20 勇者なお兄ちゃんはどうしようかなぁ
ここはどこ、と周囲を見回せば、昨日見たとおりの長閑な風景だ。
「扉は閉じてあるはずなんだけど……お兄ちゃん、どこから入ったの?」
「え、オレ? どこって……えっと……どこかの部屋の、鏡?」
「鏡?」
直前の状況から、そうとしか思えない。でもそうだとすると、何か知っていて自分を連れ込んだのだろうか。もしもここに誰もいなかったら、帰れなくなるかもしれないのに。
んー、と少女が首を傾げて腕を組んで考えている。微笑ましいなと思ってしまっあら、こんなところに投げ出された憤りは続かなかった。
「後で教えてね、それ」
「え、いや、ごめん、覚えてない」
「あ、いいよ、お兄ちゃんじゃないから」
年齢にそぐわない笑顔で、少女は言い切った。そして、何があったの、と問いただされて。
「あー、いや……」
とりあえず、仮縫いが終わったところからを簡単に説明してみた。少女の顔に冷たい笑顔が浮かんで、思わずぺしりとその頭を叩く。
「……ふえ?」
「子供がそんな顔をするんじゃありません」
ぱちくりと目を瞬かせる様は、見た目にふさわしい子供のものだ。
「子供?」
「そう、子供」
「……子供?」
「子供」
「……」
自分を指したまま固まる少女に、アヴィは畳み掛けた。イーリスの話を思い返すに、どうやら妖魔という輩、年齢は見た目と違うらしい。しかし、目の前にいるのはどうみてもかわいらしい美少女であり、それが凄絶な笑顔を浮かべる様など見たくないのである。
(……オレ、そんな趣味あったんだ。やだなあ……)
内心ではそんなことを思いつつも、ぽむぽむと頭を撫でる。
「誰もいないんだし、子供でよくない?」
「……いいの?」
「いいんじゃね? 名前も知らないお兄ちゃんだし」
言外に正体を知ったと告げる彼に、あはは、と少女が笑った。でもねえ、とにかりと笑って。
「いるよ、誰かは」
ほら、と指した先には、町がある。そして、少女はアヴィの手を取った。
「ちょっとだけ案内してあげるっ」
少女に連れられて、アヴィは町を漫ろ歩いた。行き会う住人は多くなかったが、会釈されたりしてみたり、手を振られて返してみたり、本当に長閑で平和な田舎町の風情であった。まあ、畑を一匹で耕す牛がいたり、獲物を加えて悠々と歩く狼がいたりと、何か何処かが間違っているような気がしなくもなかったが。
住民たちともちょっとだけ会話をして、不思議な感覚を覚えながらも町外れまでついていく。
「……飼い殺しされてるとは、思ってないんだな」
「え? 飼い殺しなんかしてないよ?」
「あ、いや、そうだよなって」
イーリスは確かにそう言った。でも、と気づく。そういえば昨日、どこにいたかという話のときに何も言わなかった。それはここの様子を知っているから、ではないか?
唇に指を当てつつ、少女が呟いた。
「もしかしてあの子たちのことかなぁ…だとしたら、否定出来ないけど」
「え」
「こっち」
アヴィの手を引きなおして、まっすぐに歩き出す。その先には、柵で囲われた館があった。
「ここにいるよ」
何が、とアヴィが問いかけることはない。流石にそれくらいは、予想がつくからだ。案内されるままに庭を通り抜け、屋敷へ入り、各部屋を回る。幾人かのメモリアとは話せたが、ほとんどは会話が成り立たない。顔を合わせたとたんに怯えたり、自分の知る限りのことを吐き出そうとしたり――。
ああ、と納得せざるを得なかった。飼い殺しの意味と、その理由に。
「この子たちはねぇ、フェネクスくんが保護した子供たちだよ。お話し出来た子たちはいつか、巣立てるけど。そうじゃない子は、たぶん無理。自我がね、一人立ち出来るまで育たないの。けっこう、頑張ってるんだけどね」
館に鍵は掛かっていないし、時折は皆が様子を見に来て、外へ連れ出すこともある。だが、大半はこの屋敷を出たがらない。それが、虐げられた結果であることは明白だった。
「妖魔ってねぇ、ある日突然、生まれるんだよ。エミーリアが出来る前はねぇ、みんな世界中で好き勝手してたんだって」
ふむ? と首を傾げつつ、耳は傾ける。そういえば、イーリスからはそういった話を聞いただろうか。単に忘れているだけかもしれないが。
「あたしはねぇ、幸せなほうだったんだ。みんな優しかったしね。術が使えたから、神様のお使いだとか言われてたけどね。でもねぇ、メモリアの子たちは、そうじゃないんだ。役に立つ知識なんて滅多にないし、それも具体的な質問でないと答えられないから、どうやって役に立たせるの、っていう感じ。フェネクスくんはさ、そういう子たちも助けてたんだって」
