第662話 試験日03
魔法実技試験場へ到着すると、そこには既に多くの受験生たちが集まっていた。
学院の訓練施設なのだろう。天井は高く、内部は小さな闘技場のように広い。
石造りの床は分厚く磨耗しており、長年ここで幾度も魔法が放たれてきたことを感じさせる。壁面には淡く光る魔法陣が刻まれ、柱の各所にも魔法具らしき装置が埋め込まれていた。
おそらく、衝撃吸収や防御結界の類だろう。
実際、訓練場の周囲には結界柱が一定間隔で立ち並び、床にも複雑な術式が薄く刻まれているのが見える。
そして、前方には距離ごとに的が二つずつ。その脇に周囲では既に試験官たちが忙しなく動いていた。
集まっている受験生たちは、やはりというべきか、身なりの整った者ばかりだった。
高級そうな外套。細かな刺繍。家紋入りの装飾品。
手にした杖ですら、明らかに高価な素材で作られている。いかにも“帝都貴族”という空気だった。
地方貴族もいるのだろうが、それでも皆、どこか選民意識のようなものを纏っている感じがする。
そして当然のように。ヴェゼルへ向けられる視線も少なくなかった。
「あれが……」「ビック家の……」「本当に来たのか」
ここでも、小さな囁き。興味。警戒。あるいは、面白がるような色。
そんな空気が列のあちこちから漏れている。もっとも、ヴェゼルもプロフィアも特に反応はしなかった。
今さら気にしても仕方がない。むしろ、これくらいなら静かな方だ。
二人は何も言わず、そのまま列へ並ぶ。
訓練場には、前もって的に魔法を放ったのか、残滓が微かに漂っていた。
魔力特有の、肌がぴりつく感覚。そんなものが混ざり合い、この場所が“実技試験場”なのだと自然に理解させてくる。
そしてヴェゼルは静かに前方の的を見つめた。
――さて。どこまでやろうかな。
そんなことを、ぼんやり考えていた。
試験内容は単純だ。前方に設置された円形の的。大きさはおよそ五十センチほど。
距離は五、十、二十、五十メートルとあるようだ。
受験者は任意の距離から魔法を放ち、その精度と威力を見るらしい。
そして――。訓練場中央へ、一人の男が現れた。
四十代半ばほどだろうか。日に焼けた肌。大柄な体格。顔には大きな古傷。
学者というより、歴戦の傭兵にしか見えない。
実際、立っているだけで空気が変わる。いかにも現場叩き上げ――そんな雰囲気の男だった。
「おーい!! 注目しろォ!!」
怒鳴るような大声が訓練場全体へ響く。ざわついていた受験生たちが、一気に静まり返った。
男は腕を組み、受験生たちをぐるりと見回す。
「俺はこの学院で魔法の教授をしている、スピリアだ!!」
その名が出た瞬間。周囲から小さなどよめきが起きた。
「あれが……」「スピリア様か……」「元魔法省第二席だった人だろ……?」
どうやら有名人らしい。もっとも、本人はそんな反応など気にも留めていない様子だった。
「今から魔法試験を始める!! 並んだ順に受験票を見せて受付しろ!!」
「試験は単純だ!! 名前を呼ぶ!! そしたら順番に撃て!! 制限時間は二分!! その間なら何発撃っても構わん!!」
そこで、男がにやりと口を歪めた。嫌な笑い方だった。
受験生たちの顔が少し引きつる。
「ただし!! 魔力切れでぶっ倒れても介抱はしねぇぞ!!」
ばんっ、と近くの柱を叩く。その声に、周囲がざわつく。
スピリアは親指で奥の部屋を指差した。
「あっちに救護室はある!! 念のため魔力回復薬も置いてあるが――一本、金貨一枚だ!!」
「「高っ……」」思わず何人かが声を漏らした。
金貨一枚。平民なら数ヶ月は暮らせる額だ。
スピリアは豪快に笑う。
「死にたくなきゃ加減しろってこった!!」
そして、そのまま後方の的を拳で殴った。
ごぉん、と鈍い金属音が響く。
「ちなみに、この的はミスリル製だ!! 遠慮はいらん!! 好きにぶち込め!! まぁ、傷もつけられんだろうがな!」
完全に脳筋寄りの試験官だった。だが逆に、妙な分かりやすさがある。
