第664話 試験日05
まだ魔法試験場の周囲には、ざわめきが渦のように残っていた。
崩れた訓練場から立ち上る土煙。慌ただしく走り回る教師たち。
壊れた結界柱を確認している教員たち――つい先ほどまで入学試験が行われていたとは、とても思えない有様だった。
そんな中を、ヴェゼルは半ば強引にプロフィアに腕を引かれながら、その場を離れていく。
「ほら、行きますよ」
「いや、でも一応、一言くらい謝罪を――」
「後です。というか、もう今更ですよ!」ぴしゃり、と言い切られた。
ヴェゼルは小さく肩を落とす。
周囲の受験生たちは、そんなヴェゼルへ様々な視線を向けていた。
目が合った瞬間、びくりと肩を震わせて慌てて視線を逸らす者。
「お、おれ、まだ魔法試験終わってないんだけど……」
青い顔で呟いている者。逆に興奮した様子で、友人へ早口に何かをまくしたてている者もいる。
「壁が消えたんだぞ!?」「いや、あれ本当に魔法なのか!?」「結界ごと消えてたって!!」
完全に収拾がついていなかった。
遠くでは、副学長が未だ地面へ座り込んだまま、呆然と崩れた訓練場を見上げている。高価だったはずのローブは砂埃まみれで、先ほどまでの尊大さは跡形もない。
一方、スピリアはしばらく無言でヴェゼルの背を見つめていたが、別の教師に声をかけられ、ようやく現実へ引き戻されたように瓦礫撤去へ向かっていった。
そうして学院内をしばらく歩き、二人は中央広場へ戻る。こちらはまだ平和だった。
中央の噴水周辺では、受験生たちが昼休憩の延長のように談笑しており、遠くから聞こえてくる騒ぎに「何かあったのか?」とざわついている程度で、詳しい事情まではまだ伝わっていないらしい。
プロフィアは近くにいた案内係へ声をかけた。
「あの、剣術と槍術の試験場はどちらでしょうか?」
案内役の青年は、そこでようやくヴェゼルたちの顔を見る。だが当然、目の前の二人が“犯人”だとは思っていない。
「あ、はい。ここを真っ直ぐ進むと大通りがありますので、そこを右へ行けば見えてきますよ」
「ありがとうございます」
丁寧に礼を言い、そのまま歩き出す。
そして自然な流れで――というより、完全にプロフィア主導で、ヴェゼルは手を引かれていた。
「……別に引っ張らなくても歩けるよ? 俺、ちょっとトイレに――」
「試験前に行きましたよね?」
即答だった。しかも握る力が少し強くなる。
「ヴェゼルさん、現実逃避しようとして、逃げようとはしてませんよね?」
「……」
図星だった。結局、そのまましっかり手を繋がれたまま歩かされる。
もっとも、二人にとっては今さらだった。
この四年間。勉強も訓練も、ほとんど毎日のように一緒に過ごしてきたのだ。
――まぁ、その間、だいたい一時間おきくらいにガヤルドが様子を見に来ていたのだが。
勉強前にも覗きに来る。勉強後にも覗きに来る。
なぜか毎回、娘を心配そうに見てから、ヴェゼルへじろりとした視線を向けて帰っていく。
しかも夜は夜で、ガヤルド一家ごとビック家の館で食事をしていることが多かったため、もはや家族ぐるみの付き合いだった。
だからこそ、二人の距離感も自然と近い。
互いに家族や兄弟姉妹に近い感覚であり、手を繋ぐ程度では特別な意識などほとんどなかった。
それにヴェゼルからすれば、同い年とは思えないほど、プロフィアはしっかりしている。
どちらかといえば姉のような存在だった。
日常生活でも、気づけばヴェゼルの方がプロフィアについていくことの方が多い。
そしてヴェゼル自身も、それを自然に受け入れていた。
信頼しているのだ。だからこうして手を引かれて歩くことも、今ではすっかり当たり前になっていたのだった。
そんな二人の前方から、不意に聞き覚えのある声が飛んできた。
「あっ! ヴェゼルー!」
元気いっぱいの声と共に駆け寄ってきたのは、コーティナだった。
その後ろにはラングラーもいる。
どうやら二人は、先に剣と槍の試験を終えてきたらしい。ラングラーは汗で少し髪が乱れており、コーティナも軽く肩で息をしていた。
コーティナはその勢いのままヴェゼルへ話しかけようとして――そこで、ぴたりと止まった。
視線が、ヴェゼルとプロフィアの繋がれた手へ落ちる。
数秒の沈黙。
そして。にやぁ、と口元が吊り上がった。
「おやおやぁ?」
「……違うから」ヴェゼルが反射的に否定する。
だが、プロフィアは至って平然としていた。
「あ、この手は、剣と槍の試験場へヴェゼルさんを連行している途中なんです」
「連行って何……」
「逃亡未遂がありましたので」
