表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
りんご一個分の収納。マジでどう使えと!? 〜辺境騎士爵に転生したので、なんとか無難な人生を…歩みたいなぁ〜  作者: 大童好嬉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

690/743

第663話 試験日04

「――次。四四四番。ヴェゼル・パロ・ビック」


その名が響いた瞬間だった。ざわついていた訓練場の空気が、すう、と静まっていく。


そこにいた受験生も、試験官も、周囲で補助をしていた学院職員たちまでもが、一斉にヴェゼルへ目を向けていた。


――ビック家。その名前は、今や帝都で知らぬ者の方が少ない。


サマーセットとの戦にはじまり、クルセイダーとの争乱、教国との戦。そしてヴァンガード辺境伯との諍い、さらには皇族との一件まで。


辺境の騎士爵家にしては、あまりにも噂が大きすぎた。だからこそ、その視線には好奇心、警戒、嫉妬、恐怖――様々な感情が混ざっている。


ヴェゼルは、その空気をゆっくり見回した。すると、その視線に合わせるように、周囲のざわめきが次第に消えていく。


小さく苦笑した。まるで、腫れ物でも見るような空気だ。


その時だった。試験官スピリアが、じろりとヴェゼルを見る。そして頭を掻きながら、疲れ切った顔でぼやいた。


「……お手柔らかにな。もう的の替えがねぇんだよ」


低い声だった。その言葉に、周囲から小さな笑いが漏れる。


先ほどのプロフィアの一撃は、それほど衝撃的だったのだ。だが、その空気を切り裂くように、別方向から冷えた声が飛んできた。


「壊せるはずがなかろう」


訓練場の入口側。そこから、一人の男がゆっくり歩いてくる。


年齢は五十前後。細身。妙に高価そうな深紺のローブを纏い、胸元には過剰なほど勲章をぶら下げている。


歩き方には妙な尊大さがあり、鼻先だけで周囲を見下しているような男だった。


受験生たちがざわめく。


「あれ……副学長だ」「本当に来たのか……」


スピリアが露骨に眉を顰めた。


「……副学長」


その呼び方にも、微妙に棘が混ざっている。


副学長は、それに気づいてもいないのか、壊れた的を一瞥し、鼻で笑った。


「的が壊れたと聞いて来てみれば……なるほど」


その目が、プロフィアへ向く。


「ガヤルド殿の娘、だったか?」


スピリアが肩をすくめる。


「名字がモンデアリでしたからな。おそらくは」


「ふん」


副学長が口元を歪めた。


「鳶が鷹でも産んだのか。やつの血にしては、少しはやるようだな」


その言い方には、露骨な侮蔑が混ざっていた。


周囲の空気が、わずかに冷える。もっとも。この男は元々そういう人物だった。


帝都でも有名な、典型的な“権力だけの貴族”。伯爵家の三男。魔法の才は平凡。研究実績も大したことはない。


それでも家の力と派閥政治だけで魔法省へ入り込み、その後はアヴァンタイム派へ取り入って出世した男だった。


そして今は、学院副学長。半ば追い出されるような形の天下り先である。


現場の教師たちからは嫌われていた。だが本人は、それを理解していない。いや、理解する気すらない。


自分は選ばれた側だと、本気で思っている男だった。今回ここへ来たのも、アヴァンタイムからの指示だった。


――ビック家の小僧を見てこい。


そう言われていたのだ。




だが、副学長自身は最初から決めつけていた。辺境の騎士爵風情が。しかも子供が。


教国軍の精鋭クルセイダーを壊滅させただの、妖精や神獣を従えているだの――そんなもの、どうせ誇張だ。


あるいは、帝国貴族社会へ食い込むための虚飾。そう思っていた。だから今も、その目には最初から露骨な侮蔑が浮かんでいる。


「……ふん」


副学長はヴェゼルを頭から爪先まで舐めるように見たあと、鼻で笑った。


「なるほど。これが辺境で“英雄ごっこ”をしている子供か」


周囲が静まり返る。


スピリアが眉をひそめた。だが、副学長は止まらない。


「私はな、実際に戦場を見てきた人間だ。魔法省で本物を見てきた。だから分かる」


薄く笑いながら、見下すように続ける。


「子供一人がクルセイダー三百を殲滅した? 笑わせるな。そんなもの、酒場の吟遊詩人ですら、もう少し現実味のある嘘をつく」


周囲の受験生たちの顔が強張る。


ヴェゼルは黙ったままだった。


すると副学長は、さらに愉快そうに口角を歪めた。


「父親も父親だ。フリード・フォン・ビック……だったか? 武勲を盛り、皇族へ取り入り、辺境で英雄気取り。実に浅ましい成り上がりだ。脳筋の蛮族が、運良く教国の混乱へ乗じただけだろうに」