すると、その時だった。列の中から、一人の男子受験生が手を上げた。
やけに自信ありげな顔をしている。
「もし、その的を傷付けたらどうなるんですか?」
周囲が少しざわつく。
――自信家だな。そんな空気が流れた。だが、スピリアは面白そうに片眉を上げた。
「壊したら? 俺が直々に褒めてやる。それだけだ」
そして、にやりと笑う。そこで更に笑みを深くした。
「頭撫でて欲しかったら撫でてやるぞ?」
一瞬、周囲が静まる。そして。
「ケツ撫でるのは女子限定だがな!! はははははっ!!」
豪快に笑い声を響かせた。……空気が凍った。女性受験生たちが、すっと距離を取る。
「なにあの試験官……」「最低……」「入学しても、あの先生だけは絶対嫌……」
女子の否定的な囁きが一斉に広がっていく。
男子側も若干引いていた。もっとも。当のスピリア本人は、全く気にした様子がない。
ヴェゼルはその様子を見ながら、思わず苦笑する。
――なんというか。思っていたより、だいぶ雑な人だな。だが同時に。ああいうタイプほど、実力主義なのだろうとも感じていた。
そうして、魔法試験が始まった。
受験者は百人弱ほどだろうか。訓練場は二列に分けられ、それぞれで同時進行する形になっている。
受験生たちは緊張した面持ちで順番を待ち、あちこちで小さな詠唱確認や深呼吸が行われていた。
ヴェゼルとプロフィアも同じ列へ並ぶ。
そして――。ヴェゼルが受験票を受付へ出そうとした、その時だった。
すっと、プロフィアが半歩前へ出る。
「先に受付しますね」自然な動きだった。
ヴェゼルが目を瞬かせる間に、プロフィアは受験票を差し出し、淡々と受付を終えてしまう。
戻ってきた彼女は、どこか悪戯っぽく微笑んだ。
「ヴェゼルさんの後ですと、私の魔法、あまり目立たなくなりそうですから」
さらりと言う。
「私も多少はアピールしませんとね」
「……なるほど」ヴェゼルは苦笑した。
ヴェゼルの後では印象が薄れる。そう判断したのだろう。だが同時に、それだけではない気もした。
――きっと、先に空気を変えるつもりなのだ。プロフィアは時々こういうことをする。
前へ出る性格ではない。むしろ常に一歩下がって周囲を見るタイプだ。だが、必要だと思えば、躊躇なく場へ手を入れる。
そういうところがある。
順番を待つ間、ヴェゼルは周囲の受験生たちの様子を眺めていた。
多くは二十メートル地点から魔法を放っている。慎重に詠唱し、魔法陣を形成し、ようやく発動。
三十秒近くかかる者も珍しくない。中には十秒ほどで魔法を起動させる者もいたが、その分、威力はかなり落ちていた。的を軽く震わせる程度だ。
その様子を見ながら、プロフィアが小声で囁く。
「やはり普通は時間がかかりますね」
「そうだね」
「しかも威力も……」
そこで、少しだけ笑う。
「ヴェゼルさんほど規格外の方は、いないみたいですし」
「規格外って……」ヴェゼルは肩を竦めた。
だが、その時だった。
「次!! 四四五番!! プロフィア・モンデアリ!!」
試験官スピリアの大声が訓練場へ響く。
「はい」
プロフィアが静かに前へ出た。
その瞬間、周囲が少しざわつく。
彼女は元々整った容姿をしている。淡い綺麗な色の髪に整った横顔。華奢な体格。背筋の伸びた立ち姿も美しい。
男子受験生たちの視線が一気に集まっていた。
「あの子、綺麗だな……」「どこの家だ?」
そんな囁きまで聞こえてくる。もっとも、当の本人はまったく気にしていない。
そしてプロフィアは――迷わず五メートル地点へ立った。
その瞬間。周囲から失笑が漏れる。
「は?」「あんな近くから?」「五メートルって……」「自信ないのかしら」
くすくす、と笑い声が広がった。だが、プロフィアは一切反応しない。
静かに的を見据え、呼吸を整える。余計な感情を完全に切り離したような顔だった。
そして。
「始め!!」
試験官の声が響く。
瞬間――。プロフィアの右手がすっと持ち上がった。
小さく、何かを呟く。次の瞬間だった。
ドン――!!
