第691話 盗聴の録音
管理人室の扉を叩くと、すぐに重く低い足音が内側から返ってきた。
姿を現したのはオルティアだった。学院寮の管理人にして、学生たちからは「規律の壁」と半ば冗談交じりに恐れられる中年女性である。
ふくよかな体格に、髪は乱れなく頭上で一つにまとめられ、その視線だけで新入生なら背筋を正されるほどの圧を持っていた。
「ヴェゼルさん。今戻ってきたんだね。もうすぐ門限だったわよ、気をつけなさい」
厳しさを含みながらも、どこか事務的な呆れを滲ませた声だった。
「申し訳ありません。ただ、少し確認したいことがありまして」
ヴェゼルは周囲へ軽く目を走らせたのち、声を落とす。
「俺の部屋に、見覚えのない魔道具が置かれているようなんです」
その一言で、オルティアの目つきがわずかに鋭くなる。寮内の不審物は規則以前に、安全上の問題として扱われる類の話だった。
ヴェゼルは続ける。
「学院の魔道具に詳しいベルエア先生に見てもらいたいのですが……先生は未婚の女性ですから、立ち会いが必要かと」
オルティアは短く頷いた。
「そうね、部屋に入るなら立会人は必要だよ」
腕を組み、わずかに息を吐いて判断を固める。
「私も立ち会おうかい」
「ありがとうございます。あとは、俺の友人のフルフェンスも一緒に立ち会ってもらおうかと思うんですが」
ヴェゼルが礼を述べて名を出すと、オルティアはすぐに職員へ指示を出し、フルフェンスを呼びに行かせた。
しばらくして事情を聞いたフルフェンスが駆け込んでくる。
「まさか入寮早々から厄介事かよ」
呆れと興味が半ば混ざった声だった。
「俺も同感だ」ヴェゼルは肩を軽くすくめる。
やがて一行は管理人室を出て、エントランスへと向かった。
そこにはすでにベルエアが待っていた。学院において教員が寮へ来ることは珍しく、そのせいか周囲の視線が自然と集まっている。だがその視線の圧に慣れていないのか、ベルエアの挙動はどこか落ち着かない。
そしてヴェゼルの姿を認めた瞬間、その表情がふっと緩んだ。
「ヴェゼルさんっ」
次の瞬間、彼女は小走りで距離を詰め、そのまま抱きつく。
エントランスが一瞬で静まり、直後にざわめきが広がった。
「おい、あれ……ビック家のヴェゼルだろ……」「またかよ……今度は先生までかよ……」「手広すぎるだろ。プロフィア嬢にエストレヤ様、それに獣王国やドワーフ王国の王女達までって話じゃないか……」
小声の噂が、鋭い刃のように空気をざわつかせる。
ヴェゼルとフルフェンスは一度だけ目を合わせ、言葉なく苦笑した。
「……相変わらずだな」
「否定はできないな」
そのやり取りの最中も、ベルエアは離れない。むしろ深く息を吸い込み、クンカクンカと確かめるように一心不乱にヴェゼルの体臭を嗅いでいる。
「なんだか……ヴェゼルさんって、妖精さんの匂いがしますね」
ヴェゼルは一瞬だけ、遠くを見るような目になった。
――妖精の匂い、とは何だよ。
しかし完全に否定できない自覚もあった。ヴェゼルにはサクラの存在が濃く染みついている。
明け方には元の姿へ戻り、当然のように額や胸元で眠り、ほぼ毎日よだれまで落としていくのだ。
さらに仲間たちも部屋で過ごす際には、自然と距離が近くなる。そういう意味では、否定の材料が見つからないのが現実だった。
その空気を断ち切るように、オルティアが一歩踏み出す。
「先生、そのへんにしな。ほら、離れなさい」
強引にベルエアを引き離す手つきは容赦がなかった。
ヴェゼルは小さく息を吐いた。
「先生、そのような振る舞いは困ります。私の前であればなおさら、節度はお持ちください」
オルティアの言葉に、ベルエアは肩を落とす。
「すみません……つい」
