第680話 入学式05
2026年6月6日午前10時過〜10時30分までの間、
お読みいただいた方、申し訳ありません。
第678話〜第700話の順番が前後しておりました。
そんな騒動が繰り広げられている間に、いつの間にか演台には学院の役職者たちが揃っていたらしい。
壇上には学長をはじめ、副学長、各学部長、学院の重鎮たちが並び、その姿を見た司会役の教師が一歩前へ出る。
そして一度、大きく咳払いをした。その音だけで講堂のざわめきが少しずつ収まっていく。
だが完全には静かにならない。先ほどの騒動の余韻が残っているのだろう。
司会者は会場を見渡し、そして何故かヴェゼルの辺りをじろりと見た。
そしてようやく入学生や父兄が司会者がいることに気づいて、静寂がやっと訪れた。
「えー……学長が着席されてから、皆様が静かになるまで三分ほど要しました。入学式としては、なかなか記録的な数字かと思われます」
その皮肉に講堂のあちこちで苦笑が漏れた。
ヴェゼルは遠い目になる。(学校の先生って、どこの世界でも同じなんだな……)前世でも聞いたような台詞だった。
その後、司会者は姿勢を正す。
「それではこれより、バルカン帝国国立学院入学式を執り行います」
その声が高い天井へ響いた。ようやく式が始まった。
司会者が壇上へ向かって頭を下げる。
「まずははじめの言葉、学長、お願いいたします」
呼ばれたイグニスがゆっくりと立ち上がった。年齢を感じさせる老紳士だったが、その背筋は驚くほど真っ直ぐだった。
講堂全体を見渡し、新入生たちを一人ひとり確認するように視線を巡らせる。そして静かに口を開いた。
「新入生諸君。入学おめでとう」
よく通る声だった。決して大声ではない。それでも自然と耳に届く。
「諸君は今日まで、それぞれの場で学問を学び、剣を振り、槍を構え、魔法を磨いてきたことだろう。しかし覚えていてほしい。知とは、書物の中だけにあるものではない」
講堂が静まり返る。
「剣士が一振りの意味を理解することも知だ。魔術師が魔力の流れを掴むことも知だ。農夫が天候を読み、商人が人の心を読むこともまた知である」
イグニスはゆっくりと言葉を重ねた。
「先人たちは数え切れぬ失敗を重ねながら、魔法を体系化し、武術を磨き、技術を築いてきた。だが彼らもまた最初から賢者だったわけではない。一人の挑戦者だった」
その言葉に、多くの新入生が真剣な顔になる。
「この学院が諸君に求めるものは、知識を覚えることだけではない。その知識を疑い、組み合わせ、発展させ、自ら新たな価値を生み出すことだ」
イグニスはわずかに笑った。
「魔法も剣術も完成されたものではない。今この瞬間にも、誰かの発想一つで新しい道が開かれる可能性を秘めている」
そして最後に言った。
「恐れず挑戦してほしい。失敗を恥じる必要はない。学びとは答えを得ることではなく、問いを見つけることから始まるのだから」
一呼吸置く。
「諸君らの好奇心と情熱が、この帝国の未来を切り拓く力となることを期待している」
その後、柔らかな笑みを浮かべた。
「改めて、入学おめでとう」
講堂に拍手が広がった。
最初はまばらだった拍手が、次第に大きくなり、やがて会場全体を包み込む。
ヴェゼルも自然と拍手を送っていた。(さすが学長だな)
短い言葉だったが、不思議と胸へ残る。
そう思った、その時だった。イグニスは再び演台へ手を置いた。
普通ならここで終わる。だが、学長は席へ戻ろうとしない。
講堂の空気が少し変わった。イグニスの表情から穏やかな笑みが消える。
そして静かに言った。会場が再び静まる。
「先ほどの話は、新入生へ向けた言葉だ。だが、ここからの話は違う」
その視線は新入生だけではない。保護者席。教職員席。在校生席。
講堂全体を見渡していた。
「ここにいる全員に聞いていただきたい」
重い声だった。誰も口を開かない。
イグニスはゆっくりと頭を下げた。深く。驚くほど深く。
ざわめきが走る。学長が頭を下げたのだ。講堂が凍り付いた。
「今回の入学試験において発生した一連の不祥事について、学院を代表して謝罪する」
そのまま数秒間、頭を下げ続ける。ようやく顔を上げた時、その表情には厳しさが宿っていた。
その一言が会場へ落ちた。
「学院というものは、何者にも歪められてはならない。知と学びのために集う者たちは、本来、等しく学ぶ機会を与えられなければならない」
静寂が続く。
「そこへ政治的配慮が入り込んではならない。家柄も、生まれも、財も、権力も、本来は関係ないのだ」
教職員席の一角が僅かに強張った。
ヴェゼルはそれを見逃さなかった。イグニスは言い切った。
「だが今回、この学院はそれを守れなかった。学びの園であるべき場所が、一度その役目を見失った」
