第661話 試験日02
そして門を潜ると、受験生たちは学院職員の案内に従い、そのまま巨大な石造りの校舎へと通されていった。
学院内は朝から慌ただしい空気に包まれている。
帝国中から集まった貴族子弟たちが緊張した面持ちで歩き回り、その傍では従者や護衛たちが最後の身支度を整えていた。
広い廊下には靴の音が絶えず響き、あちこちで小さな声のやり取りが交わされている。
その途中で、ヴェゼルたちもトレノとアプローズとは別れることになった。
受験生以外は中へ入れないらしい。
門脇には広い控室のような空間が設けられており、従者たちはそこで待機するのだという。
「終わったら迎えに行きます」トレノが短く頭を下げる。
すっかり青年らしくなったその姿に、周囲の受験生たちがちらちら視線を向けていた。
アプローズは少し不満そうだった。
「えぇー……昼も一緒じゃないんですかぁ……」
「試験だからね」
「むぅ……」唇を尖らせながらも、最終的には大人しく引き下がる。
そうして別れたあと、ヴェゼルたちは列へ並んだ。
長い列だった。受付では学院職員たちが淡々と名前と家名を書き留めている。
やがて順番が回ってきた。
「出身地と名前を」
「ビック領の、ヴェゼル・パロ・ビックです」
その瞬間だった。職員の視線が、ぴたりと上がる。周囲の受験生たちからも、一斉に視線が集まった。空気が、ほんの少しだけ変わる。
――やっぱりか。ヴェゼルは内心で苦笑する。
ここ帝都では、“ビック”という名は、もうただの辺境騎士爵家ではない。
あの騒動は、結局いまだに帝都の水面下で燻り続けているのだろう。
もっとも、職員も余計なことは言わなかった。すぐに視線を戻し、事務的に紙を差し出してくる。
「受験票になります」
ヴェゼルはそれを受け取り、何気なく番号へ目を落とした。
『444』
「……」思わず微妙な顔になる。
すると隣のプロフィアが、不思議そうに首を傾げた。
「どうかしました?」
「いや……なんでもないよ」
そう言いながら受験票を見せると、プロフィアはぱちりと瞬きをしてから、ふわりと笑った。
「あら。同じ数字が三つ並んでいますね。なんだか縁起が良さそうですね」
その言葉に、ヴェゼルは少しだけ目を瞬かせた。
――ああ、そうか。この世界では、“四”は不吉な数字ではない。
それは前世の感覚だった。自分でも気づかないうちに、まだそういう感覚が残っていたらしい。
ヴェゼルは小さく肩の力を抜いた。
「……確かに、そうかも」
ちなみに、プロフィアの番号は『445』。
ちょうど一つ後ろだった。
「隣ですね」
「うん。少し安心したよ」
そんな話をしながら、二人は試験会場へと向かっていった。
試験会場へ入ると、そこはまるで小さな議会場のようだった。
高い天井。白い石柱。壁際へ等間隔に並ぶ巨大な窓から、春の柔らかな陽光が差し込んでいる。
広い講堂には机が規則正しく並べられ、既に多くの受験生たちが席についていた。
緊張からか、皆どこか表情が硬い。
小声で確認をし合う者。必死に最後の復習をしている者。逆に余裕ぶって椅子へふんぞり返る者。
だが、試験官たちが前へ並び始めると、空気は一気に静まっていった。
ヴェゼルは自分の席へ座る。そのすぐ後ろが、プロフィアだ。
プロフィア短いやり取りをしているうちに、試験官たちが淡々と紙を配り始めた。
午前試験。算術。国語。歴史。
それぞれ六十分。間に十分の休憩を挟みながら進行するらしい。
そして開始の鐘が鳴った瞬間、講堂は水を打ったような静けさへ変わる。
紙をめくる音。ペンの擦れる音。遠くで誰かが緊張から喉を鳴らす音。
その中で、ヴェゼルは問題へ目を落とした。
――簡単だな。算術は四則演算が中心だった。
多少の文章問題はあるが、ひねった内容ではない。
国語も文法や単語問題が大半。歴史も、帝国成立までの流れや主要人物の確認程度だった。
特に多かったのは、初代皇帝ザンザス・トゥエル・バルカンに関する問題だ。
だが――。ヴェゼルは、少しだけ肩透かしを食らった気分になっていた。
――ジョルノ・フォン・ビックは出ないんだな。
毎年必ず一問は出る、と聞いていたのだが、ヴェゼルの先祖であるビック家初代当主については、結局最後まで一切触れられなかった。
少し残念だった。もっとも、問題そのものは難しくない。三回見直しても、まだ時間が余る程度には。
後ろの席から、小さな紙の音が聞こえる。プロフィアも順調なのだろう。
休憩時間になると、二人は小声で確認し合った。
「どうでした?」
「かなり簡単だったかな」
「ですよね」
プロフィアも落ち着いた顔で頷く。
元々、二人とも勉強は得意だった。
特にこの一年は、オデッセイがかなり本腰を入れて教えていた。
もっとも――。その勉強時間には、毎回妙な監視がついていたのだが。
一時間おきくらいに、勉強部屋の扉がそっと開く。
ちらっ。そこから顔を出すガヤルド。勉強前には娘を心配そうに見つめ、勉強後にも娘を確認し。
