第656話 4年後
四年という歳月は、振り返れば驚くほどあっという間だった。
季節は巡り、雪が降り、花が咲き、収穫が終わり、また冬が来る――そんな当たり前の営みを繰り返しているうちに、ヴェゼルは十二歳になっていた。
早朝のホーネット村には、すでに一日の熱が生まれ始めている。
まだ朝靄の残る畑では農夫たちが鍬を振るい、湿った土の匂いが風に混じっていた。遠くでは山羊や牛の鳴き声が響てくる。
その一方で商業地の通りは、朝だというのに既に慌ただしい。荷車が何台も行き交い、商人たちが声を張り上げていた。
「その樽は教国行きだ! 割るなよ!」「ガラスは別積みだ、別積み!」
積み込まれているのは、ホーネットシロップやホーネット酒の樽、白磁、ガラス製品、鏡――今では、この地を代表する特産品ばかりである。
もはや、かつての寒村の面影はほとんど残っていなかった。
石造りの建物は年々増え、道幅も大きく広げられている。倉庫群は街道沿いへ何棟も建ち並び、最近では宿屋だけでなく商会専用の建物まで作られ始めていた。
村の外縁部では、今も新しい家が建て続けられている。移民は増え続け、開拓地も年々拡大していた。
四年前なら草原だった場所に、今では畑が広がり家が建ち、人が暮らしている。
そんな村の中央を歩いていたヴェゼルも、すでに“子供”と呼ぶには難しい年齢になっていた。
ここ数年で一気に身長が伸びていた。顔立ちからも幼さはかなり抜けていた。
だが――。顔だけは、相変わらずだった。
整いすぎている。いや、むしろ以前より悪化していた。
黙って立っていれば、未だに少女と見間違われることがあるほどの美貌で、肌などは妙に白く滑らかだった。
日に当たっているはずなのに荒れていない。傷も残りにくい。理由については、本人もだいたい察している。
サクラである。
「いやぁ、やっぱり私の妖精力が強すぎるのよねぇ」
以前、本人が胸を張って言っていた。
実際、サクラとは今でも一緒に寝ている。というより、勝手に潜り込んでくる。
夜になると巨大化したサクラがヴェゼルへ抱きつき、顔へ擦り寄り、髪へ頬を埋め、そのまま寝る。しかも寝相が悪い。
おまけに、相変わらず寝ている間に涎を垂らしてくる。
以前は全力で抵抗していたヴェゼルも、最近では半ば諦めていた。
そして問題なのが、その翌日である。
妙に肌艶が良くなるのだ。髪もさらさらになる。頬の血色まで良い。
オデッセイなどは途中から完全に抵抗をやめていた。
「まぁ……綺麗だから良いんじゃない?」
最近ではそんな扱いである。
アリアも当然のようにサクラへ引っ付き、夜になると一緒になってヴェゼルの寝床へ潜り込んでいる。
時々ジャスティも潜り込んできて、最近では寝台が完全に妖精たちに占領されているのだ。なおかつ、そこにルドルフとシャノンも参戦するのだ。混沌なのだ。
もっとも、ヴェゼル本人としては綺麗だと言われてもあまり嬉しくはない。
十二歳にもなって、“お嬢様”と間違われるのは、さすがに複雑だった。
以前など、教国側の商人に本気で令嬢扱いされ、途中まで話が噛み合わなかったことすらある。
しかも最近では、アクティが面白がって時々髪を編み始める始末だった。
「お兄様、絶対似合いますよ」
「やめて」
「大丈夫です。もう十分綺麗ですから」
「そういう問題じゃないんだけど……」
そのやり取りを見ていたフリードが大笑いしていたのを、ヴェゼルは未だに忘れていない。
そして――。
そんな風に過ぎた四年の中で、ビック家そのものもまた、大きく姿を変えていたのである。
かつて帝国で「辺境の貧乏騎士爵」と揶揄されていたビック家は、今や大陸情勢の中で無視できぬ存在へ変貌している。
もっとも、表向きの立場だけを見れば何も変わってはいない。