会場の空気が重くなる。学長は真っ直ぐ前を見た。
「私はあえて言おう。その時、この学院は死んだのだと」
誰も息を吐かなかった。教職員たちですら動かない。
「だからこそ、教職員も、保護者も、在校生も、新入生も、今一度考えてほしい」
その声は決して大きくない。それでも誰よりも強かった。
「なぜ私は、この栄えある帝国学院の入学式で、このような話をしなければならないのか。その事実を重く受け止めていただきたい」
沈黙が落ちる。言葉が終わった。
一瞬。
講堂は完全な静寂に包まれた。やがて後方の保護者席から、ぱちり、と拍手が鳴る。
誰か一人だった。だが、その拍手はすぐに二人、三人と増えていく。
やがて講堂全体へ広がった。大きな拍手だった。共感する者。感動した者。あるいは勇気を称える者。
様々な思いが混じっていた。
ただ、その拍手の中で。一部の教職員だけは拍手をしていなかった。苦虫を噛み潰したような顔で座っている。
その姿が妙に印象的だった。
ヴェゼルはその光景を見ながら思う。(この人、本気なんだな)ただの謝罪ではない。
学院を立て直そうとしている。その覚悟だけは、誰の目にも明らかだった。
続いて司会者が「在校生代表挨拶」と告げると少し緊張したシェルパが演台の中央に立った。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
シェルパは穏やかに微笑みながら講堂を見渡した。
「皆さんは今日から、このバルカン帝国国立学院の一員となります。不安や期待、様々な思いを抱いていることでしょう。私も入学した日には同じ気持ちでした。ですから、分からないことや困ったことがあれば、どうか遠慮なく先輩たちを頼ってください。私たちは皆さんを歓迎します」
そこで一度言葉を区切る。
「さて、この学院には様々な国や地域から生徒が集まっています。貴族もいれば平民もいます。皇族もいれば商人の子もいます。しかし、この学院において、その違いは本来重要ではありません」
講堂が静かになる。
「皆さんが何者であるかではなく、何を学び、どう行動するか。それによって評価される場所です。家柄ではなく努力を。身分ではなく実力を。その理念こそが、この学院の根幹にあります」
シェルパは真っ直ぐ新入生たちを見た。
「しかし同時に、皆さんが学ぶものには大きな責任が伴います。魔法は人を守る力にもなりますが、人を傷つける力にもなります。剣も槍も同じです。使い方を誤れば、人の命を奪うことさえあります」
その声は静かだったが重みがあった。
「だからこそ、私たちは力だけではなく、その力を扱う者としての在り方も学ばなければなりません」
少しだけ表情を和らげる。
「この学院を卒業した者たちの多くは、各国の官僚や将軍、騎士、研究者、魔術師として活躍していきます。いずれ国や人々を導く立場になる者も少なくありません」
そしてゆっくりと言った。講堂が静まり返る。
「皆さんは、もう幼い子供ではありません。ここは社会の縮図です。自らを律し、自ら考え、自らの行動に責任を持つことが求められます」
だが、その後に柔らかな笑みを浮かべた。
「もっとも、皆さんはまだ完全な大人でもありません」
その言葉に場の空気が少し和らぐ。
「失敗することもあるでしょう。間違えることもあるでしょう。それは恥ずべきことではありません。失敗したなら改めればよい。間違えたなら学べばよい。それが学院という場所です」
シェルパはゆっくりと首を振った。
「ですが、同じ過ちを何度も繰り返すこと、自分の考えだけが正しいと信じて耳を閉ざすことは賢明とは言えません。人は学び、成長することができます。その機会を自ら捨ててはならないのです」
そして最後に講堂全体へ視線を向けた。
「皆さんは今日から仲間です。互いに学び、助け合い、ときには競い合いながら、この学院をより良い場所へ導いていきましょう」
「皆さんの学院生活が実り多きものとなることを願い、歓迎の言葉といたします」
「改めまして、ご入学おめでとうございます」
そう言ってシェルパは深く一礼した。
見事なスピーチだった。
そして司会者が次の進行へ移ろうとした時だった。
「続きまして、新入生代表の挨拶――」そう告げかけたところで、一人の教職員が慌てた様子で近寄ってくる。
司会者へ何事か耳打ちした。司会者の顔が露骨に曇った。
「……ですが、それは」小声で何か言い返している。相手も譲らない。
二人はしばらく押し問答を続けていたが、やがて司会者は諦めたように息を吐いた。
その様子に講堂のあちこちでざわめきが広がる。教師たちの中にも顔をしかめる者がいた。
