21 ところでアヴィ、帰り道はわかります?
「うわ寒ってか何これ!?」
「……アヴィ? 今、どこから」
どてんと音を立てて転がり込んだアヴィを見て、イーリスは目を瞬かせた。ここは罠の真っ只中で、発動中は外部からの接触は不可能なはず。基本的には準備を整えた上で解除するまで、立ち入ることは出来ないはずなのに。
「あー…、何か鏡? みたいなのに叩き込まれたと思ったんだけど」
くしゃっ、と派手なくしゃみをしつつ、アヴィは答えた。次いで、嫌そうに氷の山へ目を向ける。
「なに、それ?」
「勇者を模した人形ですよ。護衛人形らしいんですが、何の役にも立たないんですよねぇ」
「護衛? 誰の?」
「知らないんですよ、誰も」
一応は、と古い話を思い返してみる。妖皇宮に不埒者が出た場合の時間稼ぎ、程度の意味はあったはずだ。けれど、今――相対してはっきり分かったが、これはまったく役に立たない。自分が魔王であることと、昔とった杵柄で荒事に慣れていることを鑑みても、いるだけ無駄だ。ああ、数だけは多いから、こんな風に人海戦術には使えるかもしれない。実際、寒いし。さっきは誰かさんがくしゃみをしていたし。でもまあ、時間稼ぎにもならないだろう。
「……で、何が起きてるんでしょう、囚われのお姫様?」
「囚われ、ですか」
くっくとイーリスが笑う。そんな言い方を自分に対してする相手など限られる。そう言えば鏡とか言っていた。発動している罠の中へ他者を送り込める者など、イーリスの知る限り一人しかいない。間違っても、元人間に出来る真似ではない。
「侵入者用の罠を利用して私を捕らえようとしたんですよ。一応、目論見としては成功してますね」
何しろ、下手なことが出来ないので脱出困難である。もしかしたらこのまま弱らせることが出来れば、確かに自分は囚われの身と出来たかもしれない。……このまま、捕らえ続けていられれば、の話だが。ついでに四方で転がる人間たちが何をしたか、どんな状態なのかも教えておいた。嫌そうな顔が更に歪んだので、彼らに同情することはないだろう。だがまあ、死体の処理は面倒なので、とっとと抜け出したいところだ。けれど出来れば、この木偶の坊たちだけは、再生不能なまでに叩き壊しておきたい。そんなことを考えるイーリスの視界の端で、アヴィが動いた。
「触ると火傷しますよ?」
え、とアヴィが動きを止める。凍傷ですよと呆れるイーリスに、慌ててその手を引っ込めた。それでも顔を近づけてみる辺り、好奇心は大したものだ。
「なんか、勇者に似てる?」
「ああ、見た目だけは似てると思いますよ?」
それも不思議の一つである。どうしてわざわざ勇者なのかと。いや、そもそも人間型にする必要はないし、実際に庭園にいるあれは人型ではない。それ以前に誰が襲ってくることを前提にしているのだろうとか、ときどき仲間内で話題になるほどだ。
へえと気のない返事をしつつ、アヴィは剣の先でそれを突く。いつの間にか、落ちていた剣の一つを拾っていたようだ。
イーリスは呆れた。術でこの状態にしたことなど、一目で分かる。であるなら、それに触れたら触れたものを通して冷気が伝わってくるかもとか、考えないのだろうか。
(ああ、火傷すると言ってしまいましたね)
それを字面どおりに受け取ったなら、まあこれくらいは仕方ないだろう。どこか子供を見るような温かい目でそれを見ていると、ぴしりと音がした。アヴィが慌てているところをみると、意図したものではないらしい。別にあれ自体壊そうと思っているので、別に問題ないと言うことを告げようとしたイーリスだったが、その開かれた口がそのまま固まる。
びしし、と皹が育ったのだ。そしていくらか、欠片が落ちる。
「うわわわわっ!?」
「何をしたんです、アヴィ!?」
「――”低温脆性”。物質が極低温まで冷やされることで変質し、結果として脆くなる性質。物質による温度があるものの、絶対零度まで冷やされれば如何なる物質も脆くなり、微かな衝撃で砕け散る。絶対零度とは、-273.15 ℃を指し、人工的に再現可能な最低限の温度である。バナナで釘が打てるのもこの温度だが、素手で持つと凍傷を起こすので注意せよ」
イーリスが驚いたような顔から、どこか怖い楽しげな笑みに変わったのは己のせいだろうかとアヴィは焦った。その笑みのまま、自分から剣を取り上げたときは、思わず後ずさってしまったほどだ。止めたほうがいいのではと内心で警鐘が鳴っているが、凄絶なその笑みに何が出来よう事もなく。
「絶対零度も、-273.15 ℃も、正直なところは分かりませんが」
ゴン、と振り下ろされた剣が、氷の山に叩きつけられる。刹那の間を置いて、氷の山が真っ白に――つまりは皹で、覆われた。
「衝撃で砕けるところまで冷やせばいいということですね」
「違うからな!? 絶対零度も低温脆性も壊すためのものじゃないからな!?」
慌てて言い募るアヴィなどおかまいなしに、イーリスは剣を振るった。
