第673話 入寮
イグニスが立ち去る直前、ひとつだけ申し訳なさそうに告げたことがあった。
「入学は認められたが、クラスについては少々事情があってな」
イグニスは苦笑しながら頭を掻く。
「筆記試験は二人とも満点だった。しかし実技試験の採点があまりにも不自然でな。試験官ごとに評価が大きく割れてしまったのだ。学院としても、その扱いを決めるのに随分と時間が掛かった」
そう言って小さく息を吐く。
「結果として、一年五組への配属となった。成績だけを見れば、もっと上の組でもおかしくはないのだがな。そこは了承してほしい」
プロフィアはわずかに眉を寄せた。
本来なら上位クラスへ入っていても不思議ではない成績である。だが、ヴェゼルは肩を竦めただけだった。
「別に構いませんよ」
正直なところ、今の彼にとってクラス分けなど大した問題ではない。
そもそも入学そのものが危うかったのだ。五組だろうが一組だろうが、その程度の違いにしか思えない。
ヴェゼルの返答に、イグニスは苦笑しながら頷いた。
「そう言ってもらえると助かる」
そして最後に二人を見渡すと、そのまま部屋を後にした。
その翌日、妖精たちの扱いについても正式な申請が行われたようだった。
ジャスティ、ルーミー、トールは聴講生。サクラはヴェゼルの従者。タンクはプロフィアの従者。
本来であれば、同性同士ということでヴェゼルとタンク、プロフィアとサクラで組ませる案も出ていた。だが、サクラが泣いて猛反対したため却下となった。
タンクとしても、一人でバネット商会へ残されるよりは良かったらしい。
結局、サクラの希望が優先される形となり、その一部始終を見ていたイグニスも苦笑しながら承認してくれた。
「学院へ戻り次第、正式な手続きを進めよう。遅くとも明後日には返答が届くはずだ」
その言葉通り、数日後には全員の許可が下りた。
制服や靴の支給についても、本来であれば学院へ赴いて採寸や試着を行う予定だった。だが、ヴェゼルとプロフィアはそれを辞退した。
試験であれだけの騒動が起きた直後である。再び学院へ顔を出せば、また何らかの面倒事へ巻き込まれる可能性も否定できない。
イグニスもその理由を理解していたのだろう。
苦い顔をしながらも反対はしなかった。
「入学後は、このようなことが二度と起きぬよう努力しよう」
そう約束してくれただけだった。
そのため制服や靴はサイズのみを伝え、後日、バネット商会の従業員に代理で受け取ってもらうことになった。
そして迎えた入寮の日。
入学式の三日前から学院寮へ入ることができるため、ヴェゼルとプロフィアは朝早くから学院へ向かっていた。
帝国学院の寮は大きく三種類に分かれている。
最も一般的なのは無料寮だ。掃除も洗濯も自分で行う完全自主管理型で、平民や下級貴族の多くが利用している。
次が有料寮。こちらは寮母や使用人によって掃除や洗濯が行われるため、中位以上の貴族が利用することが多かった。
そして最後が高位貴族専用寮である。従者の同居が認められ、自室には簡易な調理設備まで備えられていた。
高位貴族は毒を警戒するため、食事を自室で用意することも珍しくない。そのための設備である。食事事情も同様だった。
大食堂は無料。ただし味はそれなり。
対して学院内のレストランは有料だが料理の質は高い。
さらに一般ホールと個室に分かれており、高位貴族は安全面を考慮して個室を利用することが多いという。
ヴェゼルとプロフィアは当初、無料寮を選択していた。
騎士爵家の子息と、その家臣の娘である二人にとって、それが最も自然だったからだ。
だが――。入寮手続きのため受付で名を告げた瞬間、職員の表情が変わった。
「ヴェゼル・パロ・ビック様と、プロフィア・モンデアリ様ですね。申し訳ございません。少々こちらへ」
案内されたのは受付脇の小さな応接室だった。顔を見合わせながら中へ入る。すると、そこには既に何枚もの書類が用意されていた。
職員は丁寧に一礼する。
「イグニス学長より、特別な指示が出ております」
その言葉を聞いた瞬間。
ヴェゼルは嫌な予感しかしなかった。
「ヴェゼル様には高位貴族寮を。プロフィア様には貴族寮を利用していただきます」
「え?」思わず声が漏れる。
職員は慣れた様子で説明を続けた。
「安全上の配慮です。どの寮も警備は万全ですが、今回の件を受けまして、学院としては万が一を避けたいとの判断となりました」
さらに追い打ちをかける。
「なお費用につきましては学院負担となるのでご安心ください。今年一年は特例として無償となります」
完全に決定事項のようだった。ヴェゼルとプロフィアは顔を見合わせる。
断ろうかとも考えたが、どうやら荷物まで既に運び込まれているらしい。
「……そこまで警戒されているのですね」
プロフィアが苦笑した。ヴェゼルも諦めたように肩を竦める。
その後は寮則の説明を受けた。門限。外泊届。外出届。長期休暇の日程。
そして――。
「不純異性交遊は一度で退学となります。例年、この規則による退学者もおりますので、ご注意ください」
職員が真顔で告げる。二人は同時に頷いた。
夏季休暇は二ヶ月。年末休暇と春季休暇は、それぞれ一ヶ月ほどだと説明される。
だが、ビック領までの距離を考えれば簡単には帰れない。通常の移動手段なら片道だけで一ヶ月近く掛かるのだ。
おそらく次に帰郷できるのは、かなり先になるだろう。
また、トレノとアプローズについても話をした。
本来であれば従者として寮へ入ることも可能だった。だが二人は話し合いの末、それを辞退している。
最後までアプローズはヴェゼルの傍に残ると言い張っていた。
しかし、ヴェゼルの傍には常にプロフィアがいるし、学院生活の三年間くらいは自由に過ごしてみてはどうか――そう提案したのはトレノだった。
もっとも、完全に手を離すつもりはないらしい。学院の外へ出る際は、必ずトレノかアプローズのどちらかを同行させること。
それが二人の譲れない条件だった。
アプローズは真剣な顔で念を押す。
「いいですか、ヴェゼル様。僕は毎週一度は必ず会いに参りますからね」
その言葉にヴェゼルは苦笑するしかなかった。
今後、二人は帝都のバネット商会へ常駐し、必要な時のみヴェゼルやプロフィアの補佐を行う予定となっている。
そうして全ての手続きが終わった。
いよいよ寮へ向かう時である。ヴェゼルは手を振ってプロフィアへ告げた。
「それでは、また後でね」
「はい」
ヴェゼルは高位貴族寮へ。
プロフィアは貴族寮へ。そこで一旦別れることになった。
ヴェゼルの胸元のポケットからは、いつものようにサクラが顔を覗かせている。
その周囲ではジャスティ、ルーミー、トールが落ち着きなく飛び回っていた。
「わぁっ! 広いです!」「早く見て回りましょう!」「本当に学院なんだね!」
三人とも大興奮である。
ヴェゼルはそんな妖精たちを見ながら苦笑した。
試験は散々だった。
帝都にも失望した。
それでも――。
これから始まる学院生活に、ほんの少しだけ胸が高鳴っている自分がいる。
その事実だけは、ヴェゼルも否定できなかった。