言われてみて、アヴィは思い出す。確かに自分がメモリアだと言われたきっかけ、あれは確かにどこで役に立つのか、じっくりと考えてもきっと答えはわかりきっている。
「メモリアじゃない子も、そんな感じの子がいたんだって。そういう子たちはみんな、エレーミアへ連れてきて保管してたみたいだよ」
「保管? 保護だろ?」
「んー…保管だと思うけどなぁ。自我が育つまで眠らせるって言ってたから」
「うへ」
そういうことなら、イーリスのあの態度の納得だ。アヴィの表情にそれを見て取ったか、少女は満足げに話を続けた。
「あたしもそのつもりだったみたいだよ、二代目陛下は。でもねぇ、フェネクスくんが守ってくれたの、盟約の鎖でね。二代目陛下、すっごく苦虫噛み潰したような顔してて面白かったよ?」
彼の術式は、術が未熟な妖魔たちのために作られたものであるらしい。つまり、それを自力で解けるようになるまでは保管する、というのが言い分だった。
実際、彼女自身は人間たちに育てられたため、複雑な術は使えなかった。それも仕方ないかと漠然としか思いはあったが、フェネクスが先読みしていたのか、”盟約の鎖”は既に、彼から掛けられていた。二重には掛からないと言う特性を、その時点で彼は知っていたらしい。
結果から言えばそれは必要なくて、箱庭の管理者に納まることになった。三代目を継いだのは別件があってだが、まあその辺りは、そのうちに知ることになるだろうからと言葉を濁す。重要なのは、管理者として何をやったか、で。
「それまではホントにねぇ、ただの空間だったの。だから、作り変えちゃった」
へへ、と少女が舌を出す。自分のした悪戯を自慢するかのように。
まあ、それが何も考えていなかった挙句のことなのは、ちょっとまずかったかな、と今にして思う。誰に相談もせず独断で…と言えば聞こえはいいが、そこを見た瞬間にプチ切れて、盟約の鎖を引き千切り、空間改造を仕掛けたのだから。
呆れられたものだ、まさか解くのではなく引き千切るなんて、と。
「あ」
不意に少女が足を止めて、微笑んだ。村の門から、出て行こうとする人影がある。
「……いいのか?」
「うん、大丈夫。あそこから出られる子は、心配ないよ。そういう風に造ったからね」
「そか」
まるで名残を惜しむかのように、その人影が村を振り返る。たぶん、その視界に入ったのだろう、大きく一つ、手を振った。その後は振り返らずに、先へと進んでいく。
「……出て行くと、どうなるんだ?」
「とりあえず、外政宮の文官が世話するよ。その後は国の中で何かする子もいるし、出て行く子もいるし、いろいろかな」
村の門は外政宮に繋がっていて、そちらの文官たちがある程度、面倒を見る。必要な常識を理解させたら、本当の自由になるらしい。何故外政官かと言えば、単純に内政官は世界情勢に疎いから、らしい。
「そうなの?」
「うん、内政の人たちはねぇ、……詳しいけど、情報が古いよ?」
そもそもが、外政――つまりは国外のことに興味を持たない面々が、内政官である。ごく一部、商人たちと関わる者もいるけれどそれくらいだし、遠路はるばる小隊を組んで来る彼らの情報はちょっと、古い。なので実は諜報部隊があったりするのだが、それはまあ、彼にはまだ秘密である。
「フェネクスくんもね。もう百年くらい、国外に出てないはずだから」
「ひゃ……」
「けっこう筋金入りの引き篭もりだよ?」
こらこら、とアヴィは苦笑する。少女も笑っているから、まあそういうことなのだろう。
ホントはね、と少女がアヴィの耳に口を寄せる。
「そろそろ忘れられてるころだから、外遊に出て欲しいんだけどね」
人間たちの世代交代は早い。百年もあれば、三代は変わるだろう。彼のことを知る人間が、今はどれほど残っているものか。
「何、それは牽制的な意味で?」
「んー、実利のほうかな。フェネクスくん、なんか鼻が利くんだよねぇ」
くんくん、くんくん。……何やらその様子が、毛並みのいい大型犬で脳裏を過ぎったアヴィである。
「あいつは、なんて?」
「ん? まだ何も言ってないから、知らないと思うよ?」
「言えよ、そういうのは!? どう見ても世話焼くの楽しんでるぞ!?」
「……世話? 焼く? 誰の?」
かちん、と何かが固まった気が、した。アヴィは何か、発言に問題があったようだ。
