第689話 魔法実技の授業
昼食を終えると、それぞれが自分の実技訓練場へ向かうため席を立った。
同じ属性の魔法を持つ者同士で集まっている者も多く、あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
「火属性は人数が多いらしいぞ」「風は第一訓練場ですわね」
そんな会話が飛び交う中、ヴェゼルも指定された訓練場へ向かって歩き始めた。
当然ながら、その道中は静かではない。
頭の上にはサクラが陣取り、肩にはタンクが、胸ポケットからはルーミーとジャスティが顔を覗かせている。トールはその辺を気ままに飛び回りながら、時折ふらりと戻ってきてはまた飛び立っていた。
妖精達は相変わらず好き勝手に喋り、笑い、飛び回る。そのせいで周囲の視線がヴェゼルに集中するが、もう慣れてきていた。最初の頃は落ち着かなかったものの、今では気にした方が負けだと思っている。
「見られてるわね」「見られてますね」「見られてる」「見られてるねぇ」
妖精達が面白そうに囁く。
「分かってるから言わなくていいよ」ヴェゼルは苦笑しながら歩き続けた。
やがて他の生徒達とは進む方向が違ってくる。火、水、風、土、錬金の実技場へ向かう生徒達の姿はまだ多く見えるが、ヴェゼルだけは別方向だった。
収納魔法を使う者は学院内に他にいない。自然と一人になる。
「本当にこっちで合ってるのかな」
案内板を確認する。一番奥の左側の訓練場。間違ってはいない。
だが進めば進むほど人の気配は薄くなり、建物もどこか古びた印象になっていく。
手入れはされているのだろうが、なぜか全体的に薄暗く、学院の敷地内であるにもかかわらず、長い間使われていなかった施設のような空気が漂っていた。
その異様さは妖精達も感じたらしい。
先ほどまで元気に飛び回っていたトール達は、いつの間にかヴェゼルの両胸ポケットへ避難していた。顔だけを出し、警戒するように周囲をきょろきょろ見回している。
だが、一人だけ違った。サクラである。
「ふふふ……」
なぜかヴェゼルの頭の上で、以前教わったシャドーボクシングを始めていた。
「どうしたの?」
「ついに来たようね! 最近の私は食っちゃ寝だけの妖精だと思われているわ!」
サクラは真剣な顔で拳を突き出す。
「実際そうだよね」
「違う! 私の本当の実力を見せる時が来たのよ!」
びしっとヴェゼルへ指を突き付けると、そのまま再び構えを取る。
「シュッ、シュッ! 闇のように舞い、蜂のように刺す! 打つべし打つべし打つべし!」
小さな拳を忙しなく繰り出しているが、何と戦うつもりなのかは誰にも分からない。
おそらくサクラ本人も分かっていないだろう。
とはいえ、最近は食べて寝てばかりだったので、体を動かすこと自体は悪くないのかもしれない。
ヴェゼルは苦笑しながらその様子を眺め、そんな騒がしい妖精達を連れたまま歩き続けた。
そうしているうちに、目的の訓練場が見えてきた。
訓練場というよりは、研究棟の裏手にある実験場のような場所だった。
広さはあるが、他の訓練場のような活気はない。古い石造りの建物に囲まれ、どことなく人の寄り付かない空気が漂っている。
その中央に、収納魔法の実技担当であるベルエア・レヴェントンが立っていた。
その少し奥には、実技補助らしい壮年の男性教員が腕を組んで立っていた。
ヴェゼルを見るなり、値踏みするようにじろりと視線を向けてくる。
ヴェゼルは(面倒そうだな)とだけ思い、特に気に留めなかった。担当はベルエアなのだから。
ベルエアはヴェゼルの姿を見つけた瞬間、眼鏡をくいっと押し上げた。
そして次の瞬間には駆け出していた。
ヴェゼルへ――ではない。正確には、その周囲を飛ぶ妖精達へ向かってである。
そのもの勢いと気迫に流石の妖精達も驚いたらしい。
ルーミー、ジャスティ、タンク、トールは一斉にヴェゼルの胸ポケットや首の後ろへ避難し、警戒するように顔だけを覗かせる。
だが、サクラだけは違った。
「来たわね! 私は強いわよ! やるの!?」
頭の上から飛び出すと、ベルエアの目の前で拳を振り回しながら威嚇を始める。
しかしベルエアは慌てた様子で斜め掛けの鞄をごそごそ漁り始めた。
そして取り出したのは少し大きめの籠だった。
ぱかりと蓋が開く。
中には色とりどりのクッキーが山のように詰められていた。
サクラの動きが止まる。
拳も止まる。視線だけがクッキーへ吸い寄せられた。
ベルエアは優しく微笑む。「食べても良いですよ」