そのあと必ず、じろり、とヴェゼルを見る。
まるで、「本当に何もしておらんだろうな?」と言いたげな目だった。
ヴェゼルもプロフィアも、途中から完全に慣れていたが。
そして午前試験は終了する。試験官が前へ出て告げた。
「昼食は中庭、または大食堂をご利用ください」
その言葉と共に、受験生たちが一斉に立ち上がり始めた。
ヴェゼルたちは、そのまま大食堂へ向かう。学院の食堂は、もはや貴族の宴会場のようだった。
高い天井。長大な机。磨き上げられた床。既に多くの受験生たちが昼食を広げ、あちこちで賑やかな声が上がっている。
ヴェゼルとプロフィアも空いている席へ向かおうとした――その時だった。
「ヴェゼルー!」
どんっ。背中へ柔らかな感触がぶつかる。
「やっぱりいた!」
コーティナだった。勢いそのままに、後ろから抱きついてきている。
「コーティナさん、近いよ」
「久々なんだから良いじゃない!」全く悪びれない。
すると当然のように、後ろからラングラーが現れる。
「おい! だからいきなり抱きつくなって!」
そして半ば慣れた手付きで二人を引き離した。そこまで含めて、もう様式美だった。
結局、そのまま四人で昼食を取る流れになる。
ヴェゼルたちは簡単なサンドイッチ。対して、コーティナの弁当は実に綺麗だった。
小さく整えられた野菜。色鮮やかな果物。花の形に切られた卵料理。
いかにも貴族令嬢らしい。
一方――ラングラーの弁当は凄かった。
二段重ね。中身は、肉。肉。あと肉。
「……すごいですね」
プロフィアが若干引いた顔をしている。
ラングラーは少し気まずそうだった。
「いや……今日は午後は実技と、家に帰れば訓練もあるしな……」
「絶対それだけじゃないわよね?」コーティナが笑う。
そんな風に四人で試験の感想を話しながら、賑やかに食事を進めていく。
「筆記、簡単だったわね」
コーティナは余裕そうだった。やはり頭も良いらしい。
逆に、ラングラーは筆記の話題になると少し口数が減る。
ヴェゼルは察した。――ああ、そういう感じなんだな。ただ、剣術の話になった瞬間、急に元気になる辺り、非常に分かりやすい。
そして気付けば、プロフィアはすっかりコーティナと打ち解けていた。
コーティナは距離感が近い。だが裏表が少なく、人懐っこい。
プロフィアも自然と会話しやすかったのだろう。
その様子を見ながら、ヴェゼルは少しだけ肩の力を抜いていた。
帝都。学院。試験色々と不安はあった。
だが――。
思っていたより、悪くない始まりかもしれない。
そんなことを、少しだけ思っていた。
もっとも――。
そんな穏やかな昼食の最中も、周囲からの視線だけは絶えなかった。
「あれが……」「ビック家の……」「本当に来たのか……」「あのずっと一緒にいる女の子は…大丈夫なのか?」
遠巻きに囁く声。興味。警戒。好奇。嘲り。恐れ。
様々な感情が混ざった視線が、食堂のあちこちから向けられている。だが、ヴェゼルもプロフィアも、特に気にする様子はなかった。
もう慣れている。ホーネット村が帝都と袂を分かちかけたあの日から、ビック家はずっと“そういう目”で見られてきた。
だから今さらだった。むしろ、露骨に敵意を向けられないだけ、以前よりは随分ましですらある。
やがて。
食堂の前方へ学院職員が現れ、大きく声を張り上げた。
「これより午後試験について説明を行います!」
ざわり、と食堂が静まっていく。
「午後は実技試験となります!」
「剣術、もしくは槍術による模擬戦!」
「加えて、魔法適性を持つ者は、別途魔法試験を行います!」
その瞬間、食堂中の空気が一気に騒がしくなった。
特に貴族子弟たちは、やはり実技の方が気になるのだろう。
「今年の試験官は誰だ?」「騎士団の人が来るって聞いたぞ」「魔法省も見に来るらしい」
そんな声が飛び交っている。
すると、ラングラーが立ち上がった。
「俺たちは先に剣の方へ行く」
腰へ手を当て、どこか楽しそうに笑う。やはり、筆記よりこちらの方が本領らしい。
「ヴェゼルたちはどうする?」
そう聞かれ、ヴェゼルは少し考えてから答えた。
「先に魔法の方へ行っていいかな」
すると、隣のプロフィアも静かに頷く。
「はい。私もその方が良いと思います」
魔法試験を後回しにすると、人数によってはかなり待たされる可能性がある。
その辺りも含めた判断だった。
「そっか!」
コーティナがぱっと笑う。
「じゃあ、また後でね!」
ひらひらと手を振る。ラングラーも軽く手を上げた。
「剣でヘマをするなよな?」
「そっちこそ」
ヴェゼルも苦笑しながら返す。
そうして一度別れ、それぞれ試験会場へ向かう流れになった。
午後の日差しが差し込む学院の回廊を歩きながら、ヴェゼルは小さく息を吐く。
――さて。問題は、こっちなんだよな。
視線を向ける先。
そこには、“魔法実技試験場”と書かれた案内板が立っていた。