「お兄ちゃん? フェネクスくん、どんな話をしてるの?」
「え。いや、その」
「ねー、どんな話し?」
きりきりと締め上げられて、アヴィは白状させられた。自分の感想だよとしっかり前置きをした上で、子供をかわいがる親の視線にしか見えないと感じたそれらの話を。
「ふーん……そっかぁ。そんなこと言ってるんだ。甘やかしすぎたかなぁ」
「……」
目の前の少女に甘やかされるフェネクス。という奇妙な図を想像してしまい、アヴィは額を押さえた。流石にそれは、ない。
それを聞き出した少女はぷくくくくと思い切り笑って、目頭の涙さえ拭いてみせた。どうやら機嫌は直ったらしい。
「ねえ、お兄ちゃん。世界に興味、ある?」
「興味?」
「行ってみたいと思う?」
とてもいい笑顔で、妖皇陛下が語りかける。何かどこかで見たような、誰かの笑顔に似ているような、…まあちょっとだけ、警戒するべきなのだろうと思わせるとてもいい、笑顔で。
「あるよ?」
「じゃ、これあげる」
握った手を突き出してくるので、反射的に自分の掌を合わせてしまったそこへ、ころりと一つ、鈍色の釦のようなものが転がった。身分証明になるよ、と明るい発言つきである。
「んでね、ちょっとお手伝いして?」
ぐいぐいと手を引かれて、アヴィはとりあえずついていく。ほどなくして示されたのは、何故か物置小屋のど真ん中に鎮座していた鏡台である。なんとなく、見覚えがあるのは気のせいではないだろう。
しかしそれより、掌の中のものが気になった。無地で鈍色の釦のような、それ。
「ちょっと待て、これって」
「今はただの箱庭通行証だよ。あ、外政宮も内政宮も好きに行っていいからね。じゃ、囚われの御姫様の救出よろしくっ」
どん。
「ってちょっと待てぇぇっ!?」
デジャヴを感じたそのままに、アヴィは鏡の中に叩き込まれたのである。
「さて、と。勇者なお兄ちゃんはどうしようかなぁ」
少女はそんなことを呟いた。
※ ※ ※
振り返ってみても、そこにあるはずの部屋がない。既に、術中に嵌ったかと、イーリスは溜息をつく。
「……無限回廊ですねぇ」
それは、妖皇宮の随所に仕込まれた侵入者対策の罠である。アヴィがいなくなった時点では気づけなかったが、どうやらあの扉に仕掛けてあったらしい。誘い込まれたのが自分でよかったと安堵したはいいが、抜けられないのが困り物である。
基本的に、内部からこの術を切り崩すことは出来ないのだ。何しろ、侵入者のの魔力を燃料に発動する術なので、それが尽きない限りは何をしても暖簾に腕押しとなってしまう。内政宮まで入り込める侵入者への警戒として、その程度は必要なのだがまさか、誤作動させられるとは思わなかった。
欠伸を手元の扇で隠しながら、イーリスは壁にもたれた。そのまま幾つかの術を試した結果、どうやらごく短い範囲を歩いているだけらしい。さて、どうしたものか。
「下手なことはしたくありませんしねぇ」
腐っても魔王さまなので、対応は出来る。ただそれをやるとしばらく動けなくなるし、確実に周囲を破壊するし、相手の術者は死ぬ。流石にそれは、数日後に夜会を控える今、どうかと思うのだ。
せめて誰か、外にいる者がこの状況に気づいてくれれば楽なのに。
「……そういえば、レディは気づいているのでしょうかね?」
元隣国の王女、現妖皇宮の管理者という立場にある魔王グリモアなら、防衛機構であるこの仕掛けを解くことなど造作もないはずだ。音沙汰がないということは、もしかして共犯だろうか。もしもそうなら、これを叩き潰すことになんの躊躇いもないのだが、とイーリスは考える。
「彼女も気の毒な立場だとは思いますけれどねぇ」
三代目を保護したとき、交換条件として人質にした王女さまだ。有り得ない状況と気の毒な状況が重なったので同意したが……それとこれとは別だろうという騒動を起こされたから、出来れば関わりたくはない。よほど馬鹿なことをしてくれれば、たたき返すことが出来るのだが、この騒動など、いいネタだ。
「……馬鹿にしてますよね。私の伴侶――なんて、何の意味もないのに」
直系ではあるけれど、後ろ盾のない王女であるからこその人質だったはずだ。妖魔に子は生まれない、だからこの国に婚姻の制度はない。この国に縛り付けるため? いや、それであれば妖皇その人が、彼女を伴侶に迎えるべきだろう。外遊官なんていう浮き草に縁付ける理由はない。
(……どうやって断ったんでしたっけ……?)
