第658話 帝都へ到着
帝都へ到着したのは、春の日差しがゆっくりと西へ傾き始めた頃だった。
長旅を終えた馬車列は、石畳の広い街道を進みながら、そのまま帝都外縁から中央区画へ向かっていく。
遠くには巨大な白亜の城壁。幾重にも連なる尖塔。そして、絶え間なく行き交う人と馬車。
四年ぶりの帝都は、相変わらず巨大だった。
地方都市とは空気そのものが違う。様々な香りと人々の喧騒。
民の声、焼き立てのパンの匂い、香辛料、石畳へ打ち付ける車輪の音――それらすべてが混ざり合い、帝都独特の熱気を作っている。
「うわぁ……」プロフィアが窓へ顔を寄せ、小さく息を漏らした。
久々に見る帝都だ。無理もない。
土の妖精たちも窓枠によじ登るようにして外を眺めている。
「人多いー!」「でっかいなぁ!」「なんかキラキラしてる!」
ルーミーはなどは、ほとんど窓に張り付いていた。
やがて馬車列は、帝都の貴族門へ辿り着く。巨大な鉄門。その両脇には、衛兵たちが並んでいる。
前回ここを通った時のことを思い出し、ヴェゼルは少しだけ苦笑した。
――あの時は、本当に色々あった。
馬車が停止すると、御者台のトレノが静かに名乗る。
「ビック家嫡男、ヴェゼル・パロ・ビック様御一行です」
その瞬間だった。門兵たちの空気が、わずかに変わる。
ぴくり、と。何人かの表情が動いた。同時に馬車の家紋を見た。ある兵士は苦い顔をした。まるで面倒事を思い出したように。
また別の兵士は、わずかに視線を逸らす。警戒というより、怯えに近い。さらに奥では、一人の若い兵士が、ほんのわずかに口元を歪めた。
嘲るような、あるいは値踏みするような笑み。
だが――。誰も何も言わない。以前のような露骨な敵意も、侮蔑もなかった。
兵士たちは互いに顔を見合わせた後、すぐに姿勢を正す。
「……失礼いたしました。入場を許可します」
妙に丁寧だった。しかも、やけに早い。
門兵の一人などは、視線だけはヴェゼルへ向けながらも、余計な言葉を一切口にしなかった。
まるで、“触れない方が良い相手”として扱っているようですらある。
重い鉄門をゆっくりと馬車が通る。
その様子を見ながら、ヴェゼルはぼんやりと思う。――やっぱり、色々広まってるんだろうな。
皇族。騎士団。魔法省。あの帝都での一件は、結局、今も静かに燻り続けているのだろう。
好意。警戒。敵意。嘲笑。様々な感情が混ざり合ったまま、誰も正面からは触れようとしない。
そんな空気を、門兵たちの一瞬の表情だけで十分に感じ取れた。
もっとも。今さら気にしても仕方がない。
ヴェゼルは小さく息を吐き、思考を切り替える。
馬車はそのまま、帝都中心部――バネット商会へ向かって進み始めた。
帝都中央の貴族街に近い商業区。そこには相変わらず巨大な商館や店舗が並んでいる。
貴族御用達の服飾店。高級武具店。魔道具商。香辛料市場。
そして、その一角。大通りに面した場所に、バネット商会の店舗は存在していた。
外観は以前よりさらに立派になっている。
三階建て。白壁と濃い木材を組み合わせた高級感のある造り。
大きなガラス窓。店頭には、皇室御用達の看板と“ビック領製品正規取扱店”の金文字看板まで掲げられていた。
だが――。
「……あれ? 人が少ないのですね」
プロフィアが不思議そうに呟く。
店内に、人が少ない。いや、少なすぎる。天下のバネット商会とは思えぬほど静かだった。
使用人たちはいる。商品も並んでいる。だが、客がほとんどいない。
ヴェゼルも僅かに眉を寄せた。
馬車が止まる。すると次の瞬間だった。
店の奥から、凄まじい勢いで老人が飛び出してきた。
「ヴェゼル殿ぉぉぉ!!」ベンティガだった。
相変わらず大きな声だ。だが四年前より少しだけ背が縮んだようにも見えた。
髪も白さが増えている。それでも目だけはギラギラしていた。
「久しいのぉ!! すっかり大きくなって!!おお……本当にオデッセイに似てきおった!!」
そのまま勢いよく抱きついてくる。
「お久しぶりです、おじい様」
ヴェゼルが苦笑しながら答える。
その横で、ルークスが肩を竦めた。
「な? ヴェゼル。親父も歳取っただろ?」