サクラは一秒ほど考えた。そして即座に方針を変更した。
「分かってるじゃないのよ! 私、気が利く人は好きよ!」
綺麗に着地すると、そのままクッキーを両手に一枚ずつ掴み、もぐもぐと食べ始める。
言い終わるより先に、サクラはクッキーへ飛び付いていた。
その様子を見ていたルーミー達も、わらわらとポケットから出てくる。
恐る恐る近付き、一枚取る。
食べる。目が輝く。次の瞬間には全員が籠の周囲へ集まっていた。
ベルエアは感動したように胸の前で手を組んだ。
「やっぱり本当だったんですね……! 妖精さんはクッキーがお好きなんですね……!」
ヴェゼルは首を傾げる。別にクッキーに限った話ではない。
あの妖精達は大概の食べ物を美味しそうに食べる。だが、あえて口には出さなかった。
ベルエアは頬を紅潮させながら近くの机へ籠を置き、そのまま椅子へ腰掛けると、今度は鞄から分厚いノートを取り出した。
そして猛烈な勢いで書き始める。
妖精を見る。書く。
また妖精を見る。さらに書く。
羽ペンはノートの上を走り続けていた。
「黒髪の子はもう四枚目……赤髪の子は色付きや形の可愛い物を優先……緑髪の子は大きい物から選ぶ傾向……金髪の子は匂いを確認してから……警戒心が強そうですね……青髪の子は近くの物から順番に……なるほど…なるほど……!」
ぶつぶつ呟きながら、凄まじい速度で記録している。
ヴェゼルはしばらくその様子を眺めていた。
一分。二分。三分。まだ書いている。妖精達も相変わらずクッキーを食べている。
五分ほど経った頃、流石にヴェゼルは口を開いた。
「あの、ベルエア先生」
「はい」
返事は返ってきた。だが視線はノートから離れない。
「魔法実技の授業はしないんですか?」
その瞬間だけ、ベルエアの手が止まった。
「もちろん、ヴェゼルさんの魔法にも興味はあります」
そう言って顔を上げる。
「ヴェゼルさんの収納魔法は特殊だと聞いています。騎士団長様と騎士団を一瞬で制圧したそうですから」
そこまでは教師らしい話だった。だが次の瞬間、目の輝きが変わる。
「ですが! 妖精さん達の方が珍しいではありませんか!」
ベルエアは机から身を乗り出した。
「この帝国では伝説なのですよ!? 本当に存在していたなんて! しかも五柱も! 私は今、歴史的瞬間に立ち会っているのです!」
再びノートが開かれる。
「この機会を逃したら、次に研究できる機会がいつ来るか分からないんですよ!?」
そう言いながら書く。「好きな食べ物!」
書く。「行動傾向!」
さらに書く。「性格差!」
まだ書く。ベルエアは止まらない。
妖精達はクッキーを食べ続けている。
ヴェゼルは静かに空を見上げる。
青空だった。実に良い天気だった。
――ああ。
――これ、俺の収納魔法の授業だったのに、今日の授業もう終わったんじゃないかな。
そんな気がしてならなかった。だがベルエアは今も楽しそうにノートを書き続けている。
ヴェゼルは小さくため息を吐きながら、その様子を眺めるのだった。
訓練場に静けさが戻った頃には、すでに三十分近くが経過していた。ベルエアはようやくペンを置き、満足そうにノートを閉じる。
「さて、ヴェゼルさん。魔法実技の授業を始めましょうか」
そう言って顔を上げた。だが、そこにいたヴェゼルはというと、隣の机に突っ伏して眠っていた。
妖精達も似たようなものだった。大量のクッキーを平らげた結果、サクラは机の端で仰向けになって転がり、ルーミーとジャスティは籠の近くで寄り添って眠り、タンクとトールも思い思いの場所でくつろいでいる。
もはや訓練場というより昼寝場だった。
「ん……」
ベルエアの声で目を覚ましたヴェゼルが、眠そうに目を擦りながら身を起こす。
するとベルエアは眼鏡を押し上げ、やや厳しい顔で言った。
「感心しませんね。授業中に寝るとは」
「授業中……?」
「今回は初回ですので減点はしませんが、次からは気を付けてくださいね」
ヴェゼルは一瞬だけ黙った。
本気ではない。本気ではないのだが、ほんの少しだけ殺意の感情が胸の奥をよぎった。
もっとも、その感情を口にしても無意味なので飲み込む。
ベルエアはまったく気付いた様子もなく話を続けた。
「では授業を始める前に、ひとつ手続きを行いましょう」
そう言って鞄から丸めた羊皮紙を取り出す。机の上へ広げると、そこには細かな文字と魔法陣が描かれていた。
「守秘義務契約です。特殊な魔法を持つ生徒と担当教員の間で結ぶ魔法契約です」