もたれたままの姿勢で、イーリスは動かなくなる。虹色の瞳がどこか赤く輝いて――一瞬で、周囲を染めた。
ほぼ同時に、ばたばたと幾つもの人影が転がり、事切れる。それを見る瞳は冷たく、嫌悪を宿していた。
「……勇者も隣国の出身でしたね」
倒れ付した勇者そっくりの人形たちに溜息をつく。いつだったか、勇者に誘いを掛けられたことを思い出して。
――なあ、レディの側近になってくれよ。
三代目を廃してレディを四代目に立てるのだと妄想を語る彼を叩き出したのは、いつのことだったか。そもそもレディは人間であり、妖皇位を継げるはずがないということを、彼は理解しない。いや、はっきり言うなら魔王位を受けた時点で、妖皇位は継げないのだ。二代目、三代目ともに無位の妖魔が継いでいる、それをいいように誤解したらしい。一応機密事項なので、何故継げないのかと教えるわけにもいかず、皆から遠巻きにされているのが彼の現状である。
ふと、イーリスは廊下の片隅に目をやった。
「妖皇宮に仕女は不要なんですよ。従僕もね」
妖艶で冷たい流し目をくれてやるのは、廊下の四隅で身動ぎしない――出来ない人間たちだ。先ほどまでは完全に隠れていたけれど、まあ本人たちの魔力練成が追いつかなくなったのだろう。そもそもが魔王と同等の実力者を捕らえるための仕掛けである。それを誤作動させて支配するなど、はっきり言って無謀の極み。イーリスとてやりたいとは思わない。
「誤作動させることの問題は、自力で解けなくなることですよ」
術式も、魔法も、魔術も。全て、終点を想定出来て、初めて発動する。それはこの”無限回廊”も同じことだ。本来の”無限回廊”であれば、捕らえた相手が魔力を練れなくなった時点で停止するので、そこで回収し、解放されるのだが。
「私、腐っても”魔王”ですからね?」
余剰妖力がなくて、大きな術式を使うと疲労困憊で眠ってしまう自分であっても、魔王である。たかが人間四人程度で、肩代わり出来る程度の妖力であるはずがない。甘く見るにも程が在る。まして世界に”エレーミアの放浪魔王”として知られているのは自分なのに、どうして標的にしようなどと思ったのだろう?
「いやそもそも狙いはなんですかね……?」
単純に考えるなら、妖皇位を継がせての傀儡政治…まあ、エレーミアの支配だろう。荒れた海でも平気で航海をこなす妖魔がいれば、世界制覇も幻ではない。しかし、…この国の妖皇位に、政治的な権限などないのだ。どちらかというと国を保全するための楔に過ぎない。まあ、最終決定権はあるから、お飾りというわけでもないのだけれど、そのことは内外に知られている。そんなところに元王女を押し込んだところで、何が出来ると思うのか。
「そもそもレディはそのことを理解してますし」
自分を冷遇していた国のために傀儡になるほどの忠誠心があれば、もっと早くに動いていただろう。それこそ、全力で自分を篭絡する、とかで。
「……ああ。仕掛けに異常があれば二段目が発動するとかいう話でしたね」
一斉に扉が開いたそこに、無表情の勇者たちが立ち尽くしていた。
正確に言うなら、妖皇宮の警備を担うはずの人形だ。魔王たち…いや、文官たちからすらも”木偶”と呼ばれるほどの役立たずだが、数だけは多い。そういえばこれは、誰が作っているのだろう。整備の話も聞かないけれど。
ちょうどいい、とイーリスは笑う。破壊してしまおう、この機会に。どうせ必要もないし、これを機に無位無官の妖魔たちを雇い入れるように進言出来る。ついでにお馬鹿なことを考える人間たちの行儀見習いも排除しよう。自国で面倒をみさせればいい。
飛び掛ってくる木偶を相手にしながら、そんなことを考える。
「――”群雲”、でしたか」
何かを盾にその影から本命を撃ち放つ、多対一の戦い方。これを教わったのは誰からだったか。図らずも相手の数が多いせいで、その状態になっているだけだが。使った武器は、木偶が持っていたものだ。流石にそこそこの切れ味がある。術を使わないように見せたのは、もちろんはったりなのだが、あまり意味はなかったかもしれない。
「ああ、これくらいは問題ないみたいですね」
剣が触れた端から、木偶が凍りつく。それにほんの少し、衣服の端ですらも触れるとそこから凍り付いてくれた。なるほど、妖力を表に出すのでなければ、術も使えるようだ。
そこからの対処は早かった。どうやら学習能力や警戒心というものがないらしく、ただ次々と襲い掛かってくるので、それを返り討ちにすればいいだけである。しかも討ち取る必要もなく、凍りだした木偶を投げつければまとめて一つの氷山が出来る。おかげで面白くて、ついついついつい延々と、それに付き合った。
やがて、新手が出てこなくなって、ふと、イーリスはその場に佇む。
「……さすがに、寒い、です」
行くも帰るも氷山に阻まれて。
またもアップし忘れてました。しかもあやうく無くしたかと……もうね。