右手の先から、水の奔流が瞬時に放たれた。速い。あまりにも速い。詠唱というより、ほとんど“起動”だった。
空気を裂きながら放たれた水流は、空中で圧縮され、螺旋を描いて細い糸のように一直線に収縮して飛んでいく。
そして。
どんッ!!!!
重い衝突音。ミスリル製の巨大な的が、中心から激しく揺れ動いた。
前後へ大きく。明らかに今までとは次元の違う衝撃だった。
訓練場が静まり返る。
「なっ……」「ほぼ無詠唱だぞ!?」「今の速度で、あの威力……!?」「的があそこまで揺れた……!?」
ざわめきが一気に爆発した。
受験生たちだけではない。試験官であるスピリアすら、目を見開いていた。
今日一番どころではない。明らかに、空気が変わったのだ。
だが――。プロフィアは、そこで終わらなかった。
そのまま静かに踵を返すと、小走りで五十メートル地点へ向かっていく。
周囲がざわついた。
「お、おい……まだやるのか?」「しかも五十だぞ……?」
受験生たちの視線が集まる中、プロフィアは静かに立ち止まった。
一度、小さく息を吸う。そして、胸の前で両手を合わせるように重ね――その手を前に突き出して、ゆっくりと左右へ開いた。
その瞬間だった。ぶわり、と。彼女の掌の間へ、目に見えるほど濃密な魔力が集まり始める。
先ほどより明らかに濃い。空気が震え、周囲の髪や衣服がわずかに揺れた。
水属性特有の冷気が広がり、訓練場の温度が一瞬下がったようにすら感じる。
「……っ」近くの受験生が息を呑む。
十秒程度だろうか。たったそれだけの時間で、プロフィアは膨大な魔力を圧縮し終える。
そして。「――はっ」小さな掛け声と同時に、両手が前へ突き出された。
轟ッ――!!
次の瞬間、巨大な水流が解き放たれる。
ただの水ではない。高速回転していた。
幾重もの水流が螺旋状に絡み合い、高圧縮された奔流となって一直線に空間を裂いていく。
その速度、その密度、その制御。十二歳の受験生が放った魔法とは到底思えなかった。
そして。螺旋水流が、五十メートル先のミスリル製の的へ激突する。
――ばきんッ!!!!
凄まじい破砕音が訓練場へ響いた。ミスリル製の的が大きく歪み、そのまま支柱ごと後方へ吹き飛ぶ。
支柱は根元からへし折れ、石床へ叩きつけられた。
一瞬。試験場全体が、完全に静まり返った。
誰も声を出せない。
そして次の瞬間――。
「「「うおおおおっ!?」」」
爆発したようなどよめきが広がった。
「うそだろ!?」「的が……!」「ミスリル製だぞ!?」「今の、本当に学生か!?」
試験官ですら、完全に目を剥いていた。
「み、ミスリルだぞ……!? あれを正面から……!?」
理解が追いついていない顔だった。普通なら、大魔法には長い詠唱が必要になる。
それが常識だ。だがプロフィアは違う。
十秒程度。しかも、この威力。
魔法省でも、ここまで短時間で高圧縮魔法を制御できる者は限られるだろう。
受験生たちの空気が変わっていた。
先ほどまでの「綺麗な少女」という視線ではない。
畏怖。あるいは、恐れ。そういうものへ変わっている。
だが。そんな騒ぎの中心にいる本人だけは、実に落ち着いたものだった。
プロフィアは何事もなかったかのように振り返ると、そのまま静かにヴェゼルの元へ戻ってくる。
そして。にこり、と微笑んだ。
「師匠が良いと、ここまで魔法は威力が増すのですね」
少しだけ悪戯っぽく、小さく首を傾げる。
「ね? 師匠?」
ヴェゼルは思わず苦笑した。
周囲の視線が、一斉に自分へ集まっているのを感じる。
――完全に巻き込まれてるな。
そう思った。その横では、試験官たちが慌てて壊れた的の交換を始めている。
「お、おい! 替え持ってこい!」「早くしろ!」「なんで受験で的が壊れるんだよ!?」
半ば悲鳴のようだった。
そして、ようやく新しい的が設置される。
試験官が、一度大きく息を吐いた。
まだ若干引きつった顔のまま、受験票を確認する。
そして。
「――次。四四四番。ヴェゼル・パロ・ビック」
その名前が響いた瞬間。
訓練場中の視線が、一斉にヴェゼルへ向いた。




