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りんご一個分の収納。マジでどう使えと!? 〜辺境騎士爵に転生したので、なんとか無難な人生を…歩みたいなぁ〜  作者: 大童好嬉


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第683話 ヴァンガード辺境伯

そして食事を終え、その後も皆で頭を抱えながら履修表と格闘した結果、なんとか記入欄を埋め終えた頃には、窓の外にはすっかり西日が差し込んでいた。


もっとも、これで終わりではない。


明日からは実際に各授業へ顔を出し、自分に合うかどうかを見極めた上で最終的な履修登録を行うのだという。今日はあくまで仮決めに過ぎない。


ひとまず今日は終わりだった。ヴェゼルたちは揃って席を立つ。


いつの間にか大所帯となった一行は、そのまま賑やかに大食堂の出口へ向かった。妖精たちも各々気に入った相手の肩や頭に乗っており、履修表に追われていた時の張り詰めた空気はすっかり消えている。


学院の大食堂は一階にあり、その上の二階には有料のレストラン、さらに三階には王族や皇族、高位貴族が利用する個室が設けられているらしかった。


専属料理人を学院へ呼び、自前の食事を用意できる場所だという。


王族や高位貴族ともなれば毒殺への警戒は日常の一部だ。口にするものは全て信頼できる者に任せる家も珍しくない。


その話を聞いていたタンクが、フルフェンスの肩の上で上階を見上げながら呟いた。


「今度、二階のレストランで食べてみたい」


「たまにならいいかもね」


ヴェゼルがそう答えると、胸ポケットの中で寝ていたはずのサクラが、ぴょこんと顔を出した。


「二階のレストランのクッキー、美味しいらしいわよ。バターをたっぷり使ってるんですって」


「本当!?」真っ先に反応したのはルーミーだった。


タンクも目を輝かせている。どうやら妖精たちの興味は高級料理ではなく菓子らしい。


「よくそんな情報知ってるね」


ヴェゼルが呆れ半分に聞くと、サクラは胸を張った。


「情報収集は大事なのよ」そうは言ったが、何の情報収集なのかは不明だった。


「確か三階は、王族や高位貴族が専属料理人を連れてくる個室だったよね?」


ヴェゼルが確認すると、隣を歩くプロフィアが頷く。


「そのようですね。学院側も身分の高い方々への配慮として用意しているそうですよ」


その説明を聞いていたフルフェンスが、少し迷った末に隣のエストレヤへ視線を向けた。


「エスト……いや、エストレヤ様は利用しないのですか?」


まだ呼び方に慣れていないらしい。


「皇族なんだから、そういう場所を使うものだと思ってました」


エストレヤはその言葉に小さく笑った。


「だから敬語はいらないって言ったでしょう?」


そう言ってから少し肩を竦める。


「それに、皆が食べている料理を信頼できないなんて、学院の調理人の方々に失礼だと思うの」


その答えに感心したように目を輝かせたのはダイナだった。


「おお! エストレヤさんは偉いな!」


そう言うなり、ばんっと勢いよく肩を叩く。


「っ……」エストレヤの表情が一瞬だけ固まった。どうやら思った以上に強かったらしい。


もっとも、ダイナ本人に悪気は欠片もない。


エストレヤは肩をさすりながら苦笑した。


「あ、ありがとう……」


「私はそういう人、好きだぞ!」


満面の笑みで言われては怒ることもできない。ヴェゼルは思わず苦笑し、プロフィアも小さく口元を緩めていた。


エストレヤは苦笑を残したまま話を続ける。


「それに、大食堂の料理だってそれなりだったわよね?」


