第665話 試験日06
剣と槍の試験場へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
広大な屋外訓練場。石畳の地面には無数の傷跡が走り、踏み固められた砂には汗と鉄の匂いが染みついている。
周囲には木製の武器棚や治療用の天幕が並び、遠くでは刃引きされた剣同士がぶつかる重い音が絶え間なく響いていた。
そして当然のように。ヴェゼルとプロフィアへ、無数の視線が集まる。
「あれが……」「ビック家の……」「隣の子も、確か家臣の娘だろ?」
小声があちこちで飛び交う。もっとも、まだ魔法試験場で起きた惨事の詳細までは伝わっていないらしい。
「魔法試験、延期になったらしいぞ」「会場設備が壊れたとか聞いたが……」「何やったんだ?」
そんな程度の噂だけが先行していた。ヴェゼルは周囲を一瞥し、小さく息を吐く。
プロフィアは慣れた様子だ。やがて受付前へ到着すると、二人はそこで別れる。
剣術試験と槍術試験は別会場。しかも人数差が露骨だった。
剣術側には長蛇の列。対して槍術側は、その半分ほどしかいない。
やはり帝都貴族の子弟は剣を好むのだろう。華やかで、騎士らしく、見栄えも良い。
一方で槍は地味だ。だが実戦では違う。
以前フリードは、武術訓練の最中にこう言っていた。
女性は筋力や体格で男に劣る場合が多い。だからこそ、無理に剣へ拘るより、槍の方が生き残りやすい、と。
剣は“振る”武器だ。斬るためには遠心力へ負けない腕力、背筋、体幹、そして硬い甲冑や骨を断ち切る瞬間的な出力が要る。
非力な者が振れば、刃は止まり、受け流され、逆に隙を晒す。
だが槍は違う。踏み込み。体重移動。全身の力を一点へ集約する。突きは、技術で補える。さらに距離を取れる利点も大きい。
相手を近づけず、自分の身を守りやすい。だからプロフィアは、攻撃よりも“生き残るため”の武器として槍を学んできたのだった。
「では、ヴェゼルさん」
別れ際、プロフィアがじっと見る。
「くれぐれも、挑発に乗って自重を忘れないようにしてくださいね?」
「……努力する」
「その言い方、不安しかないんですが」
プロフィアが半眼になる。
ヴェゼルは苦笑しながら答えた。
「プロフィアも怪我しないようにね」
「はい」
そうして二人は別々の列へ向かった。
受験票を提出し、順番を待つ。その間も、試験は次々に進んでいった。
――だが。ヴェゼルは、すぐに違和感へ気づく。
試験官たちの動きが、明らかにおかしい。速い。重い。鋭い。
教師というより、実戦経験者の動きだった。
受験生の攻撃を軽々と捌き、逆に一撃で地面へ転がしていく。
容赦がない。刃引き武器とはいえ、打撃は本物だ。
鈍い音と共に吹き飛ばされる受験生。肩を押さえてうずくまる者。
腕を痺れさせ、涙目になっている貴族子弟。先ほどの受験生など、肩の骨が折れているのではないかと思うほどだった。
その時。教師服を着た男が、剣術側の大柄な試験官へ何か抗議するように声をかけた。
だが次の瞬間。
「邪魔だ」
試験官が教師の肩を乱暴に押し退ける。
教師はよろめき、顔を青くしたまま引き下がった。
ヴェゼルの目が細くなる。
――おかしい。すると近くの受験生同士の会話が聞こえてきた。
「おい……あれ、学院教師じゃないぞ」「騎士団だろ?」「しかも中央の騎士団の連中じゃないか?」
その直後だった。
試験場中央へ、一人の試験官が進み出る。筋骨隆々。顔には古傷。完全に軍人の風貌だった。
男は周囲を見回し、大声を張り上げる。
「今回の武術試験は、一部内容を変更する!!」
ざわめきが起こる。
「より実戦に近い適性を見るため、特定受験者については、帝都騎士団所属の者が直接試験を担当する!!」
その瞬間。空気が変わった。受験生たちが、一斉にヴェゼルを見る。
あまりにも露骨だった。ヴェゼルは目を細める。
――なるほど。そういうことか。
おそらく魔法試験場の件も、ようやくこちらにも伝わったのかもしれない。
そして。「次。槍術試験、プロフィア・モンデアリ」
名前が呼ばれた。プロフィアが前へ出る。
すると、それまで受験生の相手をしていた試験官が下がり、代わりに別の男が出てきた。
ひと回り大きい。いや、熊のようだった。分厚い肩。太い首。獰猛な目。