「守秘義務契約?」
ベルエアは先ほどまでの妖精への熱量とは違い、今度は教師らしい落ち着いた口調で説明した。
「この学院には帝国の高位貴族の子弟や各国からも多くの留学生が集まっています。卒業後は帝国や故国へ戻り、研究者になる方もいれば、軍や騎士団の中核を担う方もいます」
ベルエアは羊皮紙を指先で軽く叩く。
「中には戦略級と呼ばれる魔法を扱う者もおります。そうした魔法の詳細が不用意に外へ漏れれば、大きな問題になります」
「なるほど」
「本人にとっても危険ですし、情報漏洩の責任を巡って国家間の問題になる場合もあります。学院としても、それを防がなければなりません」
確かにその通りだった。ヴェゼル自身、自分と同じ収納魔法の使い手を見たことがない。
まして騎士団長や騎士団をまとめて無力化するような魔法など聞いたこともなかった。
自分の手札を他人に好き勝手話されるのは、あまり気分の良いものでもない。
契約内容は簡潔だった。授業で知り得た情報を第三者へ漏らさないこと。
研究目的で記録する場合も本人の許可なく公開しないこと。違反した場合は魔法契約による制裁を受けること。
不自然な内容は見当たらない。ヴェゼルは一通り目を通し、問題がないことを確認してから署名した。
続いてベルエアも署名する。二人の名前が記された瞬間、羊皮紙に描かれていた魔法陣が淡く光を放った。
青白い光は数秒ほど揺らめき、やがて静かに消える。これで契約は成立したらしい。
そして今度こそ教師の顔でヴェゼルを見る。
「それでは改めまして、ヴェゼルさん。今日の授業はこれで終わりといたしましょう」
「へっ!?」
思わず間の抜けた声が出た。ヴェゼルが目を丸くしていると、ベルエアは一度だけ奥へ視線を向けた。
訓練場の隅では、補助教員のドブロが腕を組んだままこちらを見ている。その視線は相変わらず鋭く、どこか値踏みするような色を帯びていた。
ベルエアは何事もなかったような顔で数歩近付き、周囲に聞こえない声で囁く。
「あの奥にいるドブロ先生は、帝国上層部と繋がりのある方です」
「ええ…そうなんですか…」
ベルエアは小さく頷いた。
「私個人としては、今日ヴェゼルさんの魔法を見せるべきではないと思いました。あまりにも特殊なのでしょうから」
ヴェゼルは思わずドブロへ視線を向ける。相手は相変わらず無表情だった。
「まだ学院も改革の途中なのです」
ベルエアは少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「昔よりは随分良くなりましたが、それでも様々な思惑を持つ方は残っています。ですから、しばらくは気を付けてくださいね」
その言葉を聞いて、ヴェゼルは胸の内で小さく息を吐いた。
正直なところ、ベルエアのことは妖精を見ると理性が吹き飛ぶ研究馬鹿だと思っていた。
いや、実際その傾向は間違いなくあるのだろう。
だが、それだけではなかったらしい。少なくとも、生徒を守ろうとするだけの良識は持っている。
それが分かっただけでも少し安心できた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。教師の仕事ですから」
ベルエアはそう言って笑う。
そしてヴェゼルが帰ろうとした、その時だった。
「あ、そうでした! ヴェゼルさん、まだ課外活動はお決まりではありませんよね?」
ベルエアがぱっと顔を上げる。ぐいっと身を乗り出した。
「でしたら是非! ヴェゼルさんと妖精さん達で、精霊・妖精研究会へ入部してください!」
目が輝いていた。いや、輝いているというより燃えていた。
「妖精さん達を日常的に観察できる機会など滅多にありません! 入会してくれるなら、研究会としても歴史的快挙なのです! 部室には専用のお菓子棚も用意しますから!」
最後の方はもはや勧誘なのか賄賂なのか分からない。振り返ると、先ほどまで寝転んでいた妖精達が一斉に反応していた。
「お菓子棚!?」「良い研究会ですね!」「それは大事だね」「入ろうよ!」「私は前からそう思ってたわ!」
誰一人として研究内容を聞いていない。ヴェゼルは思わず苦笑する。
先ほど少しだけ評価を改めたばかりだったが、やはりベルエアはベルエアだったらしい。
妖精への執着も、あの異常な観察記録も、全部素だったのだろう。
目をぎらぎらさせながら勧誘を続けるベルエアと、その話に乗り気な妖精達を見ながら、ヴェゼルは小さくため息を吐くのだった。