空気が、ぴり、と軋む。


それでも副学長は気づかない。いや、気づいていて愉しんでいた。


「母親も笑えるな。オデッセイ・ビックだったか? 魔法省から逃げ帰った女だろう。研究にもついて来られず、結局は辺境へ逃亡。敗北者としては実に見苦しい末路だ」


そこで、流石にスピリアが低く唸る。


「……副学長。その辺でやめとけ」


「何故だ? 事実を言っているだけであろう?」


副学長は肩をすくめた。そして。決定的な言葉を吐いた。


「妹の件もそうだな。たしか、見るも無惨な怪我を負ったのだったか? 可哀想にな。二度と人前へ出られぬほど顔を潰したと聞いたぞ。まったく、呪われた家系だ」


――その瞬間だった。


空気が、沈んだ。本当に。まるで訓練場全体が深海へ沈み込んだかのように、誰も声を出せない。


スピリアですら、ぞくりと背筋を震わせる。


ヴェゼルは怒鳴らなかった。叫びもしない。


ただ。静かに。あまりにも静かに。副学長を見た。その瞳から、感情だけが消えていた。


「……あの、そろそろ始めてもいいですか?」


穏やかな声だった。逆に、その声が恐ろしい。だが副学長は気づかない。あるいは、認められない。


「勝手にしろ」


苛立ったように吐き捨てる。


スピリアが慌てて声を張った。


「……では、始め!!」


だが、ヴェゼルは動かなかった。静かに訓練場を見回す。壁。柱。天井。結界柱。魔法陣。


それら全てを視界へ収めてから、ゆっくり口を開いた。


「あの。この訓練場全体、結界が張られてるんですよね?」


副学長が鼻で笑う。


「帝国最高峰の設備だ。貴様程度の魔法で傷一つ付かん」


ヴェゼルは確認するように続けた。


「つまり、壊しても問題ないんですね?」


「……は?」


「後から請求されたり、怒られたりしません?」


副学長の眉が吊り上がる。そして、嘲笑した。


「御託はいいかげんにしろ。できるものならやってみたまえ。父親に似て、口だけは達者らしいな」


そこで。ヴェゼルは小さく息を吐いた。


そしてスピリアを見る。


「ああ、そこの先生。今、副学長さん、確かに言いましたよね?」


スピリアは嫌そうに顔をしかめながらも答える。


「ああ……まぁ、聞いた」


「ありがとうございます」ヴェゼルはそう言って、静かに歩き出した。


訓練場中央。その中心部へ。そして、バッグから小さな収納箱を取り出す。


受験生たちは息を呑む。副学長だけが、まだ薄ら笑いを浮かべていた。


ヴェゼルが壁に視線を合わせた――次の瞬間。


「収納」


左端の壁が、消えた。ずるり、と。


世界そのものを切り抜いたように。防御結界ごと。分厚い石壁ごと。音もなく、収納箱へ吸い込まれていく。


「――なっ」


副学長の顔色が変わる。


スピリアが叫んだ。


「馬鹿な!? 壁が消えてる!?」


止まらない。左から右へ。縦一メートル幅ごとに、壁が連続して消滅していく。数秒。本当に、それだけだった。


そして。支えを失った天井が――。


――どどどどどどどどどどどッ!!!!!! 崩落した。轟音。粉塵。悲鳴。


石材が雨のように降り注ぎ、訓練場は一瞬で地獄絵図へ変わる。


受験生たちが逃げ惑う。教師たちが防御魔法を張る。結界柱が火花を散らして砕け飛ぶ。


その中心で。ヴェゼルだけが静かに立っていた。


そして、思い出したように呟く。


「あ、そうだ。的に当てないと」


そのまま、残っていたミスリル製の的を一瞥する。


「収納」


ぼごっ。全ての的の中心が、綺麗に消えた。だが、そんなものを見ている余裕のある者は、ほとんどいなかった。


副学長は尻餅をつき、顔面蒼白で震えていた。


「ひっ……」


腰が抜けている。先ほどまでの尊大さは、跡形もない。


ヴェゼルは、その横を何も言わず通り過ぎた。ただ一度だけ。冷え切った視線を落としただけだった。


その視線に、副学長は本気で怯えた。


そして。土煙の中を戻ってきたヴェゼルへ、プロフィアがじとりとした目を向ける。


「……ヴェゼルさん、やりすぎです」


「はい」


「いくら煽られたからって、訓練場を半壊……いえ、全壊させる人がいますか?」


ヴェゼルは視線を逸らした。


「だって、アクティのことまで……」


「それは私も怒っています」


ぴしゃり、と言う。


「でも、副学長、泡吹いて倒れてましたよ?」


「……はい」


「この事はしっかりと、オデッセイ様に報告しますからね」


「……はい」


結局。


ヴェゼルは、プロフィアにだけは逆らえないのだった。




ヴェゼルさん、やりすぎっすよ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