どうやら予定とは違うことが起きているらしい。そして司会者は気持ちを切り替えるように咳払いした。
「失礼いたしました。新入生代表の挨拶を行います」
わずかな間。それから渋々といった声音で続ける。
「新入生代表、メガーヌ・ラエモンス・バルカン様」
「待て、代表は別の者ではなかったか?」「急な変更だぞ……」「皇族だから押し切ったのか?」
父兄席からも困惑した囁きが漏れる。教職員席でも顔を見合わせる者がいた。
どうやら予定通りではないらしい。だが当の本人は意にも介していない。メガーヌは堂々と立ち上がる。
まるで最初から自分が選ばれることを知っていたかのようだった。
ゆっくりと演台へ歩み寄り、その場に立つ。
そして会場全体を見渡した。まるで品定めでもするような視線だった。
静寂が落ちる。
メガーヌはゆっくりと口を開いた。
「私は幼い頃より、一つのことを教えられてきた。力とは責任であり、責任を果たせる者だけが人を導く資格を持つ、と」
その言葉に、先ほどまでざわついていた会場が静まる。
「世の中には平等という言葉がある。だが私は、それを結果の平等だとは思わない。人は生まれも才能も異なる。剣の才を持つ者もいれば、学問に優れる者もいる。魔法の才能に恵まれる者もいれば、そうでない者もいる。違いがあること自体は当然だ」
そこまでは、まだ理解できる話だった。しかしメガーヌは続ける。
「問題は、その違いを認めた上で、誰が責任を背負うかだ。強き者が責任から逃れ、決断を避けるならば、その国はいずれ衰退する。歴史とはそういうものだ。
多くの者は平穏を望む。だが平穏は願うだけで得られるものではない。誰かが決断し、誰かが責任を負い、誰かが道を切り開かなければならない。
大多数の意見が常に正しいわけではない。時には一人の決断が国を救い、時には大衆の迷いが国を滅ぼす。
だからこそ私は、導く者が必要だと考える。未来を見据え、迷わず決断し、その結果を背負う者が。
国家とは、その責任を果たす者によって支えられるべきものなのだ」
講堂は静まり返っていた。
「学長は先ほど、自ら考え、自ら道を切り開けと言った。私もその言葉には賛同する。だからこそ私は言おう。今の帝国は停滞している。豊かさに甘え、過去の栄光に縋り、誰も未来を語ろうとしない」
教師席の何人かが顔をしかめる。だがメガーヌは意に介さない。
「この学院からは将軍が生まれ、官僚が生まれ、魔術師が生まれる。やがて帝国を支える者たちがここから巣立っていく。ならば学院が変われば帝国も変わる。帝国が変われば世界も変わる。私はそう信じている」
その声音には熱がない。むしろ冷静だった。
だからこそ恐ろしかった。
「そしていずれ、この帝国を大陸随一の国家へ導く。周囲の国々に侮られぬ国へ。誰も逆らえぬほど強く、誰もが認める秩序を築く。力による支配ではない。力によって守られた秩序だ」
そこで一度言葉を切る。黄金色の瞳が会場を見渡した。
「私は協力する者を歓迎しよう。その功績には正当な報酬を与える。だが変化を拒み、停滞を選び、帝国の未来を妨げる者は道を譲るべきだ。未来へ進む意思なき者に舵を握る資格はない」
最後にメガーヌは静かに告げた。
「私はこの帝国を、覇者の国へ導く。そのために必要なことは全て行うつもりだ。以上」
演説が終わる。
メガーヌは最後に形式通りの一礼だけを行った。その所作は完璧だったが、そこに謙虚さは欠片も感じられない。
そのまま踵を返し、演台を降りる。
講堂には奇妙な静寂が広がっていた。賛同した者もいる。反発した者もいる。
だが誰もすぐには拍手できなかった。
あれは新入生代表の挨拶というより、自らの思想と野心を宣言する演説だったからだ。
やがて最前列の取り巻きたちが拍手を始める。
それに釣られるように、ごく一部から拍手が起こった。
しかし大きな広がりにはならない。
すぐに静寂へ戻った。席へ戻る途中、メガーヌの視線が後方へ向く。
ヴェゼルと目が合った。ほんの一瞬だった。メガーヌは露骨に眉をひそめる。
そのまま鋭い視線を向けた後、何も言わず自分の席へ腰を下ろした。
ヴェゼルはその背を見送りながら思う。
――理屈は通っている。
間違ったことを言っているわけでもない。
強い者が責任を負うべきだという考えも理解できる。だが。メガーヌは人を導こうとしているのではない。
自分が正しいと思う世界へ、人々を連れていこうとしている。
あれは王の演説ではない。
覇者の演説だ。
そして恐らく――本人はその違いに気づいていない。
長文の演説回でした。各々の方針をまずは。。
そこの意識の違いで、、この後、どうなるかを。。
メガーヌ。言ってることは整然と、、私が言うのはおかしいのですが、賢こそうですね。。