「馬鹿息子が!!何を言うか!」ベンティガが即座に怒鳴る。
「確かに年は取った!! だがな!!商人としての才覚は今が全盛期じゃわい!!」
どん、と胸を叩いた。
その目には、まだ獣のような光が宿っている。
老いてなお、商人。それがベンティガだった。
「ほれほれ!! 皆様もおるんじゃ!! 立ち話などせず入らんか!!」
そのまま全員が商館奥の応接室へ通される。
分厚い絨毯。巨大な暖炉。高級木材の家具。四年前よりさらに豪華になっていた。
妖精たちは入った瞬間からソファへ飛び込み、菓子皿へ群がり始める。
「わぁー! クッキー!」「これ美味しい!」「お茶もある!」「ふかふかー!」
一瞬で騒がしくなった。
そんな中。ヴェゼルは先ほどから気になっていたことを口にした。
「おじい様」
「ん?」
「店の方……お客さんがほとんどいませんでしたけど……やっぱり、ビック家との関係が知られてるから、売上が落ちてるんですか?」
少し言いづらそうに続ける。
すると。ベンティガは数秒黙り。
次の瞬間。にやり、と笑った。黒い笑みだった。
「……うむ。まぁ、“店に来る客”は減ったのう」
ヴェゼルが目を瞬かせる。
ベンティガは椅子へ深く腰掛けた。
「じゃがな、それは建前じゃ」
その顔が、完全に悪徳商人顔になる。
室内の空気が少しだけ変わる。
「ホーネットシロップ。ホーネット酒。ガラス。鏡。今でも全部、“ここでしか手に入らん”ものばかりじゃ」
一本ずつ指を立てる。そこに勝ち誇った笑みが浮かぶ。
「表では貴族どもも、“ビック家とは距離を取っております”みたいな顔をしとる」
ベンティガは鼻で笑った。
「じゃがな、今は、貴族の屋敷へ呼び出されるのじゃ」
「……あぁ」ヴェゼルも察した。
「今では店舗販売より、貴族屋敷での個別取引がほぼ全てじゃな」
「表では買わないふうにして。でも裏では欲しい、ですか」
「そういうことじゃ。特に鏡は強いぞぉ。貴婦人どもが取り合いじゃ」
ベンティガが愉快そうに笑う。
「ガラスもな」ルークスが言う。
「うむ。まぁ、ビート・ドワーフ王国でも作ってはおるがな。それを帝国へ輸入しようとすると、値段が一桁変わるわい」
そこで肩を竦めた。
そんな話をしている横で。妖精たちは完全にくつろいでいた。ソファへ寝転がる者。
菓子を頬張る者。机へ登る者。
ベンティガはその光景を見て、ふっと頬を緩めた。
「今回は、ずいぶん妖精様が増えたのぉ」
「……成り行きで…」ヴェゼルが苦笑する。
すると。その影から、ぬるりと巨大な影が現れた。
ルドルフである。
「ワオン」
「うん。ルドルフもいるよね」
満足そうに尻尾を振る。そんな騒がしい空気の中。
プロフィアがふとヴェゼルへ尋ねた。
「ヴェゼルさん。あと一週間でまずはクラス決めの学院の試験ですよ?」
少し不安そうな顔だった。
「勉強とか……するんですか?」
ヴェゼルは少し考え。そして苦笑した。
「うーん……もう今更かなぁ。プロフィアも今まで頑張ってきたでしょ?」
そう言って続ける。
「それに学院へ入ったら、寮生活になるから、しばらく自由に街へ出られなくなるし。だから明日から二、三日、帝都を見て回らない?」
窓の外へ視線を向けた。巨大都市、帝都。
その瞬間。真っ先に反応したのはジャスティだった。
「私!! また図書館行きたいです!!」
「僕は食べ歩き!」タンクが即答する。
「私はお洒落なお店!!」ルーミーが目を輝かせる。
「俺は楽しけりゃなんでもいいや!」トールは相変わらず自由だった。
そこへサクラまで乱入する。
「私はヴェゼルと美味しいもの食べてゴロゴロするー!」
「僕はヴェゼルさんと喫茶店デートしたいです!」アプローズまで混ざる。
「わ、私も美味しいものがいいかな……」プロフィアもつられて笑う。
その時だった。
ヴェゼルの頭へ、ルドルフから念話が届いた。
――狩り。
――帝都近く。
――行きたい。
ヴェゼルは思わず吹き出した。
「……はいはい。ルドルフもね」
「ワフ」満足そうだった。
帝都へ来たというのに。相変わらず周囲は騒がしい。
だが。その騒がしさが、ヴェゼルには妙に心地良かった。