ビック家は今なお、バルカン帝国所属の一騎士爵家である。
爵位も返上していない。帝国法の上では、依然として帝国貴族の一つに過ぎなかった。
だが、その実態は極めて曖昧だった。
帝国側も、ビック家側も、互いに決定的な線引きをしていない。敵対はしない。
しかし、積極的に歩み寄ることもない。奇妙な距離感だけが残っていた。
まるで、薄氷の上を互いに慎重に歩いているような関係だった。
帝都から戻って一ヶ月ほど経った頃には、帝国から勲章まで送られてきた。
正式名称はやたら長く、“なんとかミスリル勲章”としか誰も覚えていない。
届けに来た役人だけは妙に厳粛で、格式張った口調で延々と功績を読み上げていたが、当のフリードとヴェゼルの反応は薄かった。
「ほぉー」
「綺麗ですね」
「そうだな」
その程度で終わったのである。
しかも最終的には、横でアクティが「これ、綺麗……」と目を輝かせたため、フリードが「あげるぞ、ほれ」と渡して終わった。
今、その勲章がどこに置かれているのか、正直、誰も把握していない。その程度の扱いだった。
そして、この四年間で最も周囲を驚かせた出来事。
それは――フォルツァ商業連合国の大評議長、ファスター・チェロキーの娘、プレセア・チェロキーがフリードの側室になったことだった。
当時はホーネット村だけではなく、周辺諸国まで含めてかなりの騒ぎになった。
フォルツァ商業連合国とビック家。
その繋がりは、もはや単なる交易相手では済まされない。下手をすれば、国家規模の政治均衡にまで影響する。
だが、その婚姻を最終的に受け入れたのはオデッセイだった。
政治。交易。教国との関係。帝国との距離。今後の独立性。
あらゆる要素を冷静に天秤へ載せた上で、オデッセイが決断したのである。
もっとも、当のプレセア本人は驚くほど自然にビック家へ溶け込んでしまった。
元々、行動力のある女性だったことも大きい。オデッセイとの関係も良好で、側室問題らしい揉め事はほとんど起きなかった。
ソニアだけは相変わらず常にプレセアへ付き従っているが、それすら今では日常の一部になっている。
そして昨年。プレセアは女児を出産した。
ヴィータ。ヴェゼルにとっては異母妹になる。
これがまた、信じられないほど可愛かった。特にアクティが完全に夢中になっている。
「ずっと見ていても飽きません……」
そう言いながら、一日中ヴィータを抱いていることすら珍しくない。
最近ではヴィータもアクティを見るだけで笑うようになり、ますます離れなくなっていた。
一方で、教国との関係はさらに深くなっている。
土の精霊と土の妖精たちの協力により、魔の森を横断する街道は、わずか二ヶ月で完成した。
普通なら数年単位。いや、そもそも魔の森を縦断する街道など、普通は発想すらされない。
仮に作ろうとしても、工事中に魔物へ襲われ続けて終わるのが関の山だ。
だが、ビック家にはルドルフとシャノンがいる。
その眷属たちが街道沿いを巡回し、魔物を抑え込んでいるため、安全性は異常なほど高かった。
今では完全に交易路として定着している。
往来は定期馬車で行われ、その前後をビック領兵士と教国兵士が護衛し、さらに森の中では眷属たちが見回りを続けていた。
途中には宿泊施設も二ヶ所建設されている。
片道三日。かつて命懸けだった魔の森横断は、今や商人たちが普通に利用する街道へ変わっていた。
その結果、教国との人の流れは爆発的に増えた。
ホーネット村には教国の商人や巡礼者、技術者まで訪れるようになり、逆にビック領からも様々な物資が教国へ流れていく。
街道沿いには新たな集落すら形成され始めていた。
なお、エスパーダは結局、聖女エコニック直々の招集を受け、教国へ戻ることになった。
今では教国内政の中枢に関わっている。内政大臣に近い立場だとも聞いた。
