第一話:生贄令嬢は身内の手紙に困惑する
不意に意識がぐいっと持ち上がった。
不思議な浮遊感を感じながら目を開ければ、薄い紗でできた天幕が見える。
……そういえば、昨日の夜手紙を受け取って……そこに書かれていたことに脱力したあまりそのまま眠ってしまったんだっけ……。
あの部屋から、寝具を持ち出していて本当に良かったこと。
『よぅ! 起きたのかィ、お嬢!』
「あら。サラマンダーもここで寝ていたの?」
弾けるような明るい声に顔をそちらに向ければ、チロチロと背びれの炎を燃やすサラマンダーの銀朱の瞳がこちらをじっと見つめていた。
針のように鋭く細められた瞳孔は、どこか楽しそうな色味を浮かべていて……。
淑女のベッドに侍るものではないわ、と軽くその額を指先でつついてみれば、そりゃあ悪かったな、と、まったく悪びれない声が返ってきた。
もっとも、どうみても爬虫類でしかないサラマンダーの外見では、同衾どころか抱き枕にしたって心理的抵抗は薄そうですわねぇ。
それでも、着替えるわ、と一声かければ、サラマンダーはスルリと天幕から出ていってくれた。
存外に紳士的なところがあるのかもしれませんわね。
寝間着がわりにしていた柔らかなコットンのワンピースを脱ぎ、実家から持ち出してきたドレスと言うには簡素で、ワンピースといってしまうには少々飾り気が多いなんとも言えない服を身に付ける。
あいにくと、私。手持ちの服の数はそう多くありませんのよ。特に、動き回るのに便利そうな服は、ね。
「お洋服も「お取り寄せ」できたら便利だったかもしれませんわねぇ……エプロンくらいなら、あるかしら……?」
考えても詮無いことを口にしながらも、無限収納から取り出した古ぼけた姿見の前でくるりと回って見せれば、たっぷりとした裾がふわりと舞った。
うん。この程度でしたら、動くのにさほど支障はなさそう……ですわね。
それなりに動きを邪魔しないことを確認し、寝間着を仕舞おうと手を伸ばせば、その手がカサリとしたものに触れる。
昨日から私の頭を悩ませる原因、だ。
「…………はぁ……お爺様ったら……」
品のいい色合いの上質な封筒には、血よりも濃い赤色の蝋に公爵家の家紋が押されていた。
封筒の右下には、若干乱れはあるものの書いた本人の厳格さが伺える固い字でお爺様の名前が記されていた。
『どうしたんでぇ、お嬢。ため息なんてついて……』
「ああ、サラマンダー。なんというか、その……少々面倒なことになりそうだなぁ、と考えていましたのよ」
衣擦れの音がしなくなったことを着替えの終了ととったのか、天幕の隙間からサラマンダーが音もなく姿を表した。
……今回は私の着替えも終わっていたからセーフだと思うけれど、せめて一声あっても良いんじゃないかしら?
そんな思いを込めてゆらゆらと揺れる炎を纏うトカゲをじっと見つめてみるけれど、当の本人――本トカゲ、かしら?――はどこ吹く風ですわねぇ。
そのままぴょんと寝台の上に飛び乗ってくると、私の手の中にある封筒を物珍しげに見つめている。
『面倒なこと、ってなぁ……お嬢が持ってるその紙に関係があンのかい?』
「ええ。私のお爺様が相当お怒りのようなの……」
きっと、隠すつもりもないんでしょうね。
好奇心に満ちた……それでいて、どこか心配そうな色を滲ませる銀朱の瞳を向けてくる炎の精霊に、手に持ったままの封筒をひらひらと振って見せる。
その中身……急いで筆を執ったことがわかる程度には乱れた書体の手紙には、お爺様の感情が綴られていた。
何があっても私を愛していると言う告白と、私の思いに気づかなかったことへの後悔。
いつか目が覚めるかと思ってお父様を見捨てなかったせいで、私が傷ついてしまったことへの真摯な謝罪。
こうなった以上、もう容赦はしないという宣言。
そして、たとえ刺し違えたとしても、残っているのが骨の一かけらであろうとも、何がなんでも私を取り戻しにくると言う強い意思が、その文面から伺える。
「……困ったわ……私、思った以上にここでの生活が楽しみになってしまいましたのに……」
『なんだなんだ、随分とシケた顔になっちまったじゃねぇか、お嬢! そんなにその手紙が気に食わねぇのかぃ?』
「気に食わないと言うより、困ったものをもらってしまったと言う感じですわねぇ」
お爺様のことは今でも大好きですし尊敬もしていますけど、もう実家には……公爵家にはかかわり合いたくない、と言うのが本音かしら……?
……ああ、でも、考えようによっては、こうして事前に手紙を貰えたことで、お爺様の動向が掴めただけ良い傾向……と言える、かもしれませんわね……?
…………いずれにせよ……。
「お爺様に、お返事を書かなくてはいけませんわ」
話してわかってもらえるとは思えないけれど、それでも伝えないよりはマシでしょうから。
まずは、あのちょっとガタつくライティングデスクで手紙を書いて、お爺様にお届けしましょう。
……そしたら……。
「今日は、何を食べようかしら?」
取り出したライティングデスクを寝台の横に設置しつつ、今日のお腹と相談をしてみる。
お菓子も良いけれど、ちゃんとした食事も必要、よね……?
今後は、自分自身で調理をしていくことも念頭に置かなければダメかしら?
……あら。今後、だなんて……。どうなるかはわからないけれど、実家に戻されることなくこちらに居られるといいな、なんて……ガラにもなく思ってしまいますのよ。
『俺ァあのどーなつ、とか言う揚げ菓子が美味かったなぁ!』
「ふふふ……そうね。アルク様にも、ご希望を伺わなくてはね」
少しでも楽しい未来を想像しながら、インク壷にペン先を浸す。
どう書き始めようか、と紙の上で手を彷徨わせる私の傍らでは、ちろちろと舌先を遊ばせるサラマンダーが楽しげに笑っていた。
そうね。まずは、思った以上に楽しくて興味深いことになったこちらのでの生活について、書いてみようかしら。
書くべきことをようやく心に決めて……すこしガサつく便箋に、ペンを落とした。