男はまずヴェゼルを見た。そして、にたりと笑い、今度はプロフィアを見る。
「おうおう。お前がビック家んとこの家臣の娘か、あの英雄気取りから槍を教わったんだろう?」
下卑た声だった。周囲がざわつく。男は槍を肩へ担ぎながら笑った。
「いいぜ。俺が直々に見てやるよ」
そして。わざとらしくプロフィアの顔を見る。
「女の子なんだからよぉ。怪我には気を付けろ? 特に顔とかなぁ。はははははっ!!」
嘲笑。ヴェゼルの目が細くなる。
そして。「――始め!!」
合図と同時に。男が、地面を蹴った。
速い。そして。明確な殺気。訓練ではない。完全に“潰す”踏み込みだった。
離れているヴェゼルにすら分かる。周囲の受験生たちも息を呑んだ。
ヴェゼルは無言でバッグへ手を入れる。
収納箱。視線は男の槍へ固定されていた。万が一、振り下ろされた瞬間に収納するつもりだった。
だが。次の瞬間。
プロフィアが、くるりと背を向けた。そして。全力で逃げた。
「…………は?」男が止まる。完全に予想外だったのだろう。
プロフィアはそのまま大きく距離を取ってから、ようやく振り返った。
男の顔が歪む。
「敵に背を向けて逃げるとは、卑怯者め!!」
怒鳴り声が響く。
「騎士の風上にも置けん!! さすがはビック家の女だな!! 恥も外聞もない!!」
だが、プロフィアは表情一つ変えなかった。
「試験で、本気の殺気を向けてくる相手と戦う義理はありませんの。失格でも構いませんわ。私は自分の命の方が大切ですので」
そのまま槍を戻し、試験場を降りる。
周囲がざわつく。だがヴェゼルには分かった。
プロフィアは悔しがっている。唇の端。歩幅。握られた指。平静を装っているだけだ。
ヴェゼルへ余計な負担をかけまいとしているのも分かる。そして戻ってきたプロフィアは、いつもの笑顔で言った。
「……ということですので、失格だそうですわ」
ヴェゼルは少しだけ沈黙した。そして、思う。
――まぁ……いいか。ここまで来れば、今更だ。
別に、この学院へどうしても入らねばならない訳でもない。騎士爵を継げなくなったとしても、そこまで執着がある訳ではなかった。
それに、あの連中が何を考えているのかも、もう十分すぎるほど理解した。
ヴェゼルは剣術試験場へ視線を向ける。
そろそろ、自分の番だ。その時、ヴェゼルは深く息を吐いた。疲労とも、呆れともつかない吐息だった。
毎回そうだ、とヴェゼルは思う。自分から何かをした訳ではない。
ただ余計な争いを避けていただけなのに、勝手に敵意を向けられ、勝手に試され、勝手に値踏みされる。
辺境の万年騎士爵。成り上がり。英雄気取り。帝都へ来てから、何度そんな言葉を聞いただろう。
くだらない見栄。派閥意識。貴族としての体面。そんなものばかりが先に立ち、本来見るべきものを誰も見ようとしない。
ただの学院試験のはずだった。力を示し、学ぶ場所へ進むための、ただの通過点。本来なら、それだけで済む話だったのだ。
なのに現実はどうだ。嫉妬。猜疑。足の引っ張り合い。しかも、その中心にいる者ほど、自分では何も成していない。
副学長の顔が脳裏を過ぎる。
あの男の生き様、見なくても大凡の察しはつく。他人の功績を嘲り、自分より弱いと決めつけた相手を踏みにじることでしか、自尊心を保てないような男。
そして今度は武術試験だ。騎士団まで引っ張り出し、露骨に威圧し、潰しに来ている。
あまりにも馬鹿馬鹿しかった。ヴェゼルは目を伏せる。
――この帝国では、この学院を卒業しなければ正式に爵位は継げない。
それは理解している。だが、今さらそこまでして帝国へ縋りつきたいとは思わなかった。
守りたいものは、もっと単純だ。家族。領民。ビック家。それだけだった。逆に言えば、それさえ守れるなら、帝国の制度そのものへ未練は薄い。
もし本当に、この国がビック家を切り捨てるつもりなら。もし学院までもが、派閥争いと腐敗に沈んでいるのなら。その時は――もう、この国へ義理立てする必要もない。
ヴェゼルは視線を上げた。
さて。次は、どう来る。侮辱か。圧力か。それとも、本当に殺すつもりで来るのか。
その出方次第では――
自分も、覚悟を決める必要があるのかもしれない。
そんなことを考えながら、ヴェゼルは剣術試験場を見つめるのだった。