皹が入ったところはそれで砕けた。無事だった分はそれで新たな皹に覆われた。……だが、そこまでだ。どうやら内部の木偶までは、砕けないらしい。何故だか安堵したアヴィだったが、それはあっさり打ち砕かれる。
「せっかくですし、纏めて片付けます。ちょっと待っていて下さいね」
イーリスの言葉にあわせたかのように、周囲は急激に冷え込んだ。身体を震わせたアヴィが何をしたのか問いかけようとしたそこへ、しゃらと微かな音が響く。よくよく見れば其処彼処に、細かな光が降っていた。それが降りかかった木偶の坊は、次々に白く、白く凍り付いていく。やがて下がり続ける室温に、アヴィが耐え切れなくなりかけたころ、イーリスは手にしていた剣を叩きつけた。
びし、と一際響く音の後で、氷の山が崩れていく。そのまま雪崩れたら襲われるところだったが、そこは考えていたらしく、彼らの側には欠片一つも落ちては来ない。
「よ……よかった、のか?」
それはもちろん、山――木偶を壊したことに対して、である。先ほど見たあれは、なんとなく生き物っぽかったので、ちょっとだけ気が引けたのだ。だが、そう問いかけてから彼も気がついた。そこに転がっているものに血の気はなく、まるで木の棒…木偶という意味が分かるような、木っ端だらけだということに。
「ええ、いい機会でした。これで隠されていた分は消滅したでしょうし」
何しろこれまで、幾かはうっかりで壊してしまったはずなのに、まったく咎めがないどころかいくらでも湧き出て来るので、きっとどこかに隠してあるのだろうと思っていたのだ。まさかこんな風に処分できたとは、思わぬ僥倖であるとイーリスは満足げであった。それならいいけどと引き気味のアヴィに気づかないくらいの笑顔のままで。
「ところでアヴィ、帰り道はわかります?」
「え? あ、いや。いきなりなんか、鏡に放り込まれただけだから。てかここ、なに? すっごい変なんだけど」
「鏡?」
そんなものが廊下にあるものかとイーリスは周囲を見回した。無限回廊は未だ解かれてはおらず、果てがない。
「ここは、無限回廊ですよ。本来は侵入者対策の罠ですね。うっかり嵌められてしまいました。彼女たちに、ね」
答えながら、ふと疑問を抱く。どうして自分だけが捕らえられて、アヴィはそこにいなかったのだろうと。分断したなら、各個撃破か捕縛が常道であるはずなのに。でもそれで言うなら、どうして分断されたのかという話にもなる。彼がいなくても自分は魔王であって、彼ら程度に後れを取ったりしないはずだから。まあやらかすとして、無限回廊から脱出したあとに意識を無くすとか、そういう……。
「だとしたら、もしかして待ち伏せてます……かね?」
「待ち伏せ?」
「ええ、これの仕掛け人が若しかして、と。だとすると、素直に戻るのも癪ですねぇ。どうせ、使われない仕掛けですし……後で謝ることにしましょうか。アヴィ、また妖力を借りますよ」
にっこり笑うイーリスに腕をとられて、アヴィはわたわたと慌てるが、構ってもらえないのは既に恒例である。そして何の説明もないまま、一瞬の酩酊感を感じて――、ととっ、と蹈鞴を踏んだ。パリンという音で、足が何かを踏んだことを知る。
そこは、――廊下の一角のようだった。ほら解けましたよとイーリスが笑っている。反対側を見れば、すぐそこに突き当りがあって、ステンドグラスが圧倒的な存在感を放っていた。そしてその下に、人間が転がっている。
「たかが四人であれを誤作動させましたか。なかなかの才能ですね」
その才能と忠誠を別の方向に向ければ、それなりの地位と財産を築けただろうに。勿体ないなとは思うが、それだけだ。少なくとも、アヴィが彼らを助けようとすることを認めたりはしない。
「放っておきなさい。国家転覆を企てた輩を助ける必要はありませんよ」
「いやでも、死に掛けてるだろ、これ?」
「それならそれで、寿命です。これでもこの国に愛着はありますからね」
彼らの狙いが国家転覆かどうかは分からない。だが、内政宮の仕掛けに手を出して、魔王の一人に手を掛けた、それが現実だ。それを国家転覆と言わないなら、なんと言おうか。
これがただ、悪戯や力試しを仕掛けてきただけなら、逆にしっかり相手をしただろうし、もしかしたら友人になれたかもしれない。けれど、さすがに妖皇宮の仕掛けを弄ったのはその範疇に含めるわけにはいかないのである。
「……黒幕とか調べたりは?」
「私の仕事ではありませんし、無駄でしょうね。というか、妖皇宮の仕掛けを利用した時点で、見当がつきますよ」
それに何より、かなりの衰弱が見て取れる。たぶん、自分では何も出来ないし、下手に動かすとそれも不味いのではないか、そう思えるくらいにはボロボロだ。
そこまではっきり言ってしまえば、アヴィは二の句を継がなかった。物分りがいいな、とイーリスは微笑む。
「まあ、すぐに誰かが来ますよ。私たちは帰りましょうね」
何しろここは、妖皇宮。主もいるし、勇者もいるし、妖魔の仕女もいる。自分が何かするより、任せてしまったほうがいい。どう考えても、騒動が起きそうだし。やるべきことは終わったから、とりあえずは逃げてしまおう。放置したことを咎められたら?