そう言った後、少しだけ真面目な表情になった。


「私はこの三年間、皆と同じ環境で学びたいの。友人も作りたいし、そのために従者や侍女も傍には置いていないのだから」


その言葉に嘘はないのだろう。実際、入学以来、エストレヤの周囲に侍女や従者の姿は見当たらなかった。だが、ヴェゼルは別のことにも気付いていた。


昼休みの間も、少し年上に見える男女二人が一定の距離を保ちながら食堂内にいたのだ。


会話に加わることもなければ近寄ることもない。ただ、常にエストレヤを視界に入れていた。


おそらく護衛だろう。学院の中が安全とはいえ、皇女を完全に一人にするほど皇室も楽観的ではないらしい。


表向きは自由に。だが、見えない場所からはしっかり守る。それがエストレヤ本人と皇室との妥協点なのだろう。


ヴェゼルはそれ以上何も言わず、楽しそうに談笑する仲間たちの背中を眺めた。


学院生活は始まったばかりだが、それぞれが思っていた以上に事情を抱えている。それでもこうして肩を並べて歩いているのだから、不思議なものだった。




そんな話をしながら大食堂の出口へ向かっていると、二階へ続く階段の方から数人の生徒が降りてきた。


学院内でも身なりの良い者たちが多く、どうやら二階の有料レストランを利用していたらしい。


その時だった。「ヴェゼルさん!」


聞き覚えのある声が響く。振り返ると、そこにはロンシャンの姿があった。だが、声を掛けた本人は次の瞬間にはしまったという顔をしている。


どうやら勢いで呼び止めてから、自分の立場を思い出したらしかった。


その後ろには二人の少女が立っていた。


一人は鋭い目つきをした少女で、腰には剣を帯びている。年齢はそう変わらないように見えるが、その立ち姿には護衛として鍛えられた者特有の隙のなさがあった。


そして、その少し後ろには藍色の髪と瞳を持つ少女が静かに立っていた。


整った顔立ちに華奢な体つき。制服は乱れなく整えられ、その姿からは育ちの良さと真面目な性格が自然と伝わってくる。


ただ、その少女はヴェゼルの顔を見た瞬間、わずかに目を見開いていた。どうやらこちらも予想外の遭遇だったらしい。


ヴェゼルはその様子を見ながら、ふと先ほどの会話を思い出す。


確かロンシャンは、ヴァンガード家の令嬢に仕えていると言っていた。ならば、この少女がそうなのだろう。


「もしかして……ナディアさん?」


悪気なくそう口にした瞬間だった。鋭い目つきの少女が一歩前へ出た。


「無礼だぞ」冷たい声だった。周囲の空気が一瞬で張り詰める。


「まだ正式な挨拶も交わしていない相手の名を呼ぶなど、本来許されることではない。それも貴族社会の礼儀を知る者なら尚更だ」


さらに少女の視線が鋭くなる。


「加えて、お前はビック家の人間だろう」


その言葉に、周囲の生徒たちも思わず足を止めた。


ビック家とヴァンガード家。四年前の事件を知る者ならば、嫌でも反応してしまう組み合わせだった。


もっとも、ヴェゼル自身は言われて初めて気付いたような顔をしていた。


「ああ、そっか。ごめん。普通にロンシャンから聞いてたから、そのまま呼んじゃった」


ぽりぽりと頬を掻く。謝罪そのものは素直だった。だが、それが逆に少女の神経を逆撫でしたらしい。


「貴様――」


少女の手が腰の剣へ伸びかける。その瞬間だった。


「レイニア」静かな声が響く。


藍色の髪の少女――ナディアが一歩前へ出ていた。


「やめなさい」その一言で、レイニアの動きが止まる。


同時にロンシャンも慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません! 僕が不用意に声を掛けてしまったせいです!」