淡々と言い切る。
コーティナが堪えきれず吹き出した。
「あはははっ! 何それ!」
その横で、プロフィアは不思議そうに首を傾げる。
「コーティナさんとラングラーさんは、手は繋がないんですか?」
「っ!?!?」
ラングラーの肩が跳ねた。一瞬で顔が真っ赤になる。
「て、手なんてこの頃はもう繋がないよ! お、男と女なんだからな!」
言いながら、妙に視線が泳いでいる。
するとコーティナが、にやにやしながらラングラーを横目で見た。
「へぇー? 私は別に手くらい繋いでもいいけど?」
「なっ……!?」
そして次の瞬間。
「ヴェゼルー♪」
ぎゅっ、と当然のようにヴェゼルへ抱きついた。柔らかい感触と共に、コーティナが満面の笑みを浮かべる。
「なっ!? コーティナ!!」
ラングラーが大慌てで引き剥がしにかかった。
「だからお前はいきなりそういうことをするなって!!」
「えー、減るもんじゃないじゃない」
「そういう問題じゃない!!」
顔を真っ赤にしながら動揺するラングラーに、周囲の受験生たちまで何とも言えない顔を向けている。
ヴェゼルも苦笑するしかなかった。
そんな空気を整理するように、プロフィアが自然に話題を戻す。
「それで、お二人の剣と槍の試験はどうでしたか?」
ラングラーが頭を掻いた。
「まぁまぁ……かな。でも試験官の先生がめちゃくちゃ強かったよ」
「あー、それは本当にそう」
コーティナも肩をすくめる。
「私もそれなりにはやれると思ってたんだけど、完全に遊ばれて終わりだったわ。絶対に現役騎士団レベルよ、あれ」
「へぇ……」
ヴェゼルは少し興味深そうに頷いた。
すると今度は、コーティナが逆に聞き返してくる。
「そっちは? ヴェゼルの魔法、また凄かったんじゃないの?」
その瞬間。ヴェゼルが露骨に視線を逸らした。
「あ」コーティナが察する。
代わりに、プロフィアが小さくため息を吐きながら説明した。
「ええと……副学長という方に、色々と言われまして」
ヴェゼルがばつの悪そうに言う。「だって、さぁ……」
その言葉に、コーティナが「あー……」という顔をした。
「ヴェゼルって、普段は落ち着いてるけど、切れると変な方向に行くものねぇ。辺境伯様の競技会の時もそうだったし」
後ろでラングラーも苦笑している。「確かに、あの時もやばかったな……」
するとコーティナが興味津々で身を乗り出した。
「で!? 何したの!?」ちょうど、その時だった。
広場中央へ、数人の学院教師たちが慌ただしく現れる。
そのまま大きな掲示板へ紙を張り出し、一人が声を張り上げた。
「受験生の皆さん、聞いてください!! 本日の魔法試験は、会場設備の破損により続行不可能となりました!! 魔法試験は明日以降へ延期します!! なお、剣術および槍術試験は予定通り行います!!」
一瞬、広場全体が静まり返り――次の瞬間、大騒ぎになった。
「はぁ!?」「会場破損!?」「何があったんだ!?」「爆発でもしたのか!?」
その中で。ラングラーが、ぎぎぎ……と本当に音がしそうな動きでヴェゼルを見る。
「……おい」
「うん」
「お前、何をどうしたら試験が中止になるんだよ」
ヴェゼルは気まずそうに視線を逸らした。
そしてプロフィアが、また一つため息をつく。
「ご両親への誹謗中傷を言われても我慢していたんですが……アクティちゃんの事まで言われまして」
「それで?」
「訓練場の壁を半分ほど壊しました」
「半分!?!? いや、学院の訓練場って結界とか魔法具で強化されてるわよね!? それ壊したの!?」
コーティナが素っ頓狂な声を上げる。
ヴェゼルは非常にばつが悪そうな顔になった。
「……ちょっとだけ」
「ちょっとで済む話じゃないでしょ!?」
ラングラーまで頭を抱えている。
周囲ではまだ「会場破損って何だよ……」とざわめきが続いていた。
そんな反応を見ているうちに、ヴェゼルはこれ以上追及される前に逃げることを決めた。
「じゃ、じゃあ俺、剣の試験あるから!」
そう言って、今度は逆にプロフィアの手を引っ張るようにして、その場を離れていく。
「あっ、逃げた!」コーティナの声が背後から飛ぶ。
ラングラーは去っていくヴェゼルの背中を見ながら、呆れたように笑った。
「……競技会の時も思ったけど、やっぱビック家って色々おかしいよな」
コーティナも苦笑する。
「剣の試験でもやらかさないわよね……?」
「ヴェゼルを本気で切れさせる奴がいなければ大丈夫だろ……多分な…」
そう言って二人は顔を見合わせ――同時に、なんとも言えない苦笑を浮かべるのだった。