「……死んでるようにしか見えませんし、ね」
「ちょっと待てぇっ!?」
生きてるからと喚くアヴィだが、イーリスは素知らぬ顔でステンドグラスに手をかけた。扉の形で区切られた一部分は、本当に扉になっているのだ。ぐいぐいとアヴィを引っ張り出して、イーリスは宙を歩きだす。
「……え? なに、なにこれ!?」
「そういう仕掛けですよ?」
よくよく目を凝らせば、アヴィにも足元に何かがあることはわかっただろう。透明な硝子のようなそれは、実はラースが作ったものである。庭園を上から見たいから、という理由だったはずだ。彼の了承を得た者以外は開くことも出来ないようにロックが掛けられている。当然、使用には妖力を消費するので、今もまたアヴィから借りた状態だ。
ただ、とイーリスは立ち止まり、路を蹴る。そこから断面上のに光輪が走り、びぃん、と道が響いて、ちょっとだけ道の先が見て取れた。
「見えなくなるんですよねぇ」
うっかりと伝えたその一言で、アヴィが固まった。ぐいぐいと引けばどうにか動くけれど、自分からは足を動かさない。どうして、と思って気がついた。そういえば、先程は火傷も怖がっていたな、と。
まあ確かに、痛みはあるし。死にはしないだろうが、ここから落ちるとけっこうな怪我をすることは事実である。ここで教え諭すよりも、とアヴィを見て。
「うわわわっ!?」
ひょいっと持ち上げて、歩き出した。道は先ほど見えた分で、十分に覚えられている。傍から見ると笑えるだろうなと思った所へ、あはははと笑い声が響いた。
「なあに、アヴィくん高いとこダメ?」
「そのようですよ」
降り立った先は、温室のバルコニーだ。ぽいっと落とされたアヴィは、大きく息をつく。本人が思うより、緊張していたのである。
「お帰りー。やっぱり、何かあった?」
「ええ、ちょっと。…あら、こちらも?」
「うん、何かあったみたいだよ?」
のほほんとしたやり取りに、アヴィが周囲を見渡すが特に何も、感じられない。強いて言うなら、ちょっと花びらや葉っぱや草や枝が散っている、くらいだろうか。多少風が吹けばそれくらいはあるだろうしと更なる異常を探そうとして、視線が戻る。
(枝じゃない……木っ端? ていうか「みたい」って……?)
アヴィが見る表面が滑らかなそれは、枝ではなかった。よくよく見ると、散っているものも花や葉っぱでなく、布切れのようだ。もしかして、と砕かれた山の残骸を思い出す。なんだかよく似た色だったような、気がする。
「アヴィ、行きますよ」
「え?」
「置いてっちゃうよ?」
いつの間にか歩き出していた二人を慌てて追いかける。部屋が気になるからと、一度戻ることにしたらしい。そういえば、昨夜はラースのところに泊まったのだったか、とアヴィは思い出した。
「粗方は潰したと思うよ」
「ええ、私もそこそこは。考え方は悪くないんですよね、無限回廊の中に隠してあったみたいですし、いい機会でした」
「あー、それで見つからなかったんだ。え、何で入ったの、そんなとこに?」
「それがですねぇ……」
始まった会話は、長く続きそうである。
まだまだ続くよ一章が。…あれー?




