮かび、思わず苦笑が漏れる者もいた。
するとビアンテが、ふと思い付いたように顔を上げる。
「だったら、この世界で唯一と言っていいくらい世界中に教会を持っているアトミカ教はどうだ? 物流も情報網も持っているし、各地に拠点もある。あそこなら管理できそうだけど」
その提案に、ヴェゼルはすぐには答えなかった。静かに首を横へ振る。
「僕は、それは危険だと思うよ」
その口調は穏やかだったが、迷いはなかった。
「今でもアトミカ教は、世界中に教会を持ち、人や物流、それに情報の流れへ大きな影響力を持っている。そこへ発明や技術の権利まで集めてしまったら、その力は大きくなり過ぎる」
教室は静まり返る。
「もし教会が、『この発明は認める』『これは認めない』と決められる立場になったらどうなる? 技術が世に出るかどうかも、商売が広がるかどうかも、教会の判断一つで決まってしまう」
ヴェゼルは一度言葉を切り、ゆっくりと周囲を見渡した。
「それは、公平とは言えない。どれほど善意で始まった制度でも、権限が一つの組織へ集まり過ぎれば、いずれ必ず歪みが生まれる」
ナディアは静かに息を呑んだ。
「……確かに。宗教が信仰だけではなく、技術や商売まで左右することになりますわね」
普段なら何かしら反論を挟むソラーラも、この時ばかりは何も言わなかった。
教室に静かな沈黙が流れる。ヴェゼルは腕を組み、思考の海へ沈んでいく。
「じゃあ……どこならいいんだろう」
独り言のような呟きだった。
中立で。商売を理解していて。各国からも一定の信用を得られる場所。そんな都合のいい存在など――。その瞬間だった。
ヴェゼルの目が、はっと見開かれる。
「あ……フォルツァ商業連合国だ」
全員の視線が一斉にヴェゼルへ集まる。
ヴェゼルは思考が一本に繋がったように言葉を続けた。
「フォルツァは商業で成り立っている国だ。国を支えているのは武力でも宗教でもなく、商人同士の信用だ。だからこそ、新しい技術や商品がどれほど価値を持つのか、それを守ることが商売にとってどれほど重要なのかを、他のどの国より理解しているはずなんだ」
勢いはそのままに続ける。
「もちろん、一国だけが永遠に管理するのが理想だとは思わない。でも、本当の国際機関を各国が協力して作れるようになるまでの橋渡し役なら、フォルツァほど適した国はないと思う。商売は信用で成り立っている。だからこそ、自ら信用を失うような不公平な判断は簡単にはできないはずだから」
教室は静まり返った。誰もすぐには言葉を返せない。
やがてビアンテが、小さく息を吐く。「……そこまで考えていたのか」
ナディアも感心したように頷いた。「商業国家だからこそ理解できる価値……ですわね」
その横で、ソラーラだけは黙ったままヴェゼルを見つめていた。
先ほどまでとは違う。相手を値踏みするような視線ではない。
その少年の思考の深さを見極めようとする、静かな眼差しだった。
その瞳に、ほんのわずかな興味の光が宿ったことに気付いた者は、この場には誰もいなかった。




