閑話 01
豪奢な内装の公爵家の一室に、冷たい空気が漂っていた。
フロックコートを着込んだ老人……ウルノルトは、己の前で平然と足を組んで座る男・ライマール・ヴァイエリンツを睥睨する。
ウルノルトが発する怒気を気にした様子もないこの男は、彼の息子でもあり、つい先日この部屋で姉娘に死刑にも等しい宣告を顔色一つ変えずにした父親でもあった。
「……成程。それで貴様は人倫に悖る妹を咎めず、何の罪科のない姉のみを責め立てた挙句に生贄に仕立てたというわけか」
「何をおっしゃいますか、父上。今回のことは、アレがしっかり殿下の心を掴めていればよかっただけのこと。それを怠ったあの役立たずが悪いに決まっているでしょう!」
毛足の長いじゅうたんが敷かれているにもかかわらず、ゴンと鋭い音が室内に響き渡る。
ウルノルトが手にした杖が、床を激しく突いたせいだ。
それなりに年を召しているとはいえ、「老人」という言葉が似つかわしくない程度にがっしりと鍛え上げられた頑健そうな体で繰り出された一撃は、全身から醸し出される殺気にも似た雰囲気と相まって、ビリビリと床を震わせるほどだ。
「ライマール! 貴様、何を言っているのかわかっているのか? 公爵家の長女として、領主代行としての執務も、社交界での交流も一手に担ってきた娘にかける言葉がソレか!」
「お怒りになる意味が分かりませんな。役立たずの穀潰しを養ってやったんだ。公爵家の為に必死で働くのが当然ではありませんか」
火花でも散るかと思われるほどに苛烈な視線が、ライマールと呼ばれた男――フランチェスカの父親を射殺さんばかりに睨みつける。だが、その視線を受け止めた男は、老人の怒りをどこ吹く風という体で受け流して肩を竦めてみせまでした。
娘憎しという感情に塗りつぶされた挙句、己がどれだけ理に合わないことを言っているのかすら判断ができなくなっているのだろう。
「愚か」と評価することさえ生温い己の息子を目の当たりにし、白手袋に包まれたウルノルトの手が、双頭鷲の彫刻が施された杖頭をギリッと音がしそうな程に握りしめる。
アイスブルーの瞳がライマールを見据え……数瞬の間の後、ため息と共にアッシュグレイの頭がゆるりと横に振られた。
張り詰めていたなにかが、プツリと切れた瞬間だった。
「……貴様の性根がこれ程腐っているとは……流石の儂でも読めなんだわ」
「実の息子に何とも酷い言い草ではありませんか、父上。そもそもあの役立たずは、あろうことか私の愛娘の心を傷つけたのですよ!? まったく大人しく生贄となっていればいいものを……っ!!」
「姉の婚約者を寝取った尻軽には似合いの餞だろうて。そもそも、フランチェスカも貴様の娘であろう」
苦虫を噛みつぶしたような顔で吐き捨てるウルノルトの言葉に、今まで軽薄そうな笑みを浮かべていたライマールの額に青筋が浮かんだ。
何かを思い出したのか、血の気が引くほどに手を握りしめたライマールは、唾棄するように言葉尻を荒げる。
怒りに身を震わせる息子の姿を見、ウルノルトは馬鹿にしたように鼻で笑った。その顔には、「どの顔をして……」と言わんばかりの呆れすら混じっている。
「尻軽!? いくら父上でも、聞き過ごせないお言葉ですな! それに、あの役立たずを娘だと思ったことなど一度も……!」
「フランチェスカと、その母親に……エリザヴェータ嬢に執務の全てを押し付けておいてその言い草、か」
「――――っっ!」
ウルノルトの言葉尻に赤黒くなるまで顔を染めた男が、老人に詰め寄るとその胸倉を掴む。
だが、掴みかかられた老人に、動揺する気配はまるでない。むしろ、形の良い薄い唇の端を持ち上げるような、歪んだ笑みを浮かべるばかりだ。
唾を飛ばして激高する息子の手を、ウルノルトは杖を持たない方の腕で跳ね除けて、再びガツンと杖の石突きで床を叩く。
いっそ、穏やかなまでの声で吐き出された老人の言葉に、ライマールの気勢がそがれた。
よろめく様に後ずさったかと思うと、そのまま力なくソファーに崩れ落ちる。
「確かに、ヴァイエリンツ公爵家を継ぐはずだった長男……お前の兄が流行り病で急死し、かといって、すでに他家の養子として迎えられていた次男を家に戻すこともできず……突如として跡取りとなった貴様に、惣領たる自覚と覚悟が乏しいことはわかっておったさ」
「……あ、ぁ……」
「だからこそ、お前の兄の婚約者であり、公爵夫人としての教育を受けてきたエリザヴェータ嬢に、貴様の補佐を伏して願い婚姻を結んだというのに、このザマか」
「そ、それだって、わ、わたしは、当主として……」
「当主として、何をした? エリザヴェータ嬢を疎んで蔑み、どこの馬の骨ともわからぬ女にうつつを抜かし、厭った女とその娘に執務の全てを押し付けて、貴様は何かを成したのか?」
ソファーの上で戦慄く息子を冷たい目で見つめたまま、うっすらと微笑みさえ浮かべたウルノルトが静かに言葉を紡ぐ。
凪いだような表情であるはずなのに、その裏側から背筋も凍らんばかりの怒気が滲み出ていた。
その見えない気迫に押されっぱなしなのだろう。ライマールは、陸に上がげられた魚のように口をパクパクとさせるばかりだ。
老人の薄い唇が、凄惨とも獰猛とも見える笑みの形にゆっくりと吊り上がる。
「少しは変わってくれると期待していたが、全て無駄な時間だったようだな。まったく……いくら実の父親とはいえ、こんな愚物が変わってくれることを信じていたとは……フランチェスカも気の毒な娘よ」
「な……い、一体、何を言って……父上と言えど、その言い様は……」
「まあ良い、まあ良い。それならそれでやり様はある」
自分が何を言われているのかわかっていない様子の息子を一瞥し、ウルノルトは掴まれた時に乱れてしまった襟元を直す。
そのままつかつかと出口に向かって歩を進め、ドア付近に控えていた従僕が恭しく差し出してくるシルクハットを受け取った。
「貴様の思うとおりに事が運ぶと思うなよ、ライマール」
肩越しに振り返って眺めた息子は、呆けたようにただこちらを見ていた。