だが、その頃には周囲にも人だかりができ始めていた。


「あれ、ビック家じゃないか」「向こうはヴァンガード家だろ?」「初日から何やってるんだ?」


そんな囁き声があちこちから聞こえてくる。ナディアはそれらを気にした様子もなく、静かに前へ進み出た。


そしてスカートの端を摘み、美しい所作でカーテシーを行う。


その動きには無駄がなく、長く礼儀作法を叩き込まれてきたことが一目で分かった。


「初めてご挨拶いたします。私はナディア・ヴァンガードと申します」


柔らかな声だった。そう名乗ると、真っ直ぐヴェゼルへ視線を向ける。


「ヴェゼル・パロ・ビック様」


だが、その直後だった。レイニアが苦々しげに口を挟む。


「おやめください。下位騎士爵家の子息に、そのような敬意を払う必要はありません」


そして隠そうともせず続けた。


「ましてビック家です」


その言葉に周囲の空気が再び重くなる。だが、当のヴェゼルは肩を竦めるだけだった。


「まあ、気持ちは分かるよ」あっさりとした口調だった。


レイニアが僅かに眉をひそめる。ヴェゼルは苦笑しながら続けた。


「正直、この状況自体が俺の本意じゃないしね」


そしてナディアへ視線を向ける。


「たぶんナディア様もそうなんでしょ?」


ナディアは何も答えなかったが、その表情が否定していないことだけは伝わってきた。


ヴェゼルは軽く頭を下げる。


「俺は気にしてないから」


そう言って踵を返した。これ以上続ければ、周囲の面白半分の視線を集めるだけだ。


その時だった。


「あ、あの……!」背後から慌てた声が聞こえる。ナディアだった。


ヴェゼルが振り返ろうとした瞬間、レイニアが自然な動きで半歩前へ出る。


まるで壁になるような立ち位置だった。


何か言いたそうに唇を開きかけるナディア。それを守るように立つレイニア。そして困ったように二人を見ているロンシャン。


その光景を見て、ヴェゼルは何となく事情を察した。今ここで無理に話すべきではないのだろう。


「また今度」


小さくそう言い残し、ヴェゼルは仲間たちと共に歩き出した。


やがて人混みの向こうへ姿が消えていく。ナディアはしばらくその背中を見つめていた。


やがてヴェゼルの姿が完全に見えなくなる。だが、その時間は長く続かなかった。


二階へ続く階段から、数人の生徒を従えた一人の少年が降りてきたからだ。


年齢はナディアたちより少し年上だろうか。整った顔立ちをしているが、その表情には年齢以上の厳しさが刻まれている。そして何より目を引くのは、右腕がないことだった。制服の右袖だけが空しく揺れている。


エルティガ・フォン・ヴァンガード。現ヴァンガード家を支える当主であり、ナディアの兄だった。


エルティガは食堂出口付近に残る妙な空気と人だかりを見て眉をひそめる。


「何かあったのか」落ち着いた声だった。


ナディアは一瞬だけ考えるような表情を浮かべたが、すぐに小さく首を振った。


「なんでもありませんわ、お兄様」


しかし、その言葉に納得しなかったのはレイニアだった。主を庇うように一歩前へ出ると、先ほどの出来事を簡潔に説明する。


エルティガは黙って聞いていた。だが、途中でその目が僅かに細められる。


「……ビック家だと」低い声だった。


そして無意識だったのか、一瞬だけ失われた右腕へ視線を落とす。


四年前の戦。父を失い、自らも右腕を失ったあの日の記憶は、今も消えていない。


静かに顔を上げたエルティガは、確認するように口を開いた。


「その相手はヴェゼル・パロ・ビックだったのか」


レイニアが頷く。短い沈黙が落ちた。


その場にいたヴァンガード家の関係者たちは誰一人として口を開かなかった。


重い空気に耐えかねたのか、ロンシャンが慌てて前へ出る。


「申し訳ありません。私が同じクラスの者を見つけて、つい声を掛けてしまいました。ナディア様は――」


「ロンシャン」


エルティガは静かに遮った。怒鳴ったわけではない。


それでもロンシャンは言葉を失い、その場で背筋を伸ばす。


エルティガは周囲を見回した。レイニアも、他の従者たちも自然と姿勢を正している。


「以前から言っているはずだ。ビック家とは関わるな」


静かな声だった。だが、その場にいた誰も反論しない。四年前の戦で何を失ったのか、皆が知っていたからだ。


「学院内であろうと変わらん。不要な接触はするな」


レイニアが真っ先に頭を下げる。他の者たちも続いた。ロンシャンも俯いたまま小さく答える。


「……承知いたしました」


エルティガはそれ以上何も言わなかった。ただ最後に妹へ視線を向ける。


「ナディア、お前もだ」


ナディアはほんの僅かだけ間を置いた。それは一瞬だったが、いつもより長い沈黙だった。


「……分かっておりますわ」


穏やかな返事だった。エルティガは数秒だけ妹を見つめたが、それ以上は何も言わない。


やがて短く告げる。


「行くぞ」その一言で一行は動き始めた。


皆が兄の後に続く中、ナディアだけが一度だけ振り返る。


そこにはもうヴェゼルの姿はない。それでも先ほどまで彼が立っていた場所へ視線が向いてしまう。


家の敵。父の仇。兄からも周囲からも、何度となくそう聞かされてきた名前だった。


だが、今日出会った少年は、少なくともナディアが想像していた人物とは少し違って見えた。


だからこそ、もう少し話してみたかった。何を考えているのか。どんな人なのか。ただ、それを口にすることはできない。


父を失い、右腕を失った兄の前で、それを語ることはあまりにも酷だった。


ナディアは小さく息を吐く。


そして何も言わず、兄たちの後を追って歩き出した。


先ほどまでヴェゼルが立っていた場所には、もう誰もいなかった。





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