先ほどまでの勢いは消え、素直にしゅんとする。
ヴェゼルは心の中で、(つい、って何だよ)と思ったが口には出さなかった。
その様子を見ながら、ヴェゼルは内心で静かに評価を改める。
――ベルエア先生は確かに真面目ではある。ただし距離感だけが危うい。気をつけなければ。
やがて一行は、三階にあるヴェゼルの部屋へ向かうことになる。
本棚の裏にあるという小箱は、今も静かにそこにあるはずだった。
そして一行は三階へ向かった。
教員に管理人、そして生徒が連れ立って男子寮を歩く光景は珍しく、当然のように周囲の視線を集める。
廊下ですれ違う学生たちも何事かと振り返っていたが、ヴェゼルは気にする様子もなく部屋へ向かった。
部屋の前まで来ると、ヴェゼルは振り返る。
「一応、声は潜めてください」
そう告げてから扉を開けた。全員が中へ入る。
するとベルエアは部屋へ足を踏み入れた途端、また鼻をひくつかせた。
「やっぱり妖精さんの匂いが強いですね…」
「先生、何をしに来たんですか」
ヴェゼルは思わず苦笑する。
しかしベルエアは真面目な顔で周囲を見回していたため、本気で言っているらしかった。
やがてヴェゼルは本棚の裏へ歩いていき、問題の小箱を指差す。
「これです」
ベルエアが小さく頷いた。
「確かに魔道具ですね。形状からして……何かの音を記録する装置に似ています」
そのまま腰をかがめて覗き込む。さすがは魔道具の講義を担当する教師だった。
一目見ただけで種類の見当を付けている。
ヴェゼルが感心して見ていると、ベルエアは何の躊躇もなくその魔道具を手に取った。
すると横で固唾を呑んで見守っていたフルフェンスが思わず声を上げる。
「だ、大丈夫なのか? いきなり爆発したりしないよな?」
「ひゃいっ!」
ベルエアが飛び上がった。驚いた拍子に手から魔道具が離れる。
全員が反射的に目を閉じた。
次の瞬間。ゴトッ。乾いた音が部屋に響く。
恐る恐る目を開けると、魔道具は何事もなく床へ転がっていた。
沈黙が落ちる。ベルエアは胸を押さえながら安堵の息を吐いた。
一方で周囲から向けられる視線は微妙だった。ヴェゼルも、てっきり安全性を確認した上で迷いなく触ったのだと思っていた。
だが実際は違ったらしい。ただ何となく掴んでいただけだった。
オルティアなどは露骨に呆れた顔をしている。
ベルエアはそんな視線に気付いているのかいないのか、何事もなかったように再び魔道具を手に取り、今度は慎重に調べ始めた。
しばらくしてから顔を上げる。
「これはやはり盗聴用ですね」
全員の表情が引き締まる。ベルエアは続けた。
「正確には盗聴というより、小型の録音装置です。この大きさですと記録できる量は限られますから、一週間も保たないでしょう」
魔道具を軽く持ち上げながら説明する。
「ですから、これを設置した人は後日回収するつもりだったのだと思います」
「回収するために、またここへ来るってことか」
フルフェンスが眉をひそめた。
ベルエアは頷く。
「その可能性が高いですね」
するとオルティアが腕を組んだ。
「確かヴェゼルさんの部屋は、自分で掃除をしているんだったね? 掃除夫を雇っていたりは?」
「していません」
ヴェゼルは首を横に振る。その返答を聞き、オルティアの表情はさらに苦くなった。
「そうなると嫌な話だね」
管理人としての顔だった。
「仲間を疑いたくはないけれど、この寮の関係者か、あるいは学院関係者である可能性が高いね」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
盗聴魔道具そのものも問題だが、それ以上に問題なのは、誰かがこの部屋へ自由に出入りできたという事実だった。