だが面白いことに、エスパーダの妻アトンはホーネット村へ残った。理由は単純だった。
「ここの方が子育てしやすいからです」
本人は真顔でそう言ったらしい。
アカディアという男児も生まれ、結果としてエスパーダは半ば単身赴任状態になっていた。
月に二度ほど疲れ切った顔で帰ってきては、また教国へ戻っていく。
最近では住民たちから、「教国へ出稼ぎに行っている父親」みたいな扱いをされ始めていた。
さらに、グロムとコンテッサにも子供が生まれた。今ではビートル村へ移り、代官として村を取り仕切っている。
ルータン村もまた大きく発展していた。ガラスの原料となる珪砂が採れることもあり、工房が次々建てられている。
かつては数十人しか住まぬ寒村だったが、今では三百人を超える人々が暮らしていた。
ガラス。鏡。白磁。ホーネットシロップ。ホーネット酒。
今や、この辺境領でしか作れない品がいくつも存在している。
しかも、それらは貴族だけではなく、商人たちの間でも高級品として定着し始めていた。
人口も四年前の倍以上へ増えている。
既に五千人へ届こうかという勢いだった。
商人は絶えず。移民も止まらない。
教会も建てられ、流通網も整備され、教国との輸出入も急速に増えている。
ホーネット村は今や、帝国・教国・フォルツァ商業連合国を結ぶ“中継点”として機能し始めていた。
辺境の小村だった土地は、いつの間にか巨大な交易圏の中心へ変貌していたのである。
そして、帝都学院。
帝国貴族の子弟たちが集う教育機関であり、十二歳から入学が許される。
基本は三年制。礼儀作法、政治、歴史、軍学、魔法理論――名目上は、帝国貴族として必要な知識を学ぶ場だ。
そして何より、この学院を卒業しなければ、正式な爵位継承資格を得ることができない。
そのため、一応。本当に、一応ではあるのだが。ヴェゼルもまた、そこへ通うことになっていた。
もっとも、本人の感覚としては今さら感が強い。
だが制度は制度である。さすがにそこを無視すると、後々面倒になる。
だから結局、通うことになった。
ホーネット村から帝都までは、通常なら一ヶ月近い距離がある。
途中の街で宿泊しながら進み、馬を替え、街道を渡り続けてようやく辿り着く距離だ。
つまり、そろそろ出発準備を始めなければならない。
村は、いや、もはや小都市と言っていいほど発展したホーネットは、今日も忙しく動き続けている。
そんな光景を、ヴェゼルは領館のバルコニーから静かに眺めていた。
風が吹く。朝の冷たい空気が髪を揺らした。
視線の先には、新しく建てられた倉庫群や工房、遠くへ伸びる街道が見えている。
あの道の先に、帝都がある。
四年前。
あの帝都で、多くのものが変わった。
そして今回。
再びそこへ向かう。
ヴェゼルは手すりへ軽く指を置きながら、静かに目を細めた。
――次に帝都へ行けば。
今度は、以前のようには済まない。そんな予感があった。
理由は分からない。だが、確信に近い感覚だけが胸の奥に残っている。
以前は、まだ“辺境の騎士爵家の子供”だった。
だから軽視もされた。
侮られもした。だが、今は違う。
ビック家は、もう帝国でも無視できる存在ではない。
独自の数々の特産品。
教国との交易路。
フォルツァ商業連合国との繋がり。
精霊。妖精。神獣。
そして、あまりにも異質な戦力。
帝都の貴族たちが、それを知らぬはずがなかった。
だからこそ、今度の帝都は――きっと静かでは終わらない。
そんな気配がしていた。
どうしようかな。。
色々と今まで書いてきて修正したい部分がたくさんあるんですけど、、
そうなると物語の更新が止まるんですよね。。
この物語を完結まで持っていく方を優先したら良いのか、、
修正や気になる部分もたくさんあるし、、
迷いどころです。。




